実施日 : 2021年07月01日 - 02日
仙台沿岸エリア プレスツアー
投稿日 : 2021年06月02日
仙台沿岸エリア プレスツアー
<テーマ>東日本大震災から10年、復興で新たな賑わいを創出する防災観光の取組
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれにより発生した大津波は、東北地方の沿岸部を中心に甚大な人的・物的被害をもたらした。仙台市や名取市など5市5町からなる宮城県の仙台沿岸エリアでは、死者・行方不明者の数は3,000人を超え、160,000棟以上の住家が全半壊する被害を受けた。[1]
震災から10年が経過し、津波被災地域では土地の造成や住宅の建設、沿岸部の道路の復旧など、ハード面の復興は着実に進んできた。その一方で、防災集団移転や復興公営住宅の入居などにより住まいの再建を果たした後の、新しい環境での孤立防止やコミュニティ形成、被災者の心のケアなど、ソフト面では多くの課題が残っている。
本ツアーでは、仙台沿岸エリアを訪れ、震災発生から10年を経た津波被災地の復興の現状や、いま浮き彫りになっている課題、さらには、震災の記憶の風化が懸念される中で、震災の経験や教訓を地域の魅力と共に発信する防災観光の取組を取材する。
【取材内容】
1.郡 和子 仙台市長インタビュー
東北地方の経済や行政の中心都市である仙台市では、東日本大震災により、死者904名、行方不明者27名という人的被害があった。約14万戸の家屋が半壊以上の被害を受け、震災による市の被害額は、約1兆3,043億円と推計されている。
仙台市は、早期の復興により東北全体の復興を牽引する観点から、被災地の中で最短となる5年間の「震災復興計画」を策定し、2016年3月に終了、その後も長期的な視点による復興を推進してきた。現在は、東日本大震災の教訓を踏まえ、将来の災害や気候変動リスクなどの脅威に備えた「しなやかで強靭な都市」の実現を目指して、「防災環境都市」づくりや防災ツーリズムを進めている。そのため、「杜の都」と言われる緑豊かで快適な環境のもと、インフラの強靭化やエネルギー供給の防災性を高める「まちづくり」、地域で防災を支える「ひとづくり」、震災の経験と教訓の「発信」に重点的に取り組んでいる。
【写真提供:仙台市】
◆仙台市の復興の現状と、震災の教訓を踏まえた「防災環境都市」づくりについて、郡 和子(こおり かずこ)市長から聞く。郡市長は、発災時から対応の陣頭指揮に当たった奥山恵美子・前市長の引退後、2017年8月に市長に就任した。2012年には復興大臣政務官を務めた。
2.せんだい3.11メモリアル交流館
津波により大きな被害を受けた仙台市東部沿岸地域への玄関口に位置するせんだい3.11メモリアル交流館は、東日本大震災を知り学ぶための場であり、記憶と経験を媒介に、コミュニケーションを通じて知恵と教訓を紡ぎ出し、未来へ、世界へとつないでいく拠点である。1階交流スペースは、立体地図やスライド、関連図書などにより、仙台市東部沿岸地域の情報を発信していく場であり、2階展示室は、震災被害や復旧・復興の状況などを伝える常設展と、東部沿岸地域の暮らし・記憶などさまざまな視点から震災を伝える企画展で構成されている。また、施設では、震災のことを語り合うワークショップや、周辺スポットを巡るフィールドツアーなど、参加型のものを中心にさまざまなイベントが行われている。
◆仙台市の復興への歩みについて、仙台市並びに施設職員から説明を受ける。
【写真提供:せんだい3.11メモリアル交流館】
3.防災観光(防災ツーリズム)
東日本大震災の被災地には被災の実情や教訓を学ぶための遺構や展示施設が数多くあり、当時の様子を詳しく伝える「語り部」活動も盛んに行われている。東北大学災害科学国際研究所では、それらを貴重な防災学習コンテンツとして目的に応じて巡り学べるように体系化し、さらに東北地域の豊かな自然・文化・産業といった観光資源と融合させた、「防災観光」を推進している。
