原爆投下から75年を迎えた広島、長崎
投稿日 : 2020年08月14日
注目すべき海外メディアの日本報道
(8月3日~11日)
原爆投下から75年を迎えた広島、長崎
8月6日の広島、9日の長崎の原爆記念日の前後に、欧米主要メディアは東京特派員を中心に、75年を経てなお非核平和を発信し続ける被爆者に焦点をあてながら、被爆地での平和記念式典の模様にも触れつつ報じた。
3日付BBC(英国)電子版は、英国の女性フォトジャーナリスト撮影・インタビューによるポートレート記事「広島と長崎の女性被爆者たち」を掲載。当時15歳の広島赤十字病院看護学生で重症火傷をおった患者の治療に携わったウエノテルコ氏、8歳で被爆し今でも真っ赤な夕焼けを見ると当時の燃え盛る広島のまちを想い起こすオカダエミコ氏、長崎への投下時9歳で避難場所へ向かう途中にみた無名の人々の遺体の山は「人間としての死ではなかった」と語るハダレイコ氏らが、ごく普通の市民の壮絶な体験と平和非核への願いを自らの言葉で淡々と語っている。
5日付The Wall Street Journal(米国)「壊滅した広島から、犠牲者の痛ましい報告」は、史上初の原爆投下を被爆者の視点から報道し米国に衝撃を与えた第二次大戦記者ジョン・ハーシーのエピソードを紹介。同記者は被爆直後の広島に赴き6人の市民を取材、彼らの証言を基に執筆した記事「ヒロシマ」は1946年8月31日発行のニューヨーカー誌に掲載され、終戦に安堵し広島への関心を失くしていた何百万人もの米国人を原爆の恐怖に向き合わせることに成功したと報じた。同日付の原子力物理学者(John C. Hopkins)による寄稿記事「原爆は日本人を含む数百万もの人々を救った」は、広島及び長崎への原爆投下による日本の全死亡者数は12.9万~22.6万と推定されているが、もし原爆が使用されずに、米軍による、仏ノルマンディー上陸を上回る規模の日本本土侵攻が遂行されていれば、民間人をも犠牲となり、推定で500万から1000万の日本人の命が失われた(1945年7月米国政府報告)と説明した上で、原爆の使用はその被害よりもはるかに多くの痛み、苦しみ、死を防いだのであり、米国は少ない災厄を選択したのだと結んでいる。
6日付The Guardian紙(英国)「『息を引き取るまで』広島と長崎の記憶のため闘う」(Justin McCurry東京特派員)は、瞬時の都市壊滅から75年が過ぎ高齢となっても核兵器の恐怖を世界に記憶させるため奮闘する被爆者として、広島の小倉桂子氏、長崎の木戸季市氏(日本被団協事務局長)を紹介。小倉氏は「米国の若者に自国がしたことを事実として知ってほしい」との思いから国内外で被爆体験を語っており、非核が進展せず被爆者の証言が消滅する将来を危惧しつつも「犠牲者の死を無駄にしないために最期まで語り続ける」と決意し、同様に木戸氏も「最後の世代の被爆者の一人として残りの人生の最善を尽くす」としていると報じている。
6日付The Washington Post紙(米国)は「広島市長、原爆記念日に自国第一主義に対し警告」(Simon Denyer東京支局長)を掲載。市長は、第一次大戦中に流行したスペイン風邪で国家間の敵対により大きな犠牲を払った後、国家主義の台頭もあって第二次大戦に突入、原爆投下につながったとした上で、こうした経験を繰り返してはならず、市民社会は「自国第一主義」を排し、連帯して(新型コロナウイルスなどの)脅威に立ち向かうべきと訴えたと報じた。加えて、核兵器廃絶に尽力し続ける83歳の被爆者小倉桂子氏も(若者が活動を後継し出した)現状に満足していると世界は核戦争への坂を急降下していくと警告、コロナ感染第二波、第三波と同様の危機を感じると述べたと伝えた。
7日付New York Times紙(米国)は「広島75回目の記念日:被爆者たちの平和のメッセージを守る」(Ben Dooley記者・Hisako Ueno記者)を掲載。平均年齢83歳となる被爆者の高齢化やコロナ感染リスク懸念から今回の平和記念式典への参加は縮小したが、核兵器廃絶と平和を願い内外で活動を続けてきた「被爆者と彼らのストーリーは日本のアイデンティティをなす不可欠な一部であり、それらを記憶に留め次世代に伝え続けていくため、すべてを記録することが大事だ」との有識者の声も交えてと報じている。