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【ロシア】 ノーボスチ通信社 奈加・キセーニヤ特派員

投稿日 : 2013年09月01日

【ロシア】 ノーボスチ通信社 奈加・キセーニヤ特派員

 

s奈加氏 写真1「違うようで似ているロシアと日本のニュースを自分の言葉で伝えていきたい」と願う奈加・キセーニヤさん(43)=東京都。2008年からノーボスチ通信社東京支局に在籍する奈加さんに、日本での取材で得た経験や日本の見方を聞いた。

 

-なぜ日本に来られたのですか。

姉の影響で日本文学に興味を持ち、モスクワ大学で日本語や歴史を学んだ。日本のメディア向けの取材コーディネーター兼通訳として働いた経験もある。自分自身の言葉で伝えたいとの思いが募り、ノーボスチ通信社記者に。今、一番やりたかった仕事をやっている。

 

 

 

~ 再起への強さ 伝えたい ~

 

-最も強く印象に残っている仕事は。

東日本大震災。震災の約2か月後、日本に住むロシア人が物資を届ける試みを取材するため、被災地を訪れた。女川での現実離れした光景に大きな衝撃を受けた。1年後、FPCJのツアーで宮城県に。雄勝の人々は「これ以上なくすものはない」とポジティブな開き直りを見せてくれた。今話しても鳥肌が立つほど感動した。この強さを伝えたい、私も強くなりたいと思った。失ったものを元に戻すのではなく、よりよく作り直そうという発想。伊東豊雄氏のブリーフィングでもそうだった。震災で日本の見方も自身の人生観も変わった。

 

-伝える難しさは。

震災当時、残念ながら海外メディアにはパニックめいた状況があった。福島第一原発の事故後、「東京がゴーストタウンに」などの誤報さえも。「大丈夫だ」と書くわけではないが、根拠もなく不安をあおる記事にならないよう、またそう編集されないよう気を配っていた。しかし、公的な情報が少ない一方、確認しようもない風説が氾濫し、日々格闘していた。

 

-今後書きたいことは。

東北には毎年訪れ、変化を伝えたい。日本だけでなく、世界にとって大事な知恵になる。また、最先端の技術、特にロボットに興味がある。日本には世界の誰も思いつかないような発想がある。iPS細胞関連の話題にも強い関心をもっている。

 

~ 国際社会で力強く発言を ~

 

-日本はどんなところですか。

短期間訪れていた頃は便利さに驚いたものだが、住んでみると人々がいかに我慢しているか分かる。我慢があるからこその豊かさだろう。また、完璧主義な国民性をもっている。1人1人の働きとしては効率性も高くすばらしいが、組織となると時間がかかる。責任分担の枠を超えた仕事、マニュアルのない事態。そういう場面には弱いのかも。

 

-日本の情報発信についてどう思いますか。

日本は発信下手だと思う。アニメなど文化の紹介もいいが、それだけでは限界がある。日米関係の重要性はわかるが、外交では独自の立場をもう少しはっきり示すべきでは。オープンな広い世界の一員として、プライドを持って明確な意見を打ち出していくと、国際社会から意見を求められるようになり、立場が強くなる。日本にはそれだけの価値があり、もっと貢献できる。そうしないともったいない。

 

-FPCJに求めることは。

プレスツアーには本当に助かっている。これだけ短期間に密度の濃い日程で、しかも安価に地方を回る計画を組むことはまずできない。そのまま書けるような素材、ヒントを受け取っている。記者へのアンケートなどを通じ、今後もユニークなツアーを開催してほしい。

 


 

奈加・キセーニヤ特派員

1970年3月生まれ。ロシア・モスクワ出身。モスクワ大学歴史文学部で日本語、日本史、世界史を専攻。卒業後はモスクワ市内で日本のテレビ局などを対象とした取材コーディネーター兼通訳として勤務。大学在学中の留学を含めて数度の訪日を経て、2001年に日本人の夫とともに来日。2008年よりノーボスチ通信社の通信員として、日本のマスメディアの報道を本社に伝える業務に従事。2011年より現職。東京都内で夫と2人の息子と暮らす。

 

s奈加氏 写真2RIA NOVOSTI(ノーボスチ通信社)

1941年、第二次世界大戦下で戦いの最前線を伝えるため開設されたソビエト情報局が前身。現在は日本語を含め14か国語で世界の情報を配信する通信社に。2000年代からマルチメディア化を進め、インターネット上の生中継なども開始。毎月のインターネット記事閲覧者は2000万人にのぼる。東京支局の2名を含め、日本には3名が常駐。東京を拠点に、日露関係や政治経済などのニュースを配信。韓国、北朝鮮もカバーする。

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