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AI、デジタル・テクノロジー:推進論と偏重論

投稿日 : 2019年04月12日

■落合陽一 『Voice』2月号


つくば大学学長補佐・准教授でメディアアーティストである落合陽一氏は『Voice』の記事「デジタル・テクノロジーが解決する少子高齢化」で、少子化が急速に進む日本社会は、従来のインフラを拡大すれば人口が増え、利潤、ひいては税収を生むという社会設計が通用しない「撤退戦」に入っているとし、それを自覚することがまず重要とした。その上で、それに伴う人手不足対策は2020年から開始される5G(第五世代移動通信システム)やAI(人工知能)、ロボットなどのデジタル・テクノロジーによって解決すべきだと主張した。

 

特に、落合氏は2025年に1200万人に達すると見られる認知症患者対策について、「日本では認知症患者をインターネットやスマホから遠ざける傾向があるが、オランダなどでは安価なタブレットを配布して介護を行っている」として、医療介護現場での“テック”活用の必要性を強調した。落合氏によれば、日本では介護師1人の対応能力はベッド15台だが、オランダは4050台だとしている。また、日本では「人間がITに近づくのではなく、ITを人間に近づけようとしているが、それでは余計な開発コストがかかる」と指摘し、人間が対応してきた問題を今後はAIやソフトに代替させるなどして「人間がテックの側に近づくことが肝要である」と論じた。

 

 

■西垣通 『Voice2月号


東京大学の西垣通・名誉教授は『Voice』の論文「AIは意味を扱えない」で、情報過多の時代における問題は溢れる情報の「量」と「意味」が無関係になりつつあることだと指摘する。特に、AI(人工知能)は人間の知識を一定の形式で表現し、演繹的な推論操作による組み合わせで結論を導くコンピュータの応用技術であって、「AIが得意なのは有限状態のシミュレーションの世界のみである。無限のシナリオが起きる現実世界での対応は不得意」と指摘する。そして、その根本的な理由は「AIは意味を扱えない」からだと述べた

 

さらに、西垣氏はAI推進派の「量が質を変える」という思想についても、「量子コンピュータができたとしても、俳句のようないくつもの意味を持つ語を結びつけることは簡単にできない。無限に変化していくような世界では、AIは機能しない」と主張した。西垣氏は「誤解のないように申し上げると、私はAIを否定しているのではなく、正しい活用をめざすべきだといいたい強調つつ、コンピュータ(機械)が行えるのは、あくまでもアルゴリズムに基づいてデータを形式理論的に処理するだけであって、「コンピュータにはそもそも『意味の解釈』は範疇にない。生物と機械は異質であることは確か」とた。                     

 

 

■養老孟司 『文藝春秋』3月号


解剖学者の養老孟司氏は『文藝春秋』の論文「AI『無能論』」で、AI(人工知能)が生み出す“脳化社会”では人間がこれまで以上に「情報化」されていくが、それに伴い生じる弊害を乗り越えるための処方箋が必要であると強調する。養老氏は、脳の観点から見ると「人間とAIは全く別物」であり、「AIが生物のようになる可能性はない」とするとともに、二進法のアルゴリズム(計算方法)で動くAIが、「人間の脳を本質的に超えるということはないだろう」と明言する。

 

養老氏によれば、“脳化社会”とは脳の機能である「意識」が創り出す社会という意味で、“情報化社会”とは「ほとんど脳そのものになった」社会だと規定する。その結果、世界は究極的な理性主義になり、デジタル化追求で余分なものがそぎ落とされ「データ」だけが必要なものになってしまうとする。その例として、コンピューターシステムに取り込めない身体を伴う「本人」は、脳化社会において不要な「ノイズ」と化してしまうと指摘する。養老氏によれば「デジタル的な理性一辺倒の世界は、本来の人間には合わない」というわけだ。

 

脳化社会の弊害に対処するにはどうすればいいか。養老氏は、処方箋のひとつとして「動物が持っている“差異”に対する感覚」を、人間がもう一度見直すことだと強調する。人間と動物との違い一つは、人間が「同一」であることを理解できるのに対し、動物は「同一」を理解できない。養老氏は、その理由を「動物は『感覚所与=現実、事実』に依拠しているため、『差異』によって、物事の判断を行っている」からだと説明する。

 

その上で、養老氏は世の中には理屈のないものや感覚的なものがあることを前提に「“差異”を大切にする感覚を日常において持ち続けること」が非常に大事なことだとする。つまり、世界には「同一性」と「差異」が併存することを知ることが、AIが生み出す脳化社会への処方箋になると論じている。養老氏は、数学という「同じ」を追求する普遍的な意識追求の対極にあるのが「違い」を追及する芸術であり、これまで「芸術は脳化社会に対する解毒剤である」と訴え続けてきた強調した。

 

 

写真:ロイター/アフロ


※このページは、公益財団法人フォーリン・プレスセンターが独自に作成しており、政府やその他の団体の見解を示すものではありません。

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