日本の出版文化を海外発信-司馬遼太郎さん代表作「坂の上の雲」初の英訳本が刊行(2013年4月5日)
投稿日 : 2013年04月05日
【ウォッチ・ジャパン・なう vol.37/FPCJ】
2013年04月05日
日本の出版文化を海外発信-司馬遼太郎さん代表作「坂の上の雲」初の英訳本が刊行
日本人なら誰でもが知っていながら、外国ではほとんど知られていない偉大な小説家、司馬遼太郎氏(1923~96年)の長編歴史小説「坂の上の雲」の初めての英訳本 "CLOUDS ABOVE THE HILL" 第1、2巻が2013年1月に出版されました。年内には全4巻がそろう予定で、海外の日本理解を助ける画期的な出来事といえます。
「坂の上の雲」の中で、司馬氏は10年の歳月をかけて、明治時代という日本の勃興期に活躍した若き軍人(秋山好古、真之兄弟)、詩人(正岡子規)たちを、生き生きと描きました。タイトルの「坂の上の雲」とは、封建時代から開国したばかりの日本が、近代国家樹立を目指して、必死で努力した様をたとえたものです。
この小説は、1969年の初版刊行以来、日本では1800万部以上も発売され、国民的な人気を博しました。特に、1970年代から80年代にかけて、日本が右肩上がりの経済成長を続けて世界の経済大国となっていった時代に、そのエネルギーを支える精神的なバックボーンの役割を果たしました。太平洋戦争に負けて戦前の歴史がすべて否定されようとしていた中、暗い軍国主義の時代の到来の前には明るくのびのびと坂を上ることしか考えなかった時代が存在し、そしてそこにはスケールの大きな日本人がいたことを教えてくれるものでした。
この作品は、1968年から72年にかけて産経新聞に連載されたものですが、同新聞は最近その再連載を行ったほか、NHKもテレビドラマとして放映(2009年11月~11年12月)、好評を博しました。司馬氏の作品には、このほかにもたくさんの歴史小説や紀行文などがありますが、彼独特の文体から、これまで翻訳されることが少なく、外国ではほとんど知られないできました。それだけに、今回の英訳本の発刊を喜ぶ人々は多く、日本人独特のものの考え方を世界の人々に理解してもらうための好材料として、広く各国で読まれることが期待されています。
英訳出版プロジェクトを手掛けたのは、千葉県松戸市の日本文献出版・社主の齋藤純生さん。約45年間、外国からの書籍輸入に携わってきた経験から「日本の出版文化を海外発信するのがこれからの私の仕事」として、2001年の退職を機に同社を設立されました。「坂の上の雲」の英訳出版計画はこれまでもありましたが、文庫版全8巻という膨大な量、司馬氏独特の文体、歴史背景や用語など翻訳上の問題も多く、未完成に終わっていました。「自分がやらなければ永遠に実現しない」との使命感から、齋藤さんは2008年に同プロジェクトに着手。日本に深い造詣をもつベテラン翻訳者であるポール・マッカーシー駿河台大学教授、ジュリエット・カーペンター同志社女子大学教授らの協力を得て、このほど”CLOUDS ABOVE THE HILL”全4巻が誕生します。
***** 3人の主人公の出身地・愛媛県松山市にある「坂の上の雲ミュージアム」 *****
松山のまち全体を屋根のない博物館とする「坂の上の雲フィールドミュージアム構想」の中核施設として、2007年4月に開館しました。同ミュージアムは松山城周辺の歴史や文化を意識して設計されており、周囲の自然環境に配慮した外観となっています。
エントラスホールから最上階までを繋ぐ一本の階段(写真中央)は、まるで歩行者が空に向かって上っているような印象を持たせ、これは設計を担当した安藤忠雄氏が、坂の上の雲のイメージをミュージアム内に再現したと言われています。3階と4階を結ぶスロープには「新聞の壁」という巨大なパネルが設置され、昭和43年4月から昭和47年8月にかけて産経新聞夕刊に連載された1296回すべての「坂の上の雲」の記事が展示されています。
また小説に登場する正岡子規、秋山好古、真之兄弟のエピソードを中心に、近代国家へと歩み始めた明治の特徴を資料や映像などを用いて紹介している他、毎年テーマの異なる展示を行う企画展が催され、県内はもちろん県外からも多くの人が訪れています。
(写真右:"CLOUDS ABOVE THE HILL" を持つ松本副館長)
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