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平成天皇時代の終焉

投稿日 : 2019年04月19日

■庄司潤一郎・防衛研究所 研究幹事  『中央公論』 4月号

 

平成17年6月の天皇皇后両陛下のサイパン御訪問以来、パラオ、フィリピン、ベトナムへの一連の「慰霊の旅」の前に戦史に関するご説明を行った防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事は、『中央公論』に、「両陛下『慰霊の旅』の原点としての硫黄島行幸啓」と題する論文を寄せた。その中で同氏は、平成時代の終わりに当たり、平成天皇両陛下が実践された二つの“祈り”、つまり「慰霊の旅」と「被災地へのお見舞い」が国民に及ぼした影響力の大きさを分析している。

 

硫黄島は小笠原諸島の中の最大の島で、太平洋戦争における戦傷者は米軍約29千人、日本軍約2万人という大激戦地であった。天皇陛下の硫黄島への行幸啓は、小笠原諸島の米国からの施政権返還25周年(平成5年)を機に翌6年(1994年)に実現したもので、1993年の沖縄訪問同様、昭和天皇の遺志を継いで歴代天皇として初めて訪問であった。

 

庄司氏は硫黄島行幸啓が翌年の戦後50年(平成7年)広島・長崎・沖縄などから始まった「その後の『慰霊の旅』の原型になった」と強調する。その理由について、庄司氏は天皇両陛下の「強い御意思」により異例な形の「慰霊の旅」となったからだとする。同時に、その祈りには「戦死した日本軍将校はもちろん、敵味方を超越した彼我すべての戦死者に対する思い」が強く込められ、さらに「戦争がもたらした戦後の様々な苦悩への思い」が強くにじみ出ているとする。事前の入念な調査・準備も「陛下の歴史に対する真摯な姿勢存在していたと評価し、陛下の行幸啓が結果的に硫黄島やペリリュー島など「忘れられた戦場」倒れた多くの戦没者に対する国民の関心を強く呼び起こしたと論じた。

 

 

写真:ロイター/アフロ

 

※このページは、公益財団法人フォーリン・プレスセンターが独自に作成しており、政府やその他の団体の見解を示すものではありません。

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