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安倍元首相のレガシー

投稿日 : 2022年08月30日

安倍晋三元首相が銃撃を受け急死した事件は、世界を震撼させ、その死を悼む声が世界中から寄せられた。国内の論壇では、「安倍元首相が遺したレガシー」について大型の特集や追悼記事を掲載している他、緊急報告として、銃撃犯が恨みを抱いた宗教団体の旧統一教会と安倍元首相や自民党との関係を検証している。


安倍元首相のレガシーとしては、多くの記事が、(1)外交・安全保障政策、(2)アベノミクスを中心とする経済財政政策、(3)「戦後レジームからの脱却」を目指しての憲法改正の試み、に焦点を当てている。今回は、この3点から主な論調を考察する。

【写真】出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202007/22bura.html

 

 

(1)外交・安全保障政策

 

安倍元首相の最大の功績として、外交・安全保障政策での様々なイニシアチブを挙げる論調が目立つ。「自由で開かれたインド太平洋」構想や、日米豪印からなるクアッド(QUAD)という協力の枠組み、トランプ米大統領との親密な関係、国家安全保障会議の創設、集団的自衛権の行使を可能とする平和安全法制の制定などが、その具体例として指摘されている。安倍氏は自由や民主主義、法の支配などの価値観を重視しつつ、国際社会の激しい変化に適応し、指導的な立場に立ったと評する見方が多く見られた。他方で、安倍元首相の外交・安保政策に対する世界的な高い評価は、これまで国内では十分に認知されておらず、むしろ、この突然の死によって、日本国民の知るところとなったとの指摘は興味深い。

 

宮家邦彦外交政策研究所代表は「日本の外交政策の在り方自体を大きく変えたこと」を挙げ、「安倍氏ほど、国家観と戦略観をもった政治家はほかにいなかった」と振り返る(『Voice9月号、「国家観と戦略に基づく現実主義外交」)。河野克俊第五代自衛隊統合幕僚長は「国家安全保障会議を創設したこと」を挙げ、安倍氏について「総理大臣とは自衛隊の最高指揮官だが、そのことを強く意識されていた。(略)(政治と自衛隊)両者の距離を劇的に縮めた方で、それこそが本当の意味でのシビリアン・コントロールとの信念をおもちだったのだろう。」と評価する(『Voice9月号、「稀有なリーダーだった『自衛隊の大恩人』」)。細谷雄一慶応義塾大学教授は、「グローバルに活躍する安倍の指導力、そして民主主義を擁護する指導者としての顔は、日本国内で十分に知られることはなかった。そこに最大の矛盾とジレンマがあった」と論じる(『中央公論』9月号、「宰相安倍晋三論」)。

 

 

(2)アベノミクスを中心とする経済財政政策

 

日銀主体の大胆な金融緩和政策、政府主体の機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」からなる経済財政政策(アベノミクス)の評価は、一枚岩ではない。第一の矢「大胆な金融緩和政策」については、日本経済を長期のデフレの状態から救い出し、超円高を適度な円安へと修正させ、迅速な株価上昇を実現させたことから、おおむね評価は高い。第二の矢「機動的な財政政策」に関しては、基本的に中立または引き締めに推移したとの見方が強く、特に、消費増税のタイミングがデフレ脱却を遅らせる要因となったことが指摘されており、第三の矢「成長戦略」については、未だ評価は定まっていないが、アベノミクスは安倍元首相のレガシーとして人々の記憶に残ることは間違いなく、さらにその影響は、現在の岸田政権の経済財政政策の行方にも及んでいるとしている。

 

アベノミクスについて前日銀副総裁の岩田規久男氏は、「雇用を大きく改善し、日本経済を長期にわたるデフレからデフレでない状況にまで改善することに成功しました」と高く評価しつつ、「デフレから脱却し始めた直後の消費増税は、デフレ脱却を大きく阻害するにきまっていたにもかかわらず、(略)三回延期することは政治的な理由でできませんでした」と率直に語る(『正論』9月号、「岸田政権がなすべきアベノミクスの完遂」)。飯田泰之明治大学教授も「停滞を続けていた日本経済の潮目を変えた」との見方を示し、また「成長戦略は、財政・金融政策に比すると、その一つひとつは非常に地味な政策のため、進捗を広く国民が実感することは難しい」と農協改革などの実績を挙げつつ「少々過小評価が過ぎるのではないだろうか」と疑問を呈する(『中央公論』9月号、「道半ばのアベノミクス その経緯と未来」)。

 

 

(3)「戦後レジームからの脱却」を目指しての憲法改正の試み

 

安倍元首相は戦後レジームの原点である平和主義憲法の強固な改正論者であり、集団安全保障を含む日本の防衛政策に強い関心を持っていた。しかし保守的な言動のため、いわゆる保守層からの支持を集めたものの、リベラルな勢力からは厳しい批判にさらされることが多かった。こういった点を踏まえたうえで、第一次政権時代に声高に唱えた「戦後レジームからの脱却」や「美しい国日本」が、2012年末からの第二次政権では抑制され、むしろ現実的で実践的な政治姿勢をとったとの見解が見られる。集団安全保障については、結果的に憲法改正の実現には至らなかったが、日本の防衛をめぐる国際情勢の変化に対応するために憲法解釈の修正を急いだ点については、柔軟かつ時代に適合した判断であり、米国との関係上先見性があったとする見解や、世論の批判や支持率低下を招いても信念を曲げなかった点を評価する見方が少なくない。

 

田久保忠衛杏林大学名誉教授は、「現実政治家安倍さんは憲法改正の目標を思い切って下げたのではないか」としたうえで、「トランプ前大統領に代表される防衛の不公平をめぐる不満に対して(略)法律で集団的自衛権の一部を容認する道だけは開いておかなければならないと考えたのだろう」と説明する(『正論』9月号、「時代を先取りした不世出の指導者」)。細谷雄一慶応義塾大学教授は、「それまでの方針を柔軟に時代に合わせて適応させる解釈変更であった」とし、「平和安全法制が日本の立憲主義を破壊することはなかったし、日本の平和主義を破壊することもなかった。(略)権威主義的な指導者があふれるなかで、国際的には安倍は、民主主義を擁護するリーダーと認識されてきた。」と評した(『中央公論』9月号、「宰相安倍晋三論」)。

 

 

※このページは、公益財団法人フォーリン・プレスセンターが独自に作成しており、政府やその他の団体の見解を示すものではありません。

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