プレスツアー(案内)

一覧に戻る

実施日 : 2020年02月04日 - 05日

百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群プレスツアー(大阪)

投稿日 : 2020年01月15日

― ユネスコ世界遺産に登録 ―

 

100万人の都市のなかで守られてきた1600年前の墳墓群  

 


・ヘリコプターに搭乗し、49基もの古墳を上空から撮影 

・開発とのせめぎ合いのなか、文化財をどう未来に残していくか

・古墳時代にルーツを持ち、現代に続く刃物職人の技 

 

 

 

日本第3位の経済規模を誇る大阪府。その都心からほど近い人口100万人のエリアに、約1600年前につくられた墳墓群がある。その墳墓49基が、2019年7月、ユネスコ世界遺産に登録された。登録決定に際し、人口密度の高い都市部で多くの墳墓が原形に近い状態のまま長年守られてきたことの価値が高く評価された。

 

これらの墓は、当時の日本を支配していた王の一族のもので、世界最大級の墳墓も含まれる。土を高く盛り上げた顕著な外観が特徴で、「古墳」と呼ばれる。百舌鳥(もず)と古市(ふるいち)の隣接する2つの地域に密集していることから「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」と名付けられている。このエリアは古代日本における東アジア諸地域との交流の窓口で、渡来文化受容の拠点として繁栄していた場所だ。古墳からの出土品の数々からも、中国大陸や朝鮮半島からの影響や、それらの地域との交流を見てとることができる。



 

これらの古墳には、地域の中で何世代にも渡って住民に愛され、守られてきた歴史がある。一方で、第二次世界大戦後の経済成長のなかで、開発の波が古墳群を襲った時代もある。


 

 

 

 

 

―― I. 100万人の都市のなかで守られてきた1600年前の墳墓群 ――

本プレスツアーでは、ヘリコプターに搭乗して上空から古墳群の撮影を行う。さらに、鍵穴形をした日本最大の古墳「仁徳天皇陵古墳」や、その古墳を長年守り、共存してきた地域住民を取材する。



―― II. 開発とのせめぎ合いのなか、文化財をどう未来に残していくか ――

1950年代には、戦後の急速な開発のなかで破壊された古墳もあったが、市民の署名や募金活動によって破壊を免れた古墳がある。本プレスツアーは、この「いたすけ古墳」を訪れ、当時、保存活動に参加した87歳の市民/研究者に話を聞く。また、古墳の一部が私有地となっている「津堂城山古墳」を訪れ、行政による私有地の買い上げ施策も取材する。さらに、古墳から出土した貴重な遺物を修復している現場も取材する。


 

―― III. 世界遺産登録後の地元自治体や企業の動き ――

加えて、古墳を観光に活かそうと奮闘する自治体や、古墳グッズの制作で地域を盛り上げようとしている地元企業を取材する。


 

―― IV. 古墳時代にルーツを持つ刃物職人の技 ――

「仁徳天皇陵古墳」がある堺は、プロ用包丁の国内シェア90%を誇る刃物の一大産地だ。この堺の刃物のルーツは、古墳の築造に使う鍬や鋤の生産で培われた鍛冶技術にあるといわれている。本プレスツアーは、古墳時代からの技を脈々と受け継ぐこの地の刃物職人も取材する。



本プレスツアーは大阪府が主催し、フォーリン・プレスセンターが企画・運営しています。

 

 

【取材内容】


 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------


I. 100万人の都市のなかで守られてきた1600年前の墳墓群


 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

1.ヘリコプターに搭乗して上空から撮影

人口100万の都市に残る、1600年前につくられた49基もの古墳

~東アジア諸地域との交流の中心地で花開いた、独自の墳墓形式~

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/mozu_furuichi.html

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/ichiran/1419077.html

 

大阪府の3市(堺市、羽曳野市、藤井寺市/人口計100万人)にまたがる百舌鳥・古市エリアには、4世紀後半~5世紀後半に築造された古墳89基が密集している。そのうち、原形に近い状態で残されている49基が、ユネスコ世界文化遺産に登録された。