東北ならではの「防災学習」と「観光」を組み合わせることで被災地に観光客を呼び込み、災害に対する経験や知識、考え方を深めてもらうと同時に、東北の復興を考える上で重要な観光振興につなげるねらいだ。仙台市では、宮城県と連携し、同大学研究所の支援のもと、インバウンド向け防災観光のウェブサイト「防災+観光BOSAI Tourism」を開設。多彩な防災学習コンテンツや震災当時を疑似体験できる360°バーチャルビュー、周辺の観光情報などを発信している。【写真提供:仙台市】
◆震災を乗り越えた東北各地の経験・教訓を、地域や世代を超えて伝える「防災観光」のねらいについて、仙台市から説明を受ける。
4.仙台市若林区荒浜地区
仙台市若林区の太平洋沿いに位置する荒浜(あらはま)地区には、震災前は約800世帯、2,200人が暮らしていたが、町ごと津波に飲み込まれ、190人以上が犠牲になった。震災後は地区のほぼ全域が人の住めない「災害危険区域」に指定され、住民は安全な内陸部に集団移転した。しかし、今なお荒涼とした風景の中にも、今年3月には体験型大規模観光果樹園がオープンするなど、仙台市が買い取った集団移転跡地の利活用に向けた動きが本格化しつつある。
荒浜小学校は海岸線から約700m内陸に位置し、震災前は91人の児童が通っていた。津波により校舎の2階まで浸水したが、校舎内に避難していた児童や教職員、地域住民ら320名は翌日までに全員無事救出された。仙台市では、津波被害の教訓を発信・継承し、将来起こりうる津波による犠牲者を少しでも減らすため、荒浜小学校の校舎を震災遺構として整備し、2017年4月から一般に公開している。校舎内部では、破損した教室や被災直後の写真、当時の状況を振り返る映像などにより津波の脅威を伝えている[2]。
◆海岸近くの慰霊碑及び津波によって破壊された住宅の基礎をそのままに残した震災遺構を訪れた後、震災遺構仙台市立荒浜小学校に移動し、荒浜地区の元住民で来館者に津波被害について伝える活動をしている職員から、地区を襲った津波の脅威と復興の現状、震災の教訓を伝承する取組について聞く。
【写真提供:仙台市】
5.津波の多重防御と避難施設(仙台市)
仙台市は震災後、被災した東部地域の再生とより強靭なまちづくりを目指して、複数の施設で津波を防ぐ「多重防御」、津波から逃れる「避難」、住まいの「移転」を組み合わせることで、数百年に一度の規模の津波にも安全・安心を確保する対策を講じてきた[3]。2019年に完成した、仙台沿岸部を南北に走る全長10.2キロメートルのかさ上げ道路は、約6メートル盛り土をして堤防機能を持たせ、海岸堤防、海岸防災林と合わせて、津波被害を大幅に軽減させる「多重防御」の要として位置づけられている。
津波から逃れる避難施設の一つ、旧荒浜小学校の向かいに造成された「荒浜地区避難の丘」は、標高10メートル、頂上部の面積は約5700平方メートルで、津波襲来時には約5,300人を収容でき、市が沿岸部5カ所に整備した「避難の丘」の中で最大規模だ。海水浴場の再開や観光果樹園の新設を見据えて作られたもので、「避難の丘」の整備により荒浜地区を安心して訪れる人が増え、新たなにぎわいの創出につながることが期待されている。
◆津波の多重防御について仙台市職員より説明を受け、津波被害を最小限に抑えるための対策の現場である「荒浜地区避難の丘」、「笹屋敷津波避難ビル」、「仙台東部道路避難階段」を視察する(避難ビル、避難階段については車窓視察を想定)。
【写真提供:仙台市】
6.荒井東復興公営住宅(仙台市)
仙台市内の応急仮設住宅には、2012年3月末のピーク時には約1万2千世帯が入居していたが、内陸丘陵部の被災宅地の復旧、復興公営住宅の整備(3,206戸)などにより仮設住宅からの転居が順調に進み、2017年3月末までには、市外で被災した世帯を除き、全ての世帯が日常生活の土台である「住まいの再建」を果たした。市では、区役所や社会福祉協議会などと連携しながら、住まいの再建後の復興公営住宅や防災集団移転先地における孤立防止やコミュニティづくり、心のケアを含む健康支援に引き続き取り組んでいる。
総戸数298戸の大規模な集合型の荒井東復興公営住宅には、避難所や応急仮設住宅での仮住まいを経て、荒浜地区や蒲生(がもう)地区など沿岸部の元住民が多く移り住んでいる。荒井東復興公営住宅の自治会(町内会)や同住宅を含む一帯の高齢者の見守りなどを担う民生委員の担当者は、津波により住まいと地域の絆を奪われた住民たちの現状や、お互いを知らない人同士が短期間に一斉に入居する復興公営住宅におけるコミュニティ形成の難しさ、住民の高齢化、自治会活動の担い手不足など、生活再建に向けた課題を肌で感じてきた。
