戦後70年
投稿日 : 2015年09月08日
<今月取り上げた月刊誌>
『外交』『正論』『世界』『中央公論』『文藝春秋』
◆ 2015年9月 ◆
1.戦後70年
北岡伸一「侵略と植民地支配について日本がとるべき姿勢」『中央公論』9月号
中曽根康弘「大勲位の遺言」『文藝春秋』9月号
木村幹「〈過去〉ではなく〈現在〉の問題として捉えよ」『中央公論』9月号
波多野澄雄「戦後外交における歴史問題――〈請求権〉をめぐる攻防」『外交』32号
下川正晴「朝日新聞は〈慰安婦誤報〉を反省したのか」『正論』9月号
8月14日、安倍晋三首相は、戦後70年についての談話を閣議決定の上、発表した。談話の会見に先立ち、戦後70年の節目の年に首相の委託による「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」(21世紀構想懇談会)が立ち上げられ、安倍首相の談話の参考となる報告書が作られた。その座長代理を務めた国際大学学長の北岡伸一氏が、『中央公論』9月号の「侵略と植民地支配について日本がとるべき姿勢」で解説している。
北岡氏は、今回、メディアが侵略、植民地支配、反省、おわびの4つのキーワードの使用に関心を集中させたことに対し、「これらの言葉があるかどうかだけが基準となるのはおかしい」と指摘した上で、「とはいえ、過去をどう認識するかは重要な問題である。その鍵は、やはり〈侵略〉であると思う」と焦点を示している。
北岡氏は「侵略という言葉に定義はないから、日本が侵略したとは言えない、という人がいる。これは全くの間違いである」「……戦前の日本はどの基準から見ても、明らかに侵略をしている。たとえば満州事変である」「……満州事変の結果、日本は日本本土の数倍の広さの地域を占拠し、満州国を作った。その中には、それまで日本が権益を持ったことがなかった北満州まで含まれていた。これはとても自衛では説明できない。自衛には均衡性が必要であり、それを超えれば侵略になるのである」と、明確な判断を示している。
またもう一つのキーワードは「植民地支配」である。日本の中には、西欧列強の植民地支配への抵抗として日本の近代をとらえる向きがあるが、これに対し北岡氏は「、……太平洋戦争に向かう様々な意思決定の中で、アジアの解放を主な目的としてなされたものはない。大部分の決定は、自存自衛、つまり日本の利益が目的だった」と否定している。
さらに「若い人々に限らず、日本人の現代史に対する理解は驚くほど浅い。……歴史共同研究の重要性もまた重要である。……無理に歴史認識を一致させる必要はないが、資料にもとづいた討議をすれば、極端に誇張した見解は、やがて淘汰できるだろう」と歴史認識の重要性について改めて述べつつも、「日本人のほとんどは戦後生まれである。現在の日本人が直接負うべき責任はない。総理大臣として、他国に謝罪する必要はない」と断言している。
その上で、「世界の紛争を予防するために、日本に何ができるか」について、①国連改革、②経済支援、③民主化支援、④法による紛争解決原則の確立努力、⑤PKOなどの国際協力強化、⑥貿易自由化促進、⑦国際公共財である日米安保の充実を挙げ、「これらは日本の戦前の誤りに対する反省に立ったものなのである。日本はかつて国際秩序に対する挑戦者となって、これを崩壊させてしまった。戦後の日本は国際秩序の受益者として発展した。今度は、秩序を支える側に回るべきである。過去に対する反省と、未来を描くということは、このように一体のものなのである」と結論付けている。
■ 長老政治家からの提言
保守政治家の97歳の長老、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏(首相在位1982~1987年)も『文芸春秋』9月号「大勲位の遺言」で、「やはり、多くの犠牲を出した先の戦争は、やるべからざる戦争であり、誤った戦争であったと言える。アジアの国々に対しては、侵略戦争だったと言われても仕方がないものがあったといえる」と認めている。
一方で、自らが首相在任中にA級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝したことが、中国との国際問題になったことに触れ、戦争経験者にとっての歴史認識の微妙さを語っている。「……たしかに、歴史への反省と民族の誇りをどう両立させるかというのは難しい問題であろう。大東亜戦争に関しては、戦後の日本人にまとわりついて離れぬ霧のようなものがあるように思える。本来であれば、あの戦争の指導者に対しては日本人自らがきちんと決着をつけるべきであった」。
歴史問題以外にも、冷戦、それに続く各政権が短命に終わるという日本政治の不安定期が長く続いたため、日本は重要な課題が先送りされるままできていたが、ようやく安定を取り戻しつつあり、重要課題が果断に取り組まれることに期待を寄せている。
中でも注目しているのが、安保法制。「私の従来からの主張は安全保障基本法に集約した形で集団的自衛権の限定的行使を可能とする考えである」と、現在の安倍政権の方針に近いことを示した上で、「……政府としては特に『限定的』における丁寧な説明と行使の範囲を明確なものにする必要がある。こうした政府の対応が世論調査にも反映されるわけで、国民が抱く不安や疑念を払拭するよう国民意識や世論の動向にも細心の注意を払いながら事を進めるべきである。……と同時に、停滞している現状を打破する何らかの手立ても必要になる」と国会運営には釘を刺している。
日本政治の戦後最大の課題と言える憲法改正についても、現憲法が国民に受け入れられ、戦後の繁栄に寄与したことは評価しつつも、「ただ、その過程の中で見失ったことも多い。先にも述べたが、やはり歴史や伝統、文化といった日本固有の価値を謳わぬことは、その国の憲法にとって大きな欠落と言うべきであろう」と、主張している。