この「百舌鳥・古市古墳群」は、古代の日本列島を支配し、中国大陸や朝鮮半島の諸勢力との外交にあたった王の一族やそれに次ぐ有力者たちの墓群で、土が高く盛られ、目立つ姿が特徴だ。

 

これらは当時の日本の政治文化の重要な中心地のひとつだった大阪平野にあるが、この地は中国大陸や朝鮮半島との交流の窓口であり、渡来文化受容の拠点だった。台地の上に築造された古墳群は、それらの地域との間を結ぶ航路の発着地である大阪湾に面し、海を航行する船から見えるように配置されている。東アジア諸地域からの来訪者や日本列島内部の勢力に対して古墳の威容をアピールするのに効果的な場所が選ばれたものと考えられている。

 

本プレスツアーでは、ヘリコプターに搭乗して上空からの撮影を行う。家々やビルがひしめきあうなかに数多くの古墳がある様子や、鍵穴形をはじめとした多様な古墳の姿を上空から捉える。

(※ヘリの窓は開けられないため、窓越しの撮影になります。)

 

 

 

2.鍵穴の形をした、日本最大の墳墓

仁徳天皇陵古墳 / 大阪府 文化財保護課 学芸員 三好 玄さん

~クフ王のピラミッドや秦の始皇帝陵に並ぶ巨大墳墓~

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/map/m02.html

https://www.city.sakai.lg.jp/smph/kanko/hakubutsukan/mozukofungun/kofun.html#cmsNINHYA03

 

仁徳天皇陵古墳(堺市)は、百舌鳥・古市古墳群を代表する日本最大の墳墓だ。一説には、クフ王のピラミッドや秦の始皇帝陵とともに「世界3大墳墓」とされ、墳丘の長さに限るとそれらのなかで最長だ。ユニークな鍵穴の形をしており、埋葬されているのは当時の日本(倭)を治めていた大王と考えられている。

 

墳丘の長さは486m、高さは35.8m、周囲を取り囲む三重の濠を含めた全体面積は約48万㎡におよぶ。築造には、1日最大2,000人が従事した想定で15年8カ月もの歳月を要し、のべ680万人が従事したと試算されている。ここからも、古墳をつくらせた王の権力の強大さを伺い知ることができる。

 

専門家の説明を聞きながら、古墳の正面に位置する「拝所」から古墳の外観を視察する。

 

 

 

 

3.長年住民に愛され、守られてきた古墳

ボランティア清掃グループ「仁徳陵をまもり隊」 事務局長 草野 利夫さん(66歳)

~人々の生活と文化財との共存の歴史~

 

百舌鳥・古市古墳群の特色の一つが、人口が密集する都市部において、1600年前の古墳群が守られてきたことにある。人々の暮らしのなかに長年存在し続けてきたのだ。

 

日本最大の古墳である仁徳天皇陵古墳も、古くから地域住民から「仁徳さん」と親しみを込めて呼ばれてきた。1900年頃までは、住民は古墳の敷地内に入って木を伐り、薪木を採るなど生活の糧を得る場として活用していた。そのような手入れによって古墳の形が維持されてきた、共存の歴史があるのだ。

 

周辺地域の自治会役員である草野 利夫さん(66歳)は、「この古墳は私たちの自慢。近くで育った人間にとっては生まれたときからそこにある身近な存在だ。世界遺産登録に向けた審査の際に、地域社会が古墳を大切に守ってきたことが評価されたと聞いて嬉しかった」と語る。草野さんによると、何世代もの近隣住民が古墳周辺の掃除をしてきたという。草野さんが束ねるボランティア団体でも大規模な清掃活動を年2回行っており、毎回300~500人が参加している。

 

仁徳天皇陵古墳の前で、清掃グループのリーダーである草野さんにインタビューする。


 

 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

II. 開発とのせめぎ合いのなか、文化財をどう未来に残していくか

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------


1.開発による破壊から市民の力が守った

いたすけ古墳 宮川 徏(すすむ)さん(87歳)

~経済発展とのせめぎ合いのなか、文化財を守った教訓~

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/map/m18.html

 

