外国記者に聞く

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【韓国】中央日報・JTBC 東京総局 金玄基総局長

投稿日 : 2015年01月22日

日本語を自在に操り、特派員として10年以上取材を続ける中央日報(韓国)の金玄基(キム・ヒョンキ)東京総局長。一貫して日韓関係を追い続け、「両国がお互いにできることを探していく姿勢が大切」と語る金総局長に、長年にわたる日本での取材について聞いた。

 

テレビ

 

 

~「三足のわらじ」を履くベテラン特派員~

 

Q 名刺に、「東京総局長」「日本支社長」「特派員」と3つの肩書きがありますが、どんな仕事をされているのでしょうか?

仕事のうち95%は、特派員として取材・執筆をしています。これに加えて、コンテンツ管理などのビジネス面や、5人の総局員が気持ちよく働けているかをみるのが支社長としての役割です。さらに、2011年に系列テレビ局(JTBC)ができたので、新聞社とテレビ局をまとめる「総局長」の肩書が付きました。でも、基本は記者であり特派員。政治、経済、社会、文化やスポーツまで何でも取材します。日々のニュースのほか、世界中の特派員が持ち回りで執筆するグローバルコラムなども書いています。

 

Q 10年以上日本で取材されていますが、取材テーマに変化はありますか?

日韓・韓日関係ということでは変わりません。ただ、個人的には、そうした堅苦しいテーマよりも、日本の独特な現場を取材したいと思っています。去年、京都と神戸で日本食や老舗のおもてなしを取材したのですが、神戸牛の飼育や認定、販売などの記事を書いたらすごい反響で、読者からメールがたくさん届きました。もちろん政治や経済は大切かもしれないけれど、読者にとって関心があるのはこういうテーマなのかな、と思いましたね。

 

 

~「隣国として苦しみを分かち合いたい」~

 

Q 日本での数えきれない取材の中で、忘れ難いものはありますか?

やはり、一番は3.11です。100年、1000年に一度という大災害を自分も直接経験し、また現場で悲惨な状況を目の当たりにし、被災された方の声を伝えて隣国として苦しみを一緒に分かち合いたいと思いながら取材しました。そうした思いが韓国の読者に伝わっていたら、記者としてこれ以上の役割はないと思います。

 

地震の時、酒蔵の取材のため秋田にいました。ホテルは停電して真っ暗。怖いので廊下で寝ました。夜が明けて、まず仙台に入るべきと考え秋田駅に向かいましたが、新幹線が動かない。次に空路でと秋田空港に行きましたが、飛行機も飛ばない。最後にレンタカーを借りようとしましたが、災害時のマニュアル的な対応で貸してもらえない。仙台どころか東京にも帰れない状態でしたが、酒蔵の方が私と同行者のために貸切バスと運転手を手配し、おにぎりまで作ってくれて、13日にようやく東京に戻りました。

 

その後、陸前高田など、様々な被災地を取材しました。韓国に戻った時、ある期間に被災地で取材した記者は被ばく量の検査に行くようにいわれ、あまり乗り気ではなかったのですが、検査で高い数値が出たのには驚きました。発がんリスクが高まるということですが、煙草を吸うよりもリスクは低いと聞いたのであまり気にしていません。そのようないろいろな経験もあって、東日本大震災の取材が印象に残っています。

 

Q 東日本大震災以外では、いかがでしょうか?

選挙ですね。2009年に民主党が勝利した選挙は画期的でした。選挙が終わってからも、1面トップや国際面トップの記事を1か月間ずっと書き続けて、とても忙しかったです。それに比べて今回(2014年12月)の選挙は面白くなかったですね。結果の予想がついていたので、あらかじめ原稿を書いて、後から数字だけ入れたという感じです。野党の声や政策が聞こえてこない、代案のない選挙だったと思います。

 

Q 日本の選挙を韓国の読者に伝える時は、どのような視点が求められますか?

韓国国内の選挙であれば、国民の生活が変わるわけなので、それぞれの政党の細かい部分まで報道が求められます。一方、日本の選挙の場合は、各党の細かな政策よりももっと大きな観点で、この政党が勝ったら日韓関係はどう変わるか、国際社会への影響はどうかといった視点になります。

 

 

~ 目に見えない取材規制に不満も ~

 

Q こうした取材のなかで、海外メディアであるゆえの苦労などはありますか?

