実施日 : 2008年10月16日
報告(動画):2008年10月16日【岩手プレスツアー(世界遺産を目指す「平泉」)】
投稿日 : 2013年08月23日
~小さな町の大きな挑戦と課題:岩手の大地と人々が育む、時空を超えた「自然との共生」~
■世界遺産を目指す―みちのくの古都「平泉」(2008年10月16日)
岩手県平泉町は、今から約800年前、水陸交通の要衝であり、奥州藤原氏がその変化に富んだ自然の地形を存分に活かしつつ、仏教浄土思想に基づき独自の政治・行政上の拠点を完成させた地である。
中尊寺、毛越寺を中心とする「平泉の文化遺産」は2001年に世界遺産暫定リストに登録され、2006年に「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」を名称に掲げ、世界遺産としてユネスコに推薦されたが、今年7月の世界遺産委員会で「登録延期」の決議が下された。
しかし、達増拓也岩手県知事は2011年の登録を目指す方針を早々と示して県民を鼓舞。地元関係者も関連イベントをあえて実行して再挑戦への意気込みを示している。
********************************************
‐達増拓也 岩手県知事
「岩手県平泉のユネスコ世界遺産登録については、今年、登録延期になりましたが、これは平泉の価値が世界遺産に足りないということではなく、その説明の論理構成について合意をみなかったということと理解しております。 多くの専門家が合意できるような説明の仕方を新しく工夫して、3年後の登録を目指して再出発しているところです。」
‐平泉町教育委員会 世界遺産推進室 千葉信胤氏
「大きな問題は「文化的景観」という考え方で、平泉の場合は資産すべてをもって文化的景観という説明しましたが、理解して頂けませんでした。
今回の指摘の中で、平泉の仏教文化の資産は浄土思想だけでくくることはできない、平泉をもっと上手にわかりやすく説明してほしいと、その辺をどうやって組み立てていくかが課題となっています。」
中尊寺 菅野澄順 執事長
「800年前の平泉全体のただひとつ残っている建物は、金色堂です。 これは完全な形で残っています。初代・藤原清衡の、平和、非戦に対する思いが込められています。」
「800年前に中尊寺が建てられた理念というのは現代でも十分に通用する理念です。要するに「戦争をしない」ということがまず第一ということで、 日本のみならず世界中すべての人に知ってもらいたい、というのが中尊寺の思いです。」
‐(考古学調査風景)平泉町教育委員会 世界遺産推進室 千葉信胤氏
「中尊寺は金色堂に代表されるように、建造物、美術工芸品に皆さんの目がいくわけですが、もう一つ大事なことは平安時代の様々なお堂など考古学的な遺構が地下に埋もれている場所なのです。中尊寺の境内すべてが特別史跡に指定されているのも関係があります。」
‐毛越寺 執事長 藤里明久氏
「私共の寺の庭は「浄土式庭園」で、日本式庭園の原型、一番古い形が残されております。日本庭園は自然をモチーフにした、自然の景観をうまく要所要所に取り入れた庭園、それが特徴です。」
「(毛越寺 浄土庭園 池)端的にいいますとこの池は海にあたります。 洲浜といわれるところは砂浜をあらわしています。この岩も海岸の磯の風情をあらわしています。
「(遣水)庭園のむこうにある遣水は川をあらわしていまして、急流から平野を流れる川がやがて海に注ぐ、という一つの自然の流れの全体をあらわしています。」
「平泉というのはただ単に仏教文化が栄えたというのではなくて、今から800年も前に平和ということを原点に考えて仏教を中心にした政治を行った場所でも あります。そういった精神性の高さを平泉は失わずに発進していく、そしてそのような精神性をバックにもった庭園であり、建造物であると、いうところを理解 して頂くのが大事であると思います。」
- 平泉町教育委員会 世界遺産推進室 千葉信胤氏
「地域の人々にとっては、奥州藤原氏が築いた平泉文化は精神的な支えになるものがあります。特に京都中心ではなく、地方で文化的な一つのピークをみせたことは住民の自負につながるものがあります。」
「平泉の構成資産を尊重した「まちづくり」の在り様とはどういうものなのか、かれらが理想としていた世界観を現在のまちづくりの中にどう活かしていくか。」
「藤原氏はなぜこういう場所を自分達の拠点にしたのか、そこにある自然景観、地理的要素をもっと見える形にしたり、そういった形で個性がもっと表出する形でのメリットというのが世界遺産の隠れた部分にあると思います。」
- 岩手県 達増拓也 知事
「金色堂や浄土庭園をはじめとする美しさ、芸術的な価値だけではなくて、平和への祈りや自然との調和、そうした理念も世界の皆さんに自分のものにして頂きたいと思っています。」