市民の力によって、破壊の一歩手前で守られた古墳がある。それが「いたすけ古墳」(堺市)だ。この地域は第2次世界大戦中の空襲で焼け野原となり、戦後は住宅不足に。そこで開発業者がこの土地を購入し、古墳を壊して宅地に変えようとしたのだ。戦後の復興と経済成長が急ピッチに進んでいた1955年の出来事だ。同時期、民有地にあった多数の古墳が開発の波に飲まれて姿を消している。いたすけ古墳には、工事を始めようと開発業者によってトラックを通すためのコンクリート製の橋が架けられた。

 

一方で、これを知って立ち上がった人々がいた。歯科医で在野の考古学者である宮川 徏さん(87歳)もその一人だ。当時大学生だった宮川さんは、仲間の若い研究者たちと共に保存を呼び掛ける活動に奔走。活動は反響を呼び、署名運動は多くの市民に広がった。さらに60万円(現在の貨幣価値で約350万円)もの募金も集まった。これを受け、堺市が開発業者から古墳を買い取ることを決め、すんでのところで古墳は消滅を免れたのだ。

 

宮川さんは、「当時は、こんなものは潰した方が地元の発展のためになるという意見もあったが、今となっては皆が残して良かったという。これは、その時代の物差しや知識には限界があることを示していると思う。100年も持たないビルの建設と、1600年前の文化財の保存のどちらが重要なのか、長い目で見る必要がある」と語る。

 

開発のために架けられた橋は、この経験を教訓とするためにあえてそのまま残されている。また、この古墳から出土したの形をした埴輪は、堺市の文化財保護のシンボルになっている。

 

いたすけ古墳の前で、破壊から古墳を守った宮川さん(87歳)にインタビューする。教訓を後世に伝えるためにあえて残されているコンクリート製の橋も撮影する。






2.行政による古墳(私有地)の買い取り施策

津堂城山古墳 藤井寺市 職員

~100年、200年かけて本来の古墳の姿に戻す、地道な取り組み~

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/map/f01.html

https://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/shiteibunkazai/kunifusiteibunkazai/1474416893371.html

 

 

4世紀後半に築造された津堂城山古墳(藤井寺市)は外から眺めるだけでなく、中に入って散策を楽しむことができる古墳だ。花しょうぶや梅、桜など季節の花が咲き、公園のような市民の憩いの場になっている。この古墳からは埋葬施設が見つかっており、巨大な石棺や鏡・武器などが出土した。

古墳を囲む濠は今は一重しか残っていないが、発掘調査によって、本来はその外側にさらにもう一重の濠があり、全体面積が現在よりもかなり大きかったことが判明している。長い歳月の中で、古墳という認識が薄れ、畑や住宅がつくられていったのだ。

 

藤井寺市は、土地所有者に働きかけ、少しずつ本来の古墳の範囲まで土地を買い上げる施策を1960年代から進めてきた。その成果で、一部のエリア(約42,600㎡)は公有化することができ、本来の形を取り戻してきている。 市は、「これから100年、200年かけて、住民の理解を得ながら古墳を元の姿に近づけていきたい」としている。文化財を守るための気長で地道な取り組みは続く。

 

古墳の敷地内に入って墳丘を上るとともに、大阪府および藤井寺市の職員の説明を聞く。また、この古墳から出土した石棺の実物大レプリカも視察する。


 

 

 

3.貴重な出土品を次世代に残すための修復現場

羽曳野市 文化財整理室・展示室 参事 伊藤 聖浩さん

~遺物の数々から見える中国大陸・朝鮮半島との深い交流~

https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunkazaihogoka/bunkazai/siryoukan/6743.html

 

古墳の特徴の一つとして、円筒形または人・動物・家などをかたどった焼き物である「埴輪(はにわ)」が数多く飾られていたことが挙げられる。その埴輪や、鉄製の武器や刀剣、銅製の装身具など様々なものが古墳から出土している。

 

