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今月の雑誌から:ポストコロナの日本の進路

投稿日 : 2021年06月23日

コロナ禍が長引くなか、日本が従来から抱える少子高齢化、経済格差、巨額の財政赤字などの問題がより深刻化しつつあり、それに伴うさまざまな社会問題を月刊誌や他のメディアが取り上げている。『中央公論』7月号は、「孤独と怒りに社会は軋む」との特集記事を組み、今年2月に孤独・孤立担当大臣に就任した坂本哲志氏へのインタビュー記事を掲載している。これらの記事はコロナ禍によって顕在化した日本の弱点を分析する論調も多いが、他方で、悲観しているばかりでは危機を克服できないとして、ポストコロナの日本を長期的視野に入れて、残すに値する明るい未来を築くために、日本の持つ潜在的な「強み」を活用すべきとの議論も数多くみられるようになった。そのような議論を以下に紹介する。

 


■「2050年の日本はどうなっているのか ポストコロナの未来年表」ジャーナリスト・人口減少対策総合研究所理事長 河合雅司氏(『文藝春秋』7月号)

 

 河合氏は、コロナ禍が日本社会にかねて存在していた課題を浮き彫りにし、より切迫した状況にしたと指摘し、中でも出生数の減少が加速したことが深刻で、いずれ日本の致命傷となりかねないと警告する。コロナ禍でセックスレスが進行しているほか、2020年の婚姻件数は前年に比べて1割以上も減る見通しであり、未婚化、晩婚・晩産化が出生数を減らし、その影響は将来にわたり広範に及ぶという。

 

コロナ禍は、外出機会を減らした高齢者の消費マインドを冷え込ませて内需を縮小させたほか、運動不足や他者とのコミュニケーション欠如でフレイルな高齢者を増加させた。2025年に65歳以上の5人に1人、750万人が認知症患者になると推計されているが、この推計はコロナ禍で前倒しになると同氏は予測する。社会の高齢化に伴い、コンビニや飲食店の24時間営業も終焉を迎えよう。

 

河合氏は、これまでの政府や経済界がとってきた戦略ー高齢者マーケットの掘り起こし、24時間社会、外国人観光客や労働者の受け入れーは、すべて幻想であったことが証明されたとして、これからは、現実を踏まえ、人口減少に耐えられる社会をつくることの重要性を強調する。縮小するマーケットでは、従業員一人当たりの生産性の向上と高付加価値化を目指し、各企業がそれぞれの強みを再点検し、残すものと捨てるものとを取捨選択するという「戦略的に縮む」必要がある。自分たちの強みを活かし、異分野に展開することで、新たな商品やサービスが生まれ、高齢者向けの商品開発のパイオニアになるチャンスもあるという。

 

同氏は、結論として、「人口減少が進む日本においては、社会も、企業も、個人もメリハリをつけるしかありません。日本はこれから誰も経験したことのない社会に突入していきます。どうせ縮まざるを得ないのであれば、受け身にならず、積極的に縮むことです」と結んでいる。

 

 

■「文明の『二重転換』と日本の役割」京都大学法学研究科教授 中西寛氏(『Voice』6月号)

 

 中西氏は、新型コロナ・パンデミックがもたらした人類ヘの影響について、「あたかも突如、人類という列車がトンネルに飛び込み、そのままトンネル内を走り続けているようである。人類がいつ、どういったかたちでこのトンネルを抜け出すことができるのかはまだわからない」が、「パンデミック後の世界は、その前の世界とは大きく異なる」とし、「大方が予想するのは米中対立の激化であろう」と論じる。「今回のパンデミックは、政権批判を抑圧する一方で効率的な統治体制を実現している中国の体制と、潜在的には経済的にも技術的にも優位でありながら、政治的分裂と対立のためにその力を生かしきれないアメリカはじめ西側先進国の状況を、この上なく対比させた」と指摘する。

 

同氏は、今後の国際政治は米中対立が基軸になるものの、米ソ冷戦のような整序された状態ではなく、さまざまな複雑性と不確実性を有した競争になると見て、二重の文明転換の視点が重要と指摘する。一つは、中国やインド、イスラム世界、アフリカ世界の国々が、非西洋文明の価値を再発見しつつあり、このため、伝統文明を下敷きとした秩序構築を考える余地があるとの視点。さらに、人類に普遍的な近代文明が、工業文明から脱工業・情報文明に移行しつつあり、気候変動対策のように、人類は自然環境に過剰な改変を加えることなく、環境を維持する選択を模索し始めているとの視点だという。

 

