実施日 : 2021年07月01日 - 02日
報告:仙台沿岸エリア プレスツアー
投稿日 : 2021年07月12日
2021年7月1日~2日、仙台市主催、近畿日本ツーリスト東北及びフォーリン・プレスセンター企画・運営による仙台沿岸部の被災地を取材するプレスツアーを実施しました。
ツアーには、ドイツ、韓国、香港、ベトナムの記者およびカメラマン計9名が参加しました。記者たちは、東日本大震災から10年の節目を迎えた被災地の復興の現状や現在の課題、さらに仙台市が東北大学災害科学国際研究所と連携して進める「防災観光」の取組などについて取材しました。
◎このプレスツアーの取材先の詳細については、プレスツアー案内をご覧ください。
【1日目】
<せんだい3.11メモリアル交流館(仙台市)>
記者一行は、東日本大震災を知り学ぶための拠点「せんだい3.11メモリアル交流館」を訪れ、仙台市の復興の歩みや、防災観光の取組について説明を受け、館内の立体地図でこれから訪問する震災遺構の位置など、周辺地理を確認しました。震災被害や復旧・復興の状況などを伝える常設展示も視察しました。
<荒浜慰霊碑~海岸堤防~住宅基礎(仙台市)>
東日本大震災による津波で190人以上が犠牲になり、震災後は地区のほぼ全域が「災害危険区域」に指定された荒浜地区を訪問しました。慰霊碑で手を合わせた後、海岸沿い9キロメートルにわたって整備された海岸堤防から仙台市内唯一の海水浴場だった深沼海水浴場の浜辺を眺め、津波で破壊された住宅の基礎がそのままに残されている震災遺構を巡りました。
<震災遺構仙台市立荒浜小学校、荒浜地区避難の丘(仙台市)>
津波で校舎の2階まで浸水しながらも、避難していた児童や地域住民ら320名の命を救った荒浜小学校を訪れ、校内を巡りながら小学校を襲った津波の脅威や震災の教訓を伝承する取組などについて聞きました。また、小学校の屋上から、校舎の目の前に広がる標高10メートルの津波避難施設「避難の丘」や「海岸堤防」、「かさ上げ道路」など多重防御を視察しました。記者は、2017年から一般公開が始まった同校の来館者数や荒浜地区の再現模型を作った目的などについて質問しました。
<笹屋敷津波避難ビル、仙台東部道路避難階段(仙台市)>
「荒浜地区避難の丘」に続き、津波から逃れる避難施設「笹屋敷津波避難ビル」、「仙台東部道路避難階段」を視察しました。
<荒井東復興公営住宅(仙台市)>
復興公営住宅を訪れ、仙台市社会福祉協議会の担当者から被災者の生活の再建について、町内会や民生委員の方々からコミュニティ形成や住民の状況、自身の被災経験などについて聞きました。記者は、震災当時どこで何をしていたか、その後、生活はどのように変わったか、震災が人々の精神面に及ぼした影響や、時間の経過と共に見られる支援ニーズの変化など、多くの質問をしていました。
<多賀城市津波復興拠点工業団地「さんみらい多賀城イベントプラザ」(多賀城市)>
製造業が盛んな多賀城市を訪れ、防災・減災拠点、産業復興拠点としての機能を備えた工業団地の整備について多賀城市・深谷市長から説明を受け、市長及び副市長の案内で「さんみらい多賀城イベントプラザ」を視察しました。記者からは、震災当時どれくらいの食品を備蓄していたか、同団地内の立地企業へのインセンティブの有無、などについての質問が挙がりました。
【2日目】
<津波復興祈念資料館「閖上の記憶」>
二日目は、震災による大津波で約750人が犠牲になるという壊滅的な被害を受けた名取市閖上地区を訪れ、14名の生徒が犠牲になった閖上中学校の遺族会代表で同資料館で語り部活動を行う丹野氏に、被災者の心のケアを行う「閖上の記憶」の活動について聞きました。記者からは、震災当時の心境、当時抱えていた課題と10年を経て今直面している課題にどのような違いがあるか、語り部活動をする中で重点を置いていること、などについて質問が挙がりました。
<有限会社マルタ水産(名取市)>
名取市で震災前から水産加工会社を営むマルタ水産を訪れ、シラスとの運命的な出会いに支えられた復興の歩み、日本の最北限で水揚げされることにちなんで名づけられた「北限のしらす」のブランド化、カフェの経営などについて相澤専務取締役に聞きました。漁港では7月から始まるシラス漁に向けて準備が進む船の様子も視察しました。記者は、工場再建に当たっては資金繰りで苦労したのではないか、毎年開催されるしらす祭りの来場者数、復興五輪についての想いなど幅広い質問が挙がりました。
<山元町震災遺構 中浜小学校(山元町)>
午後は、山元町を訪れ、県南部に残る唯一の震災遺構である中浜小学校を取材しました。震災当時、児童や教職員ら90人を校舎屋上の屋根裏倉庫に避難させた井上元校長から、東日本大震災の2日前に起きた三陸沖地震を踏まえて取ったという避難指示や、一晩に五回に渡り大津波に襲われた当時の状況、全員無事に救助された時の想いや現在の伝承活動について聞きました。記者は、山側ではなく、校舎屋上への避難を決断した理由、子供たちの記憶の整理、震災以降も被災した子供たちと何らかの行事を行っているか、など多くの質問をしました。
<農業生産法人 株式会社GRA>
津波で甚大な被害をうけた地元のイチゴ産業の復活や新たな雇用創出を目指して震災の翌年に設立されたGRAを訪問し、栽培部門責任者を兼任する橋元副社長に立ち上げの経緯や新規就農支援事業、1粒1,000円の食べる宝石「ミガキイチゴ」のブランディングなど、また職業実習生の方からは栽培方法などについて聞きました。記者は、設立当時の雇用創出目標に対する現時点での達成度や観光農園としての経済効果、復興五輪への期待などについて聞きました。
<仙台市・郡和子市長インタビュー>
山元町を後にした一行は、2日間の取材のクライマックス、仙台市長インタビューに向け、仙台市役所を訪れました。郡市長から冒頭に各国からの支援に感謝の意が示され、しなやかで強靭な都市の実現に向けた市の取組「防災環境都市」について説明がありました。記者は将来の災害リスクへの備え、震災の記憶の風化への対応、震災10年を振り返り市長から見た仙台の復興、今後の課題など、多数質問し、市長は、「10年経ったがまだ復興は終わっていないと思っている」、「自然災害は人を選ばずにやってくる」と述べ、防災力のある人づくりや防災訓練の重要性について語りました。