実施日 : 2012年11月27日 - 28日
案内:プレスツアー「九州のイノベーターたち」(2012年11月27-28日)
投稿日 : 2013年08月22日
福岡市(福岡県)/有田町(佐賀県)
アジアの国々に近く、古くから日本の玄関口として栄えてきた九州。古代、稲作を始めとした中国大陸からの様々な文化が日本で最初に伝わってきた場所でもある。鎖国時代にも九州の磁器は広く世界に輸出され、ヨーロッパの王侯貴族にも珍重されていた。
このように、新しいものが外から入ってきたり、文化を外に送り出してきた歴史があり、オープンな風土が培われてきた九州には、閉塞感のある現代日本を元気にするユニークな発想を持つ人々がいる。
本プレスツアーでは、九州の福岡市(福岡県)、有田町(佐賀県)を訪れ、日本を変える可能性を秘めたイノベーターたちの姿を追う。
1日目は福岡市(福岡県)を訪問。
福岡は、7世紀には既に外国との交易の中心地として知られ、開放的で進取の気風に富む文化が育まれたと言われている。そこには、最先端のロボット開発で世界から注目を集めるローカル企業がある。伝統工芸「博多人形」の分野で新たな表現を切り開く作り手、中村信喬さんがいる。中村さんの祖父の時代の博多人形師たちは、ヨーロッパの教会のニーズに応え、独特の高い技術力でキリスト教の聖人像を作って輸出していたという。中村さんは、昨年ローマ法王に招かれて自身の作品を献上している。本ツアーではこれら福岡の人々を取材する。さらに、福岡市のPRを目的に今年「カワイイ区」というバーチャル行政区を新設した同市の髙島市長へのインタビューも行う。人口増加を続ける福岡市は、国連ハビタットから「アジアのモデル都市」として評価されている。
2日目は有田町(佐賀県)を訪問。
有田町は、1600年代に日本初の磁器を生み出した町である。17世紀にはヨーロッパに向けて「IMARI」の名で知られる磁器を大量に輸出し、ドイツのマイセン窯にも影響を与えた。現在も約100軒の窯元があるが、その売上高は1990年のピーク期の7分の1にまで低迷。この町で、地元経済の活性化のために、有田焼をもう一度世界市場にアピールしようと奮闘する人々を取材する。
*本ツアーは、フォーリン・プレスセンターが主催・企画運営するものです。(1日目は福岡市との共催です。)
<取材内容>
1日目:福岡市(福岡県)
1.株式会社テムザック 常務取締役COO/業務統括本部長 久米 康歳(くめ やすとし)さん
~独自技術が生み出すロボットに世界が注目。介護、医療、レスキューの分野で期待~
http://www.tmsuk.co.jp/
福岡の郊外にある従業員20名の株式会社テムザック。この小さなローカル企業に、デンマーク、韓国、シンガポールの各政府から熱心な誘致のオファーが来ている。「人の役に立つロボットを作りたい」という強い意志のもと、日本初のサービスロボットメーカーとして、これまで開発したロボットは30種以上。警備、レスキュー、医療、介護など多岐分野に渡る。巡回警備・案内ロボットは、福岡市の支援を受けて全国で初めて市庁舎内で市民と接したほか、夜の商店街で巡回する実証実験も実施した。
同社が開発した車イスに替わる搭乗型移動ロボット「RODEM(ロデム)」には、高齢化による介護問題を見据えたデンマーク政府が注目。2010年に来日したデンマークのラスムセン首相から「一緒にロボットの安全基準を作ろう」と提案を受けた。2012年6月にはデンマーク政府の協力を得て現地法人を作り、患者に対する実証実験に向けての準備を始めている。昭和大学と共同開発した「歯科患者ロボット」は、学生が実習に使えるもので、ロボットは「痛いです」と声を上げたり、せき込んだりと患者さながらの反応で学生の技術向上を促す。また、2011年には医薬品メーカーである興和株式会社と共同で、近距離移動用のコミューターEV「KOBOT(コボット)」を開発。スマートフォンによる遠隔操作機能や、駐車場などでの省スペース性を実現するため車体の一部が折り畳める機能を搭載している。さらに、同社のレスキュー用ロボット「援竜(えんりゅう)」は、2007年の新潟県中越沖地震で倒壊家屋の片づけなどで活躍したほか、福島第一原発内の事故処理についても一時導入が検討された。昨年度、創業してから初めて黒字転換したという同社を支えてきた一人、久米常務取締役COOは「自動車や家電のメーカーとは違い、自分達はロボットが本業だからこそ、これでやるしかないという決意でやってきた。ロボットは日本にとって唯一世界に先駆けて新たな産業を興せる分野。日本に新しい産業を興したいという思いが我々の原動力」と語る。
