【プレスイベント支援 事業報告】 鶴ヶ島市:地域の絆がつくる、4年に一度の伝統行事「脚折雨乞(すねおりあまごい)」
投稿日 : 2016年09月29日
公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)は、日本に関する多様で正確な報道が世界中で行われるよう、これまでの活動で蓄積された経験や外国プレスとのネットワーク、情報発信の知見を活用して、自治体・企業・大学など幅広いパートナーの皆様による海外情報発信を支援しています。
6月から新しくスタートした海外情報発信支援プログラムが、「外国プレス向けイベント支援」。これは、自治体・企業・大学などが企画・主催するイベントや取組(*単一のイベント、特色ある施設や事業紹介など)について、主催団体が「海外発信を希望しているが、何から手をつけたらいいのか分からない」という場合に、FPCJが主催団体とコンサルテーションを行いながら、プレスリリース発信などを通じて外国プレスへの情報発信をサポートするプログラムです。
「外国プレス向けイベント支援」の第一弾は、埼玉県鶴ヶ島市の伝統行事「脚折雨乞(すねおりあまごい)」。これは、4年に一度、オリンピックイヤーに開催される降雨祈願の神事です。「脚折雨乞」では、竹と麦わらで作られた重さ約3トンにも及ぶ「龍神」が、300名の男衆によって担がれ、白髭神社(しらひげじんじゃ)から雷電池(かんだちがいけ)までの約2kmを練り歩きます。池の中で雨乞を行った後、龍神は担ぎ手によって解体され、天へと昇っていきます。(「脚折雨乞」の詳細については、コチラを御覧ください(広報つるがしま))
同市は、4年後(2020年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、「脚折雨乞」の歴史や住民の絆を市の「個性」として海外発信し、さらなる知名度の向上、インバウンドの増加、まちの賑わい創出などにつなげるため、FPCJの「外国プレス向けイベント支援」プログラムを活用し、在日外国プレスへの情報発信に乗り出しました。FPCJは、鶴ヶ島市とコンサルテーションを重ね、外国プレスの関心をひく取材内容の提案や、取材につながるプレスリリースの書き方などについて助言を行うほか、FPCJ独自のネットワークを活かしたプレスリリース配信を行いました。また、取材を希望する在日外国記者のとりまとめを行い、「脚折雨乞」当日にはFPCJ職員が鶴ヶ島市に赴いて、現地で外国記者の取材が円滑に進むように支援を行いました。
以下では、「脚折雨乞」を取材した外国プレスの様子やコメントなどを御紹介します。
==「脚折雨乞」と、それを取材した外国プレスの様子==
2016年8月7日(日)、灼熱の太陽のもと、無数のセミの声がシャワーのように降り注ぐ中、米国や中国などの記者7名が「脚折雨乞」を取材するために、鶴ヶ島市を訪れました。
一行がまず向かったのは、鶴ヶ島市の旧小学校を利用した文化財整理室。ここで市政情報課の河村治人課長から、「脚折雨乞」の歴史と見どころについて説明を受けました。河村課長は、「脚折雨乞は、人と自然の共生の上に成り立っている。一時は途絶えた行事を先人たちが復活させ、地域のつながりを守ってきたその苦労を忘れないようにすることも、脚折雨乞を継承していく意義の一つだ」と説明し、「2020年に向けて『脚折雨乞』が市民の誇りとなり、地域の活性化につながることを目指していく」と外国記者に抱負を語りました。
次に向かったのは、白髭神社。いよいよ龍蛇(りゅうだ)との御対面です。龍蛇は、長さ36メートル、重さ約3トンにも及びます。この巨大な龍蛇は、竹と麦わらで作られており、そこには多くの市民の力が結集されています。龍蛇本体の材料となる麦は、1年前の11月に種まきを開始し、生育後には麦刈りがあります。その他にも、龍蛇の骨組みとなる竹の切り出しに加え、龍蛇の耳や目など竹細工作成なども行われます。「脚折雨乞行事保存会」では、骨組みの組み方や竹細工の講習会などを通じた技術伝承や、子どもたちが担ぐ「ミニ龍蛇」の作成による後継者育成にも力を注いでいます。脚折雨乞当日には、早朝から龍蛇の全身を熊笹で飾りつけます。お父さん、お母さんに手ほどきを受けながら、懸命に笹の葉を刺す小さなお子さんの姿は、「脚折雨乞」がまさに地域の住民一人ひとりに支えられている象徴のように映りました。
★龍蛇情報★
長さ |
36メートル |