そして、経済改革については「政策選択における『成長重視』と『財政再建』の確執は、経済の行方が大きく作用するだけに一概にその善し悪しを判断できるものではない。しかしながら、国は経済の好調に決して気を緩めることなく、先々の景気動向を睨みながら財政健全化の道筋をはっきり示しておく必要がある」と財政規律、そして中曽根政権時代から日本が取り組んでいる行財政改革の流れを続けるよう説くとともに、教育改革については「今後、一層のグローバル化の進展によって内外の人の出入りや交流が活発化する。そうなれば尚更のこと国家としての日本のアイデンティティーは重要なものとなろう」と9年前の教育基本法改正による歴史、文化、伝統の重視を改めて強調した。
■ 戦後外交と歴史認識を巡る解釈
日本が外国と抱える歴史問題の中でも、特異なケースが韓国との歴史問題である。韓国との問題が、解決、あるいは緩和の方向ではなく、ますます複雑化している理由について、神戸大学教授の木村幹氏は、『中央公論』9月号「〈過去〉ではなく〈現在〉の問題として捉えよ」で、「(韓国で)この25年間変化しているのは、実は1945年以前の〈過去〉に関わる〈歴史認識〉ではなく、日韓請求権協定に関わる〈認識〉だということである。次にこの〈認識〉の変化が一方向、すなわち〈例外〉の範囲を拡大する方向に働いているということである」と説明する。
1965年の日韓基本条約と同時に締結された日韓請求権並びに経済協力協定で、日韓両国は1945年以前の過去に関わる問題は「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」した。その後十数年にわたって断続した交渉の過程で慰安婦問題が論議されたことはないとされる。しかし、91年から92年にかけて、「従軍慰安婦問題」は韓国の民主化の流れと相まって「爆発的な」外交問題となった。しかし軍事政権時代とちがって、民主化を旗印にした盧泰愚政権は、協定の解決の枠外にある「例外」だとする解釈を用い、「元慰安婦らに対する法的保障を実質的に求める」方向にかじを切ったのである。
以後、韓国内の市民運動が活発化するにつれ、その例外は拡大され、2010年代には、韓国の裁判所は、政府が定めてきた範囲を超えて日本企業等に賠償を求める判決を出し始めた。一方日本では、政府も、司法も、そして世論も、過去を巡る問題は日韓請求権協定により完全かつ最終的に解決済みという考えを明確に保持している。
木村氏は、この膠着状態の打開について、「……唯一可能なのは、日韓両国関係の外にいる人々の力を利用して、この状況を変えることだろう」と主張する。日韓請求権協定に定められた、その解釈に齟齬が生じた場合、設置することになっている仲裁委員会、もしくは、強制力がなく自由な立場から議論する、両国政府公認の国際委員会が考えられるという。「重要なのは、自らの政府の日韓請求権協定に関する解釈が正しいと信じ込んでいる日韓両国の国民や政治あるいは司法エリートに、その議論の限界と直面させることであり、それにより法律と国家的建前の呪縛から離れて事態を柔軟に議論できる状況をもう一度作り上げることである」と説明している。
同じく、戦後歴史問題の根源について、筑波大学名誉教授の波多野澄雄氏は、『外交』32号「戦後外交における歴史問題」で、講和条約と請求権の相克にあると指摘している。
波多野氏は、国際社会の中での戦後日本の出発点となったサンフランシスコ講和条約を基点として、70年代までに、アジア諸国との二国間の平和条約・賠償協定の法的枠組みが「戦後処理のための講和体制」として形成されたと説明。そのうえで、「講和条約体制はそもそも個人保障を想定していなかった。請求権の相互放棄によって、個人の被害も含めすべて解決されたはずであったからである。その意味では戦後補償問題は講和体制への挑戦であった」とし、その典型例が従軍慰安婦問題であると述べている。1987年に始まる韓国政治の民主化とともに、過去の清算を巡る議論にも世論や市民団体が影響力を持つようになる。そして竹島問題が急浮上した2005年以降、韓国政府や裁判所等は「請求権協定により解決済み」との立場に対抗する見解や判断を示すようになってきた。この動きについて波多野氏は、「請求権協定をただちに破綻させるものではないが、六五年体制の安定性は政治的にも法的にも予断を許さない状況にある」と論じている。
過去が清算された、という意識の欠如は意外なところにも影響を及ぼしている。この請求権論争の根本となった「従軍慰安婦」報道だが、元毎日新聞ソウル支局長の下川正晴氏は、数万人という慰安婦の人数について、その出所を検証した結果、戦時中に韓国でも動員された「勤労奉仕」であった女子挺身隊を慰安婦と読み替えていたことが分かったという。下川氏は、「1943年からは 〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5~7万人が慰安婦にされた」との数字が独り歩きしたと主張する。研究者らの調査によると、1970年8月14日付のソウル新聞の記事には、「『1943年から45年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は、全部でおおよそ20万。そのうち韓国の女性は、5-7万人とされている』と書かれており、下川氏は、「慰安婦とは関係のない挺身隊の話」が読み違えられて広まったことを問題視している。
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