◆仙台市職員や震災直後から被災者を支援してきた仙台市社会福祉協議会の担当者から、荒浜地区の元住民を含む被災者の生活再建の現状や見えてきた課題について説明を受ける。また、復興公営住宅や防災集団移転先地に暮らす住民たちの現状について自治会や民生委員の担当者などから話を聞く。
7.多賀城市津波復興拠点工業団地「さんみらい多賀城・復興団地」(多賀城市)
仙台湾に面して工場地帯を形成し、電機、金属、食料品等の製造業を基幹産業とする多賀城市は、津波により市域の約3分の1が浸水する被害を受けた。住まいの被害のほか、市内に流入したがれきや土砂、5,000台を超える車両、タンクローリーなどの漂流物によって、事業所や工場が被害を受け、沿岸部の企業の多くが操業を継続できず、撤退や事業縮小を余儀なくされた[4]。他方で、多賀城市を含む被災地では震災当時、国内外から届く大量の緊急支援物資の荷捌きや保管ができず、避難所などへの配送が滞るという問題が浮き彫りになった。
それらの経験を踏まえて、同市では震災後、災害時における物資供給などの防災機能と産業復興支援機能を有する「津波復興拠点団地」(愛称「さんみらい多賀城・復興団地」)を整備した。団地内の「さんみらい多賀城イベントプラザ(STEP)」は、平時は屋内フットサルコートなどとして利用されるが、災害時には、天候に左右されず支援物資の荷捌きができ、物資受け入れなどの一括管理が可能な防災拠点となる。倉庫には7万2千食分の食料や、毛布、段ボールベッドなども備蓄されている。団地に立地する企業は、大規模災害発生時に、市民への食料提供や避難者の受け入れなどを行うほか、大津波が襲来した際に、被災企業が製品供給を継続できるような支援を行う協定を多賀城市との間で結んでおり、これまでに食品加工を中心とする製造業12社が進出している。
◆多賀城市職員の案内で「STEP」内を視察し、防災機能と産業復興支援機能を併せ持つ新しい工業団地のコンセプトについて聞く。
8.津波復興祈念資料館「閖上の記憶」(名取市)
仙台市の南、名取市の海沿いに位置する港町、閖上(ゆりあげ)地区は、震災前に約5,700人が暮らしていたが、震災で高さ最大9mの大津波に襲われ、約750人が犠牲になる壊滅的な被害を受けた。震災から10年が経過した今、かさ上げ地には住宅や商業施設の整備が進み、新しい街並みが姿を現している。2013年に再開した「ゆりあげ港朝市」や2019年開業の商業施設「かわまちてらす閖上」には週末を中心に多くの人が訪れており、街はにぎわいを取り戻しつつある。
津波復興祈念資料館「閖上の記憶」は、津波で14名の生徒が亡くなった閖上中学校の遺族会が建立した慰霊碑を守る「社務所」から始まり、閖上の人々が立ち寄り震災を伝える場所として、2012年4月にオープンした。「閖上の記憶」という名称には、被災した人々が自らの感情や記憶に向き合い、大切な記憶を整理し再び前に進むための場所という意味が込められている。被災者の心のケアが問題となる中、被災した当事者が語り部や案内人をつとめる活動は、震災について語り自らの心の整理を行う機会となると同時に、閖上を訪れる人々が閖上について知り、震災に向き合う人々の姿や命の尊さを学ぶ場となっている。
◆「閖上の記憶」の発起人で語り部でもある丹野 祐子(たんの ゆうこ)氏(閖上中学校遺族会代表)から、被災者の心のケアの拠点としての「閖上の記憶」の活動について話を聞く。
【写真提供:閖上の記憶】
9.有限会社マルタ水産(名取市)
日本一の水揚げ量を誇る閖上の名産「赤貝」など、仙台湾で取れる新鮮な海産物を扱う水産加工会社。赤貝の塩漬けを主力商品に、順調に業績を伸ばしていたが、震災による津波で工場は全壊。社長の相澤 信幸(あいざわ のぶゆき)氏は、息子で専務の太(ふとし)さんとともに、被災企業支援に名乗りをあげていた静岡県の水産加工会社でシラス(イワシの稚魚)の釜揚げ作業を手伝った。半年後、信幸さんは閖上に戻るとすぐに、知人の加工場を借りながら干物などの製造を再開。2012年には仮設工場を建設して赤貝の加工など事業を本格的に再開させ、2016年には現在の新工場が完成、翌年には勉強のために都内の大手水産会社で働いていた太さんも復帰した。