少子高齢化、経済競争力の低下、巨大な政府債務という制約要因を抱えた日本は、もはや経済大国としての国際秩序への寄与参画は外交の主軸とはなりえず、この二重の文明転換における国際秩序転換に参画寄与する手段は、知的分野になると、同氏は見る。日本文化の本質は、文学や料理といったかたちある制作物ではなく、さまざま文明、文化をろ過吸収し、独特なものをつくり出す方法であり、精神であると指摘。「その能力を活かして、共時的に浮上する文明間の相互理解や諸文明の相違を超えた共通の価値構築に資することはできよう」と論じている。また、日本文化は自然環境への敬意と共感を重要な要素としてきたが、その性質は、自然環境を人為によって変化させすぎない脱工業化や情報文明を構築するうえで大いに役立つはずと力説する。

 

 

■「百年後の未来を考えることから始めよ」 慶應義塾大学環境情報学部教授/ ヤフー株式会社CSO 安宅和人氏(『Voice』 7月号)

 

安宅氏は、今回のパンデミックは、現実を冷徹に直視して真っ当な理屈にしたがって行動できないという日本のこれまでの危機対応の弱点を露呈したが、明るい未来をつくるためには、日本社会の強み、もち味たる以下の4点を活かすべきだと提言する。

 

第1は、学習能力の高さ。他国の最先端分野を圧倒的なスピードで学び、そのうえで自分流に昇華していく営み。

第2は、さまざまな要素を組み合わせ、全体として美しく強いものを創る能力。新幹線やハイブリッド車がその好例。

第3に、日本特有の美意識。無駄を削ぎ落す禅的な美からくる「ミニマリズム」と、日本庭園にみるアシンメトリー(左右非対称)の美。

第4に、思い切って若い才能に仕事を託す文化。

 

同氏は、日本が弱点を克服しつつ、このような強みを活かすには、国、企業、個人すべての次元で変身が必要だと説く。政治家は、いざというときの有事に備えて、平時から対応できる迅速かつ柔軟(アジャイル)な仕組みを整える責務がある。企業も、レゴブロックのようにいつでも解体や組み替えが可能なフレキシブルな体制にすべきである。個人ベースでは、少しでも良い未来を次の世代のために作るべく、一つでも多くのことを仕掛け、仕込んでいくこと。百年後に残すに値する世界とは何かを描くことから始めてはいかがだろうかと、問いかけている。

 

 

■「現代版『直接民主主義』を構築せよ」東京大学社会科学研究所教授 宇野重規氏(『Voice』 7月号)

 

宇野氏は、コロナ禍では民主主義体制の国々がプライバシーの問題などで混乱をきたした一方で、中国のような権威主義体制国家が、迅速な政策決定と実行力で早々に感染拡大を収束させたように見えるが、後者の強制的な手法は、長期的に継続することはできないと論じる。国家の政策に人びとが自発的に協力する仕組みを作らなければ、いつしか社会に不満が蔓延し、やがて国家に亀裂を生むからである。

 

同氏は、民主主義とは何かという意味を整理するところから始めるべきと説く。代議制(間接)民主主義は、代表者が国民に代わり議論するという、現代ではあまり説得力のないフィクションであり、価値観調査によれば年齢が下がるほど代議制民主主義を信頼せず、特に20代の7割以上が疑念を抱いていると指摘する。若い世代は、古代ギリシャ的な直接民主主義のように、みずからの発言が意思決定に反映され、社会が動いたという手ごたえがほしいのだと同氏は説明する。

 

宇野氏は、有権者を地域単位で選ぶ必然性はなく、たとえば20代だけからなる選挙区を設ければ、若い人たちの意見を示す場は確実に生まれるし、デジタルツールを使ってより直接的に政策提言できる回路を作ることや、SNSを使って国民の声を政治に結びつける方法はいくらでもある。新しいテクノロジーを駆使して、現代的な条件でアテナイの直接民主主義を回復させるべきなのかもしれないと論じる。

 

また同氏は、西洋由来ではない、日本なりの民主主義のあり方を再考し、自分たちの言葉で語るべきと主張する。日本には、伝統的に、西洋的な民主主義の文脈に相当する文化が存在していたとして、その例として、時の権力者に対し皆で行動して変革を促す「一揆」という言葉や、民間人が平等な立場で結社を作った「社中」、明治政府の「五か条の御誓文」にみる「公論」によって政治を決めていくという価値観などを挙げている。「このように日本に根付く言葉を使うことで、われわれのなかに眠る民主主義の力を引き出すことができるかもしれません。グローバル的な価値観が揺らぐいまこそ、自国の歴史や文化に立ち返り、『日本型民主主義』のあり方を再考すべきとき」と結論付けている。(了)

 

 

※このページは、公益財団法人フォーリン・プレスセンターが独自に作成しており、政府やその他の団体の見解を示すものではありません。

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