被災地ではあまり感じませんでした。むしろ東京で、取材制限を感じます。特に総理への取材は難しい。例えば、テレビのニュースで総理官邸のリポートをするのに、日本メディアがよく使うのは官邸がよく見える国会記者会館の屋上なのですが、記者クラブに加盟していない私たちは入ることができないので、なかなかいい映像が撮れず苦労しています。

 

総理会見の質疑でも、ほとんど質問のチャンスがありません。たまに海外メディアに質問の枠が回ってきても、大手のAP通信やロイター通信が質問します。私が質問できたのは、10年間で1度だけです。それも、民主党の菅直人総理の時代に、「朝鮮王朝儀軌」という文書が韓国側に戻るという時で、当事者でした。その時も事前に質問を出す必要があり、色々と目に見えない規制があるのが不満です。

 

また、日本に駐在する韓国メディアの媒体数は欧米に比べても多いのですが、たとえば政府関係の取材で外国メディアの代表取材(※)が行われる場合、主に英語ではなく日本語で取材を行う中国・韓国メディアの取材機会が限られるという傾向もあります。東京電力の福島の原子力発電所の取材などもそうでした。

※代表取材:取材先の事情等で多くのメディアによる一斉取材が難しい場合、ローテーションや話し合いで選ばれたメディアが代表して取材を行い、取材した内容を広く共有する取材形式

 

 

~ 日本が大好き ~

 

Q 言葉の話が出ましたが、日本語が堪能ですね。

中学1年生のとき、家族で2年半東京に住みました。公立中学に通いましたが、当時はひらがなも何も分からず、小学6年からスタートしたらどうかと言われ、悔しくて必死で勉強したのを覚えています。韓国に帰国して日本語はほとんど忘れてしまいましたが、会社から突然東京に赴任するよう言われ、日本に来て、だんだん言葉が戻ってきた感じです。

 

Q 日本と韓国、それぞれの良い面はどういうところでしょうか?

私は日本が大好きなので余計にそう思うのかもしれませんが、人々が優しいです。親切で、偏見があまりないと思います。もちろん、心の中で何を考えているかはわかりませんけれど(笑)、でも日本語で「本音」と「たてまえ」という言葉がありますが、たてまえであっても他人に対して優しいというのは大切なこと。それが日本人のいいところで、競争力があるところだと思います。

 

韓国人は、違う意味での親しみ、「情」がありますね。相手が何を考えていて、自分に何を求めているかがわかりやすい。なので、迅速に物事が進みます。日本に来たとき、仕事で「前向きに考えます」と言われ、やってくれるものとばかり思っていたら、丁寧に断る言葉の一つと聞いて驚いたことがありました(笑)。

 

Q 「国と国」となると、難しいことも多い日韓関係ですが、長年取材をされてきたお立場から、感じることがあればお聞かせください。

十何年取材してきましたが、時には厳しいことを書かざるをえないこともあります。それは、宿命だと思っています。マスコミは、事実関係を正確に書くのも大事ですが、批判的な精神を忘れてはいけない。成功して上手くいっている記事よりも、これは問題だという記事を書くしかありません。日本と韓国は、お互いに間違っている部分がたくさんあります。お互いの主張を認めることは厳しいですが、まずできることを探していく姿勢が、両国にとって大事です。マスコミもその意識を持って報道することが大事だと思います。

 

 

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たて

金玄基 中央日報・JTBC東京総局

1967年ソウル生まれ。延世大学経営学科卒業、ソウル大学大学院経営学部修士課程を修了。1993年に中央日報に入社し、政治部、経済部、国際部などを経て2003年に東京特派員として赴任。2009年から日本支社長兼任。2011年、系列テレビ局(JTBC)の立ち上げに伴い東京総局長兼任。韓国新聞記者賞(2011年)。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科博士(2014)。

 

 

 

 

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中央日報

1965年設立。韓国を代表する新聞社の一つ。発行部数は約150~200万部。系列のテレビ局(JTBC)もある。金総局長によると、1960年代後半ごろに日本支局を設立。2004年から、業務提携する時事通信社ビル内にオフィスを移動。1995年、インターネットによる情報発信を開始し、2000年から日本語版ウェブサイトでもニュースを配信している。

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