実施日 : 2018年12月03日 - 04日
報告:箱根八里プレスツアー
投稿日 : 2018年12月17日
江戸時代の箱根越えの道である箱根旧街道、通称「箱根八里」が2018年5月に日本遺産に選ばれたことを記念して、同12月3日~4日に、外国記者を対象とするプレスツアーが行われました。フランス、香港、イタリア、米国、ベトナムなどのメディアから計9名の記者が参加し、小田原から三島に至る旧街道をたどりながら、沿道に息づく歴史と文化を取材しました。
※本プレスツアーは箱根八里街道観光推進協議会が主催し、特定非営利活動法人 全国街道交流会議、フォーリン・プレスセンターが企画・運営しました。
※ツアー案内はこちら。
【1日目】
<小田原>
小田原に到着した記者一行は、小田原城の天守閣から小田原の街を俯瞰し、旧東海道や箱根への峠道の位置について説明を受けました。
小田原宿なりわい交流館では、江戸時代の日本の旅のあり方や『箱根八里』についてレクチャーを受けました。全国街道交流会議の田中孝治理事は、「江戸時代の日本人は大の旅好き。あの時代に庶民が安心・安全にのんびりと数百里も旅行ができたのは、世界でも日本だけだった」と述べました。三島市郷土文化財室の辻真人主任学芸員は、『箱根八里』の約32キロの区間には、石畳道や宿場町、関所など、江戸時代の街道の姿が今も良い状態で残っており、日本中みても他に類を見ない」と説明しました。
また、「小田原かまぼこ通り」では、小田原を代表する特産品「小田原かまぼこ」と箱根八里の深い結びつきのほか、「かまぼこ通り」の活性化に向けた若手経営者らの取り組みを取材しました。
<箱根>
一行は小田原を後にし、箱根町へ向かいます。箱根町郷土資料館の鈴木康弘館長からは、江戸時代に描かれた箱根温泉の案内絵巻「七湯の枝折(ななゆのしおり)」をもとに、湯治場から温泉リゾートへと発展してきた箱根温泉の歴史について説明を受けました。
さらに、2017年に日本イコモス国内委員会から「日本の20世紀遺産20選」の一つに選ばれた箱根の大規模木造宿泊施設群の中から、「萬翠楼福住(ばんすいろうふくずみ)」と「環翠楼(かんすいろう)」を取材。それぞれの旅館主から、職人の手技による独自の建築意匠などを案内・説明いただきました。
『箱根八里』の宿場であり箱根寄木細工のふるさとでもある畑宿集落では、第一人者である伝統工芸士の石川一郎氏から寄木細工の歴史や技法について説明を受けたほか、将来に向け寄木の可能性を広げつつある二人の若手職人にも話を聞きました。
夜は、『箱根八里』の観光振興策を語り合うために現地で開かれていた「『箱根八里』街道フォーラム」の交流会に参加しました。プレスツアー参加者を代表して挨拶に立ったイタリア経済紙の記者は、「ツアー初日を通じて、箱根が東京の喧騒を逃れるための温泉地にとどまらないことが分かった。小田原から箱根を経て三島に至る箱根八里の豊かな文化、伝統、歴史を実感した」と感想を述べました。また、小田原市の加藤憲一市長にインタビューも行いました。
【2日目】
箱根関所の大和田公一所長を案内人に、箱根旧街道の畑宿から一里塚、さいかち坂などの石畳道、芦ノ湖畔の杉並木、箱根関所まで、江戸時代の旅人の足跡をたどりました。江戸初期創業の箱根甘酒茶屋では、13代目となる現在の当主・山本聡氏にインタビューをし、往時と変わらない味ともてなしの心で旅人の往来を支える思いを聞きました。
<三島>
記者一行は箱根峠を越え、三島宿へと下る「箱根西坂」に入りました。かつて旅人相手の商売で栄えたこの地域の集落は、東海道線の開通で旅人の往来が減るなか、農業に生き残りを掛けました。その結果、この地域は現在、ブランド野菜「箱根西麓三島野菜」の産地となっています。集落の歴史や成り立ちについて説明を受けた後、ブランド野菜の生産農家を取材しました。
続いて訪れたのは、日本最長400mの人道吊橋「三島スカイウォーク」。あいにくの雨のため、楽しみにしていた吊橋からの富士山の絶景を楽しむことはできませんでしたが、その姿を想像しながら広報担当者からスカイウォークの概要やスカイウォークが「箱根八里」の観光活用に果たす役割を聞きました。
最後に三嶋大社を訪れ、神官の先導により正式参拝を行いました。江戸時代の旅人と同じように、『箱根八里』の難所を無事に越えた御礼詣でをいたしました。