久米常務取締役COOに、同社の様々なロボットの特徴や開発の経緯について聞くと共に、搭乗型移動ロボット「RODEM(ロデム)」、レスキュー用ロボット「援竜(えんりゅう)」を中心にデモンストレーションを視察する。
※コミューターEV「KOBOT」、歯科患者ロボットは出荷されて在庫がないため、ツアー当日に実物を見ることはできません。
2.博多人形師 中村 信喬(なかむら しんきょう)さん
~海外に一番近い交易のまちだからこそ発展した人形づくり。ローマ法王にも作品献上~
http://www.shinkyo-nakamura.jp/
博多人形は、約400年前(1601年)に黒田長政が福岡城を築いた折、瓦師の正木宗七が土を使って人形を作り、城主に献上したのが始まりと言われている。明治時代に入ると、1900年のパリ万国博覧会に出品されて評判を呼んだ。さらに、1904年のセントルイス世界大博覧会でも金牌を受け、各国に輸出されるようになった。
三代続く博多人形師の家に生まれた中村信喬さんは、従来の博多人形のイメージを覆す独特の彫刻的な表現で注目され、その作品がローマ法王にも献上された。この中村さんの祖父の時代には、時代のニーズを読み取り、大学で解剖学まで学んでリアリズムを追求した人形作りをしていたという。全国各地から注文を受け、イベントのデコレーションから人体模型まで様々なものを生み出していった。そしてそのオンリーワンの技術により、はるばる海を越えて注文を受け、ヨーロッパの教会で信徒向けに売られるヨセフ像まで作っていたという。
世界市場を対象にものづくりを行っていたと言える。その理由を中村さんは、「昔から日本で海外に一番近い町として栄えた博多(現在の福岡市)だからこそできたこと」と語る。「この地の商人たちは、中国との貿易はもとより、遠く韃靼にまで出かけるほど外の世界との交流があった。この地理的な要因で、様々なものが入ってくる気質が育まれた。だからこそ、外国のニーズにも敏感に対応することができたのだと思う。」
中村さんは、「日本の人形は人の祈りから生まれた」という。元来、日本の人形は玩具ではなく、子どもの無事な誕生、健やかな成長への祈りを込めて作られたものだった。「日本の人形は信仰や呪術の道具として用いられてきた。祈りから生まれ、人の姿をした人形が神に近い存在とされてきたのが日本の特徴」と中村さんは語る。「祈り」を込めた独特の作品を作り続けてきた中村さんは、昨年バチカンの招きを受け、博多人形師として初めてローマ法王に謁見。1585年に天正遣欧少年使節として日本から派遣されてローマ法王に謁見した九州出身のキリシタン少年、伊東マンショの人形を法王に献上した。
中村さんの工房を訪れ、博多人形の歴史や自身の創作活動について聞くと共に、その制作工程も取材する。また、中村さんの祖父が作ったヨセフ像の原形も見る。
3.福岡市 高島 宗一郎(たかしま そういちろう)市長へのインタビュー
~バーチャル行政区「カワイイ区」新設。「区民」はついに4万人を突破~
~人口増加が継続。発展するアジアのモデル都市~
http://www.city.fukuoka.lg.jp/mayor/index.html
http://kawaiiku.jp/
福岡市は今年、PRの一環で、8番目の行政区としてバーチャルな「カワイイ区」を創設。福岡の魅力を「カワイイ」というキーワードで発信していくことをコンセプトとしている。ウェブ上で「区民」に登録すると、有償で特別住民票の発行を受けることができる。カワイイ区の区長には福岡市出身のAKB48のメンバー、篠田麻里子さんが任命された。8月29日にウェブサイトが公開されると、約半日で区民登録者が1万人に上り、約2か月後の11月1日には4万人を突破している。中国や台湾、香港からのアクセスもあるという。
福岡は、海にも山にも近くにありながら、国際空港が都心(博多駅)から地下鉄で6分と非常に近く、交通アクセスは抜群。また、空港が近いことで、福岡の都心は高層ビルが少なく、空が広いことでも知られている。このような環境が評価され、居住環境の改善に取り組む国連ハビタット(UN-HABITAT)は、急速な都市化が進むアジアに向けて、福岡市をモデルとするよう提唱している。暮らしやすく、働きやすく、遊ぶのにも便利なバランスの取れた同市では、子育て世帯も含めた人口が増え続けている。2012年5月時点での福岡市の推計人口は148万7972人。2035年には約160万人に達するとみている。全国的には生産年齢人口(15歳~64歳)が2035年頃までに約2割も減少すると見られるなか、福岡市の生産年齢人口は約2%減とほぼ横ばいで維持されると見込みだ。