ちょうどその頃、主力商品だった閖上産の赤貝が不漁に見舞われる一方、それまでは福島県が漁獲の北限だったシラスが閖上でも水揚げされるようになった。相澤さん親子はシラスに目を付け、静岡で世話になった加工会社の指導を仰ぎ商品化を進め、国内の最も北で水揚げされる「北限のしらす」としてブランド化した。現在、「北限のしらす」は閖上の新しい特産品として認知され、地域を盛り上げている。同商品を使った料理を提供する「café malta(カフェ マルタ)」を2020年10月にオープンさせた太さんは、「自分たちが新しい閖上を作っていく。閖上を人が集う場所にしたい」と語る。
◆2020年にオープンしたcafé maltaを訪れ、相澤社長親子から、シラスとの運命的な出会いに支えられた復興の歩みについて聞く。
10.山元町震災遺構 中浜小学校(山元町)
宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する山元町は、震災時、町域の約4割が浸水し、死者637人、家屋は2,217棟が全壊する被害を受けた。
海岸から約400メートルの場所にある2階建ての中浜小学校は、宮城県南部に残る唯一の震災遺構。震災時、高さ約10メートルの大津波に見舞われ、2階天井付近まで浸水したが、「内陸の避難場所までの徒歩による避難は不可能」との井上 剛(いのうえ たけし)校長(当時)の判断から、児童と教職員、保護者ら90人は校舎屋上の屋根裏倉庫に避難。氷点下の寒さの中で一夜を明かし、翌朝、全員が無事に救助された。小学校は2013年3月に閉校したが、山元町では大津波の痕跡をできる限り残したまま整備し、震災の教訓を風化させず、災害に対する備え、意識の大切さを伝承する震災遺構として2020年9月から一般公開が始まった。校舎の内部は、大津波で剥がれた天井や泥に浸かった机や椅子、屋根裏部屋で児童らが寒さをしのぐために使われた学習発表会の衣装などが当時のまま保存されており、写真や映像では伝えられない大津波の痕跡や震災の脅威を体感できる貴重な伝承施設となっている。【写真提供:中浜小学校】
◆現在は、2021年2月に発生した地震ならびに同年5月の落雷の影響で震災遺構の一部に不具合が生じ、校舎内への立ち入りが禁止されているため、校舎前のメモリアル広場から施設の外観を視察し、同小学校で語り部活動を続けてきた井上元校長に当時の経験や現在の思いを聞く。
11.農業生産法人 株式会社GRA(山元町)
イチゴ栽培はかねてから山元町の基幹産業の一つであり、震災前には町内に約130軒のイチゴ農家があったが、震災で発生した津波によりその農地の95%がダメージを受けた。東京でIT企業を経営していた山元町出身の岩佐 大輝(いわさ ひろき)氏は、ボランティアとして町に通う中で、地元の人々から「経済や雇用を作ってほしい」と言われ、帰郷を決意。山元町特産のイチゴ栽培に構造変革を起こすことで故郷に新たな経済と雇用を創り、復興につなげたいと、震災当時、地元の山元町社会福祉協議会で福祉施設に従事していた同町出身の橋元 洋平(はしもと ようへい)氏と共に2012年1月にGRAを設立、「10 年で 100 社、10,000 人の雇用機会を創出する」とのビジョンを掲げた。
同社はイチゴ栽培にITによる生産管理を導入し、熟練の勘に頼ることなく効率的に、高品質なイチゴの安定供給を実現。品質改善とブランド化に成功した同社のブランドイチゴ「MIGAKI-ICHIGO(ミガキイチゴ)」は、最高級のものは首都圏の百貨店で1粒1,000円で販売されており、ミガキイチゴを使ったイチゴスイーツ専門店「いちびこ」を都内7店舗・宮城2店舗で展開している。同社の観光農園「ICHIGO WORLD」には、山元町の人口(1万2千人)の4倍以上にあたる年間約5万人が訪れ、経済効果を生んでいる。農業未経験者でも短期間で独立を可能にする新規就農支援事業にも力を入れており、イチゴ農園の経営ノウハウを学ぼうと県外からの参加者も多く、研修終了後に山元町内に定住しイチゴ農家を始める就農者も出てきている。
