【フランス】ガンマ ラフォ 東京支局 栗田格代表
投稿日 : 2014年09月01日
海外に向け、日本のニュースを写真で伝えて50年。現役を長く続ける秘訣を「やじ馬」でいることと話すのは、フランスの写真通信社Gamma Raphoの栗田格代表(75)=千葉県。報道カメラマンになった経緯やニュースを撮る上で大事にしていることを聞いた。
~ 日本を撮れ ~
-ニュース写真を撮る上で大事なことは。
難しいことではあるが、キャプションがなくても、世界中、誰もがわかる写真を撮ること。文化や宗教も違うなかで、一つだけ共通しているのは人間。人がぱっとみてわかる、迫力がある写真を撮ることが大切。
画面の中に必ず「日本を入れること」を教えてくれたのは、1975年に昭和天皇への単独インタビューを行ったBernard Krisher氏(元Newsweek誌東京支局長)や故Ray Falk氏 (元ABC News東京支局長)。それが今の写真の原点。ただ、それが、イルカ漁であったりすることもあるので、必ずしも日本のPRになるとは限らないのだが。
それから、記録としての意味合いも大切。ニュース写真は50年たつと記録としても価値が上がる。今でも、20年、30年前にとった写真の掲載料として、少額だが小切手が届く。
-「日本を撮る」ということについてもう少し教えて頂けますか。
それはFPCJのプレスツアーを見るとわかる。最初に参加したプレスツアーでは、トヨタの工場などを取材した。最近では東日本大震災後の東北の取材。プレスツアーの内容は、時代によって違う。特派員も時代によって日本の何を見たいのかは違う。
~ 自分は「報道写真家」ではなく「やじ馬」 ~
-報道カメラマンの仕事を始めたきっかけは。
まず自分のことは「報道写真家」とは言わない。「やじ馬」だよ。「おじちゃんは、人の不幸でごはんを食べてるね」と知人の子どもから言われたこともある。この仕事は、一般の人が見られないものをそばで見られるから、ちょっと間違えると偉くなったと錯覚を覚える、がそれは違う。
以前は、コマーシャルフォトグラファーをしていた。広告写真では、イラストやラフスケッチがあるので、自分の仕事はピントあわせてシャッターを押すだけでつまらなかったが、その頃、広告写真の撮影現場で、本物のプロフェッショナルと出会った。トップファッションモデルの入江美樹、当時16才、(小澤征爾氏の夫人)は、まさにプロフェッショナルと言える仕事をしていた。僅かな撮影時間で撮った写真のどれを選んでも使えた。仕事をするのであれば、こうでなければと頭をガーンとなぐられたようだった。
~ 忘れられない1985年日航機墜落事故の撮影 ~
-50年間ニュース写真を撮り続けるなかで印象に残る一枚は。
思い出すというか忘れられない、今でも悔やんでいることがある。1985年の日航機墜落事故の際、カメラマンとしていちはやく現地入りし、生存者4名のうち3名を撮影した。撮影した写真を早く本社に届けようという思いが先行し、肝心な、山の上での大事故の様子を撮ることが頭から抜けてしまった。案の定、他に写真はないのかと本社に言われた。以降、どんな状況でも最後まで冷静でなければいけないと肝に銘じている。
-現役を長く続ける秘訣は。
やじ馬でいること。気配りを忘れないこと。ニュース屋がニュースになるようなことはしないこと。
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栗田格(くりた かく)代表
1939年東京生まれ。フランス人映画俳優アラン・ドロンの専属カメラマンなどショービジネスの仕事や、電通、J.W.トンプソン等の広告写真の仕事を経て、1960年代から報道写真へ転向。撮影した写真がタイム誌の表紙を飾ったことも。1974年から現職。
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Gamma Rapho
1966年フランスで写真家らにより設立された写真通信社Gamma。経営統合などを繰り返し、2010年から現社名。20世紀を網羅する2億枚以上の写真ストックを有する。栗田東京支局代表の撮影した写真は、同社ホームページから「Kaku Kurita」で検索できる。