高島市長に、カワイイ区新設の狙いや、屋台施策(6.参照)、アジアのリーダー都市としての福岡の役割などについて聞く。
4.QUNQUN(キュンキュン)
~福岡発、アジアへ。地元密着型アイドル~
http://qunqun.asia/index.html
主に福岡出身のメンバーで構成され、福岡を拠点に活躍するご当地アイドルグループ。日本国内はもとより、アジア各国での活躍を目指している。
市長へのインタビューの後、地元で活躍するアイドルグループ「QUNQUN(キュンキュン)」のメンバーに、福岡の魅力について聞く。
5.屋台
~「屋台条例」で、屋台をトラブルから観光資源に~
http://www.city.fukuoka.lg.jp/soki/kikaku/shisei/yatai/index.html
http://www.yokanavi.com/eg
福岡市内の屋台の数は150軒以上あり、日本全国の大半の屋台の数がここに集中していると言われる。おなじみの「とんこつラーメン」の屋台を始め、焼き鳥、天ぷら、おでんから、フレンチ、イタリアン、カクテルバーの専門店まである。
福岡市の屋台の数はピーク時(1965年)には400軒を超えたが、排水や悪臭、歩道の違法占有などのルール違反が問題になった。市は2000年策定した屋台指導要綱で屋台の営業を「原則一代限り」と規定し、156軒(2011年4月時点)まで減った。
昨年9月、高島市長は観光資源としての屋台の活用を目指し、「屋台との共生のあり方研究会」を設置。市は「屋台共生推進本部」を設け、屋台営業の適正化に向けた対策などを検討。その結果を踏まえ、営業ルールの厳格化や営業時間の緩和などを盛り込んだ「屋台条例」を来年6月に市議会に提案、7月から施行する方針を明らかにしている。
屋台を訪れ、福岡の屋台カルチャーを体験、「屋台条例」について店主にも話を聞く(夕食懇談会)。
2日目:有田町(佐賀県)
6.日本初の磁器を生み出した、有田町400年の歴史
~17世紀には「IMARI」の名で欧州の王侯貴族を魅了した有田焼~
有田焼の誕生は今から約400年前の1610年代。戦国時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)の際に李氏朝鮮から日本に連れて来られた陶工の一人である李参平が、今の佐賀県有田町に良質の白磁鉱を発見し、日本で初めての磁器を焼いたのが有田焼の起こりとされている。その約30年後の1640年代には、初代・酒井田柿右衛門が、試行錯誤を繰り返しながら、上絵付け(※)と言われる技法を確立(※注:釉薬を掛けて本焼きした陶磁器の上に顔料で文様を描き、もう一度焼く技法)。これによって赤を基調とした色絵磁器の生産が盛んになり、1650年代からは、有田焼はオランダの東インド会社によってヨーロッパの国々に輸出された。当時のヨーロッパには白い磁器を作る技術が無かったためである。特に1659年から1689年までの30年間は、東インド会社を通じたものだけでも毎年数万個もの有田焼がヨーロッパへと運ばれた。白い地肌と大胆な空間が特徴の「柿右衛門様式」と豪華な「金襴手」は、共にヨーロッパの王侯貴族の間で人気が高く、熱狂的なコレクターも数多くいた。これらの有田焼は、積み出し港であった「IMARI」の名で呼ばれ、当時、純金と同じ価値で取引されたものもあると言われている。乳白色の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという「柿右衛門様式」は、マイセン窯などで模倣品が作られ、その作風に影響を与えた。
現在の有田町にも約100もの窯元があり、人口約21,000人のうち6割ほどが焼き物に関係する仕事をしている。町内には、窯業界の後継者・技術者育成を目的に、1985年に全国唯一の窯業専門の専修学校として開校した佐賀県立有田窯業大学校かある。また、佐賀県窯業技術センターや佐賀県立九州陶磁文化館など研究機関や博物館も立地しており、まさに「焼き物の町」と言える。
400年の有田焼の歴史について、専門家(有田町歴史民俗資料館 尾崎葉子館長)に概要説明を受ける。また、尾崎さんの案内で、名門窯元「源右衛門窯」の資料館を訪れ、17世紀に有田からヨーロッパに輸出された絢爛豪華な磁器の数々も見学する。
7.佐賀ダンボール商会 社長 石川 慶藏(いしかわ けいぞう)さん