◆震災のボランティア活動を通じて岩佐社長に出会い、山元町のイチゴ復興のために同氏と共にGRAを立ち上げた、栽培部門責任者でもある橋元副社長に、GRAのあゆみと今後の展望について話を聞く。【写真提供:農業生産法人 株式会社GRA】
【実施要領】
1.日程
※日程は調整中のものであり、予告なく変更になる可能性があります。
<7月1日(木) >
07:08-8:40 東京駅~仙台駅(はやぶさ3号)
09:20-10:00 仙台市ブリーフィング
10:20-11:10 荒浜地区(荒浜慰霊碑-住宅基礎遺構-荒浜小学校)徒歩移動 ※雨天はバス移動
11:15-12:15 荒浜小学校
12:20-12:50 荒浜地区避難の丘
13:10-13:50 昼食@メモリアル交流館
14:10-14:45 津波の多重防御と避難施設(車窓視察)
15:00-16:30 荒井東復興公営住宅
17:00-18:30 さんみらい多賀城・復興団地
19:15 宿舎着(仙台泊)
<7月2日(金)>
7:40 宿舎発
8:30-10:00 津波復興祈念資料館「閖上の記憶」
10:10-11:40 有限会社マルタ水産
11:50-12:20 各自昼食@商業施設「かわまちてらす閖上」
13:10-14:40 山元町震災遺構 中浜小学校(外観視察のみ)
14:55-16:10 農業生産法人 株式会社GRA
17:30-18:30 仙台市長インタビュー
19:31-21:04 仙台駅~東京駅(はやぶさ42号)
2.参加資格:外務省発行外国記者登録証保持者
3.参加費用:13,000円
(全行程交通費、宿泊費(朝食込み)、1日目昼食を含む)
※2日目の昼食は、「かわまちてらす閖上」にて各自(自己負担)
※申し込み後に参加をキャンセルされる場合、理由の如何を問わず、以下のキャンセル料をお支払いいただきます。
・6月30日(水)15:00までのキャンセル 6,500円
・それ以降のキャンセル 13,000円(参加費用全額)
4.募集人数:8名(各社ペン1名、カメラ1名、TVは1社2名まで)
※申し込み人数が8名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。
5.FPCJ担当:
取材協力課 石田恵、山田 美穂子
(Tel: 03-3501-3405、E-mail: ma@fpcjpn.or.jp)
6.新型コロナウイルス感染症に関する対応について
参加者は、ツアー開始前の検温、ツアー中のマスクやフェイスシールドの着用、手洗い・アルコール消毒など、主催者の指示に従ってください。また、次の事項に該当する場合はご参加いただけません。
(1)ツアー参加前に検温を実施し、37.5度以上の発熱が確認された場合
(2)本ツアー実施日以前2週間において、発熱や咳、喉の痛みなど風邪の症状、嗅覚や味覚の異常、倦怠感や息苦しさ、体が重く感じる、疲れやすい等体調に異変を感じたことがある場合
(3)本ツアー実施日以前2週間において新型コロナウイルス感染症陽性とされた方と濃厚接触がある場合
(4)同居家族や身近な知人に感染が疑われる方がいる場合
(5)本ツアー実施日以前14日以内に政府から入国制限、入国後の観察期間を必要とされている国、地域等への渡航歴
または当該在住者との濃厚接触がある場合
7.備考:
(1)本プレスツアーは仙台市が主催し、株式会社近畿日本ツーリスト東北と公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)が企画・運営を担当しています。
(2)本ツアーの内容は、予告なく変更になる可能性があります。
(3)参加者には経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。
(4)仙台市と株式会社近畿日本ツーリスト東北、FPCJは、ツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して一切責任を負いません。
(5)写真・TV撮影に関しては、担当者の指示に従ってください。