重さ |
約3トン |
頭の高さ |
4.5メートル |
目玉(直径) |
1.6メートル |
鼻の穴(直径) |
0.18m |
材料 |
竹80本、麦わら570束 |
白髭神社で「龍蛇」に魂を入れる「入魂の儀」が行われると、「龍蛇」は「龍神」へと姿を変え、いよいよ300名の担ぎ手による龍神の渡御巡行がスタートしました。
雷電池までのおよそ2キロの道のりを、威勢の良いかけ声とともに練り歩く姿を見て、取材に訪れた外国記者は、その迫力に驚きつつ、「龍神を作るには、どのくらいの日数がかかるのか」、「担ぎ手の300名はどのように選ばれるのか」、「龍神を先導している太鼓とほら貝にはどのような意味があるのか」、「龍神の最後尾の担ぎ手は、なぜ剣を持っているのか」など、日本の神事に関して質問が絶えない様子でした。
35℃の熱暑のなか2kmの行程を約2時間かけて練り歩き、渡御巡行のクライマックスは、雷電池への龍神入水です。雷電池の周りには、4年に一度の「脚折雨乞」を一目見ようと多くの観客が集まり、身動きすら取れない状態でした。龍神は、まるで生きている大蛇のように龍体をくねらせながら、雷電池へ飛び込みました。外国記者の中には、釣り竿のような長い棒の先端に小型カメラを取り付け、鳥瞰で龍神を撮影するなど、ダイナミックな映像を撮ろうと工夫している姿も見られました。また、約3トンの巨大な龍神の重みに顔を歪めながらも懸命に支える担ぎ手の表情を、一心不乱に写真に収める様子も見られました。
龍神は池の中をぐるぐると周りながら、担ぎ手による「雨降れたんじゃく、ここに懸かれ黒雲」という大きな掛け声とともに、雨乞の祈りが天に捧げられました。池の周囲は龍神が巻き上げた砂埃が立ち込め、その圧倒的な迫力と力強さに、詰めかけた大勢の人たちから大きな歓声が沸き起こりました。
「脚折雨乞」の最後を飾るのは、龍神昇天。300名の担ぎ手が龍神を池の中でバラバラに解体し、池を荒らします。池を汚されたことに立腹した神は、怒りの雨を降らせるのだそうです。神様の御機嫌を取ることで雨を降らせてもらうのではなく、龍神を切り裂いて池を汚し、神様を怒らせて雨を降らせるという発想が、外国記者には面白いと感じたようです。
鶴ヶ島市の「脚折雨乞」は、1日で約25,000人の来場者を迎え、成功裏に終わりました。今年の夏は、とりわけ関東地方の水不足が深刻でしたが、「脚折雨乞」の祈りが神に通じたのか、行事の翌朝には、なんと鶴ヶ島市に恵みの雨が降りました。
(8月8日の雨雲レーダーより)
「脚折雨乞」を取材した外国記者は、地域住民が一丸となってコミュニティの絆や住民としての誇りを守ろうとしている姿に、心を打たれたようでした。米国や中国でも、昔は雨乞行事があったそうですが、今ではもう行われていないそうで、「鶴ヶ島市では、ぜひ伝統を守っていってほしい」、「4年に一度と言わず、毎年雨乞行事を行ってはどうか」などのコメントが出ました。
次回の「脚折雨乞」は、2020年8月、東京オリンピック・パラリンピック開催イヤーです。時代や環境の変化とともに、「脚折雨乞」は単なる雨乞行事から、地域の伝統やつながりを継承する行事へと変化しましたが、さらに今後は日本を代表する行事・祭りになっていくことを期待します。鶴ヶ島市がFPCJとタッグを組んで、初めて試みた外国記者への情報発信。これからもFPCJは、日本についての多様で正確な報道が世界中で行われることを目指して、日本の様々な魅力を多く方々に伝えていきます。
【「脚折雨乞」に関する外国プレスなどによる報道結果】
▶ABC News(アメリカ/テレビ)
「Japanese Town's Ritual for Rain」
http://abcnews.go.com/International/video/japanese-towns-ritual-rain-41514397
▶環球時報(中国/新聞)
「日本怒龙“升天”祈雨300年」
▶nippon.com(日本の魅力を7言語で世界に発信するウェブサイト)
・郷土色豊かな「ニッポンの祭り」 3トンの龍神が練り歩く「脚折雨乞」
【日】http://www.nippon.com/ja/views/b06201/
【西】http://www.nippon.com/es/views/b06201/
【露】http://www.nippon.com/ru/views/b06201/
・「脚折雨乞」龍蛇づくりフォトギャラリー