~低迷する地場産業に風穴を開ける、世界初・磁器製の超高級万華鏡~
http://www.arita-mangekyo.jp/
1本1万円~8万円もする有田焼の万華鏡が売れ続けている。世界初の磁器製の万華鏡である。この万華鏡を作ったのは、有田町で焼き物出荷用の段ボール製造業を営む石川さんだ。石川さんが会社を継いだ2001年には、有田焼の出荷量が全盛期(1990年)の3分の1にまで低下。低迷する地場産業再生の道を探していた。そんな折、自身が病を患って入院した際に病室に持ち込んだ万華鏡が自分の心を落ち着かせてくれ、周りの患者や病院スタッフにも喜ばれるという体験をする。これをきっかけに、それまでどこにも存在していなかった磁器製の万華鏡を有田焼で作ることを決意。有田焼は1300度以上の高温で焼くため約12%も縮んで変形することから、専門家からは金具などの他の部品と組み合わせることは不可能だと言われた。しかし、石川さんは、老舗窯元、ガラス製造業者、万華鏡作家など異業種のプロを説得し、プロジェクトチームを立ち上げた。このチームがそれぞれの高い技術を駆使して課題を克服、ついに完成にこぎつけた。2003年に発売すると、万華鏡の世界大会など海外でも高く評価され、年間3500本(約1億円)を売り上げる新たな市場を作った。さらに、有田焼の万年筆も企画し、約2年の試行錯誤をかけて完成させ、2008年にはG8洞爺湖サミットのお土産として各国首脳にも贈られた。そして現在は、スイス最高峰の独立時計師、ポール・ゲルバー氏と組んで、有田焼の文字盤を使った「世界一の時計」の開発に取り組んでいる。
石川社長に地場産業活性化に向けた活動や今後の展望などについて聞くと共に、万華鏡の組み立て工房も視察する。
8.源右衛門窯
~250年の伝統を誇る老舗窯元の挑戦~
http://www.gen-emon.co.jp/
有田でも指折りの老舗窯元であり、万華鏡や万年筆の製作にも協力している「源右衛門窯」を訪れ、絵付けなどの制作工程を視察する。
9.株式会社百田陶園 代表取締役社長 百田 憲由(ももた のりゆき)さん
~世界市場をターゲットにした新ブランド、10月からヨーロッパに向けて続々出荷~
http://1616arita.jp/
http://www.momota-touen.jp/
時代にあったものづくりをし、産業を立て直すには、自分たちが変わるしかない」と、新たなコンセプトのブランド「1616 / Arita Japan arita 」を展開。今年のミラノサローネ(世界最大級の国際家具の見本市)で高く評価され、ヨーロッパでの販売が順調に進んでいる。
百田社長に、世界市場に向けた今後の戦略について聞く。
*本ツアーでは、参加者に経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。
<実施要領>
1.日程案:2012年11月27日(火)~28日(水)
[ 1日目 ]
8:15-10:15 羽田→福岡(ANA243)
11:00-12:15 博多人形師 中村信喬さん
12:45-13:30 昼食
14:30-16:30 株式会社テムザック
18:00-18:40 福岡市 高島宗一郎市長インタビュー/QUNQUN登場
19:30-21:00 夕食懇談会(屋台店主への取材)
[ 2日目 ]
8:30 ホテル発、福岡市から有田町へ移動(借り上げバス)
10:00-12:00 源右衛門窯
・尾崎氏によるブリーフィング
・歴史的な有田焼コレクション見学
・制作工程視察
12:15-13:00 昼食
13:15-14:45 佐賀ダンボール商会
15:00-16:30 百田陶園
16:30-17:30 長崎空港へ移動
18:25-19:55 長崎→羽田(ANA3740)
2.参加資格: 外務省発行外国記者登録証保持者
3.参加費用: 1人14,000円(航空券を含む全行程交通費、宿泊費、食費を含む)
*お支払い方法、キャンセル料等は、後日参加者にご連絡します。
4.募集人数: 10名(各社ペン1名、カメラ1名、TVは1社2名まで)。
*申し込み人数が10名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。
5.FPCJ担当: 吉田(TEL: 03-3501-3405)
6.備考:
(1) 写真・TV撮影に関しては担当者の指示に従ってください。
(2) FPCJはツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して、一切責任を負いません。