「日本人ひとりひとりが外国の人たちと向き合うこと」 (山口 光 共同通信社 経営企画室顧問)
投稿日 : 2014年02月03日
共同通信社国際局長、2002年FIFAワールカップ日本組織委員会スポークスマン、1998年長野オリンピックメディア責任者など歴任し、35年以上の取材経験をお持ちの山口光さん(69)に海外での取材や外国メディアへの発表の際に心がけたことについて聞いた。
―情報発信の必要性を実感した瞬間は。
いろいろな取材を通してたくさん実感した瞬間があるが、1990年代初頭の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)を取材した際に、中国問題の分科会に招かれた日本の政治家が英語で質問攻めにあい、太刀打ちできないところを目の当たりにした。日本が国際会議の準備を十分しなかったこと、また、国際会議で発言できる人材を育ててこなかったことを痛感するとともに、お互いの本音を議論する場でTPOを心がけて発言できる日本人が極めて少ないこと、日本からの情報発信が少なすぎると強く感じた。
―スマートフォンやタブレット端末を持ち、SNSなどをとおして発信する人が多くなりました。
インターネットやウエッブサイトでただ発信してもインパクトがなかなか与えられない時代になってきた。フェイスブックやツイッターで誰でも情報発信でき、双方向性があってすぐれた意見交換ができるようになり、非常に情報をシェアしやすくなった。ただ、コンテンツがステレオタイプ化し、誰かがおもしろいと思ったコンテンツがシェアされ、めぐりめぐる時代になっている。情報をシェアすることは価値を生んでいるようにみえるけれども実はそうではない。ある統計では、これから動く映像の需要がますます増えていくとの予測がある。「いいね!」ボタンが多く押されたものに流されないためにも、意図的に歴史や価値のあるものなどを発信していかないといけない。
~世界に向けて正確な情報と真実を届ける~
―長野五輪オリンピックメディア責任者(1998年)、FIFAワールドカップ日本組織委員会(2002年)のスポークスマンを務められましたね。
長野オリンピックのメディア責任者として心がけたことが3つある。ありとあらゆる質問に答える、YESかNOをはっきり言う、柔軟な対応を取ることだ。日本の場合、縦割り行政で事案によって省庁、県、市などと対応先が分かれて情報が共有されていない、対外発信ができるような形に向かって積み上げられてこなかったということを痛感した。全て曖昧にせず、YESかNOかはっきりさせた。長野では72の国・地域から3700人の選手・役員が参加し、観客数のべ144万人、世界各国から8300人にメディアが取材のために集まり、3万2千人のボランティアが参加するという、大きな大会となった。オリンピックは常に最先端の情報技術を投入してきた歴史がある。2020年の東京オリンピックのときには、かつてないほど多くの人がスマートフォンやタブレットで観戦するだろう。その時にどのような情報発信が必要なのかこれから勉強していかないといけない。経験をつうじて言えることは文化的背景の違う人々が集まる場所では、トラブル、治安、セキュリティー、チケットの問題、そして選手たちの記録やドラマといったありとあらゆることが起こる。その際の情報発信には、総合的判断力が求められる。合理的な説明をおこない、全体の価値観をきちんと相手に伝えていかなくては。
ワールドカップでは、会場が日本国内でも地方に分散したが、各地方からの情報発信をどのようにするかについて心を砕いた。北海道から仙台、大分など。各国代表が日本の地方都市でキャンプをして、その地域の温かいおもてなしを受けたこともいい話題だった。仙台ではイタリアがキャンプを行ったが、誘致のために新聞社をはじめ様々なところに行き、慶長遣欧使節の支倉常長以来のつながりをアピールするよう勧めたりもした。東京を知っていても地方都市を知らない人も多く、日本の地域文化を発信する重要性を感じた。
~バランスよく伝える努力を~
―外国で取材をする際のご苦労や日本のメディアが外国へ発信する際の課題は。
日本の記者クラブ制度はしばしば問題になるが、アメリカやヨーロッパで取材をしていても厳然とした記者クラブとは呼ばないまでも、ファーストネームで呼ばれないと質問できないなど記者と当局者の関係がある。そのような人間関係を作り、取材をしていく苦労を味わった。今の日本のメディアの最大の問題は自分たちでアジェンダを設定しないこと。最初からアジェンダが決められていて、記者はその範囲内でのみ考え、あるいは質問しているようにみえる。メディアがアジェンダを設定し、問題提起をしていくことがますます必要と感じる。一例をあげるならば、福島第一原子力発電所事故の放射能の影響に関する報道が十分でなかったこと。放射能汚染や原子力発電所の事故にどう対処するかといった情報をもっている人たちがそれを開示せず、日本のメディアも開示させなかった。
アジアの日本に対する目とヨーロッパのそれとは違うので、発信の仕方もおのずから違って然るべき。日本のことに非常に詳しい人もいれば全く知らない人もいるのでいろいろな形で発信し、ていねいに説明していくなどバランスよく伝えていく努力が必要。そして何よりも日本人ひとりひとりが個人として外国人とどこまで向き合えるのか、必要なことを語れるか。文化、社会、常識をどのように説明できるのか。そこに尽きる。ジャーナリスト、外交官、政治家、一般市民であれ、自分の言葉でものを語り、質問ができるかが重要。
―FPCJに期待することは。
元気な高齢者、女性の活躍、日本の若者のがんばり、そして日本の企業や勤労者が持つ底力、チャレンジ精神、問題解決能力を世界に紹介してもらいたい。今年特に注目している地域は沖縄。米軍基地の現状や普天間、辺野古、県民の意識をもっと外国へ発信できないか。そして震災の被災地や、福島のその後についての検証も大切だ。
記者の交流も重要。外国メディアの記者と日本の若手記者と交流や大学生が参加できるプログラムを設けて、その交流をウエブサイトで発信することもぜひ試みていただきたい。
(聞き手:広報戦略課長 小泉 和子)
1944年生まれ。岩手県出身。国際基督教大学卒業後、共同通信社に入社。サイゴン(現ホーチミン)、バンコク、ニューヨーク支局を経てジュネーブ支局長、総務局次長、1988年長野オリンピックメディア責任者、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会スポークスマン、国際局長などを務める。現在共同通信社経営企画室顧問。