百舌鳥・古市古墳群を構成する各市では、古墳から出土した遺物の修復が専門家によって行われている。土中から掘り出した小さな破片をひとつひとつ洗って分類し、繋ぎ合わせて原形に近い形に修復していく。気の遠くなるような作業の連続だ。

 

修復が完了した出土品は、一般市民に向けて展示されている。羽曳野市の文化財専門の職員である伊藤 聖浩さんは、「文化財は行政だけでは守れない。地域のみんなでその価値を理解し、守っていく意識が必要。だからこそ、文化財を修復して展示公開することに意義がある。未来に残していくために、特に子ども達に地元の貴重な資料について知って貰いたい」と語る。市は地域の小中学生が修復作業を見学する機会も設けている。

 

 

なお、古墳時代の日本には鉄を生産する技術がなく、朝鮮半島から鉄を輸入していた。さらに、その鉄を加工して刀剣や道具を作る高度な技術も中国大陸から朝鮮半島を経由して日本に伝わったものだった。埴輪を登り窯で焼く技術も朝鮮半島からの伝来だ。古墳から出土した数々の遺物から、1600年前のそれらの地域からの影響と、東アジア地域の深い交流を見ることができる。


羽曳野市の文化財整理室・展示室を訪れ、出土品の修復作業の様子を撮影する。さらに、専門家である伊藤さんの説明を受けつつ、朝鮮半島や中国大陸との交流が伺える様々な遺物を撮影する。

 

 

 


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

III. 世界遺産登録後の地元自治体や企業の動き

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

1.世界遺産を観光にどう活かすか。自治体の挑戦

堺市 「ハニワ部長」

~VR映像の活用など、魅力を分かりやすく伝える方法を工夫~

https://www.city.sakai.lg.jp/smph/shisei/koho/citypromo/haniwa/index.html

 

百舌鳥・古市古墳群が位置する堺市、羽曳野市、藤井寺市の3つの市は、世界遺産登録を目指すなかで様々なプロモーション活動を行ってきた。なかでもユニークなのが堺市の「ハニワ課長」の存在だ。

 

市の職員たちは、古墳は巨大過ぎて地上から見るとその形が分かりにくく、専門家以外の人々にその魅力をアピールしづらいという悩みを抱えていた。何とかして一般の人の興味を惹きつけたいと2016年に誕生したのが、埴輪の顔を持つスーツ姿の市職員「ハニワ課長」だった。一度見たら忘れられないシュールな表情のハニワ課長の存在はメディアに注目され、広報に大活躍。一躍人気者になった。(世界遺産登録後の2019年8月、課長から部長に昇進した。)

 

世界遺産登録後の今、ハニワ部長は「鍵穴の形をした古墳の姿をどのように観光客に見て楽しんで貰うかが課題だ」と語る。バーチャル・リアリティ(VR)映像を活用するなど、古墳の雄大さや築造当時の古墳の姿を伝える取り組みを進めている。

堺市の「ハニワ部長」に、文化財を観光にどう活かすかや、などについて聞く。

 

 

 

 

2.多彩な古墳グッズを販売し、埴輪づくり体験もできるショップ

河内こんだハニワの里 大蔵屋

~地域を盛り上げる地元企業~

http://okura-hd.jp/haniwanosato/index.html

 

周囲を3つの古墳に囲まれた場所にあるショップ「大蔵屋」(羽曳野市)では、オリジナルの文具を始め、古墳や埴輪をモチーフにした雑貨やお菓子など、古墳めぐりをする観光客のお土産になる多彩なグッズを販売している。地元の印刷会社が、古墳をより身近に楽しめる場所をつくり、地域を盛り上げたいと2019年4月にオープンした。

 

大蔵屋が力を入れているのが「埴輪づくり体験」だ。訪れる人は、土をこね、古代人に思いを馳せながら埴輪をつくることができる。社長を始めスタッフの古墳への情熱は熱く、保育園に出張して子ども達に埴輪づくりを教える活動もしている。さらにショップでは、鍵穴形の古墳をかたどった具材が散りばめられた「はにわ弁当」を食べることもできる。

 

 

 

 

 

 

 

大蔵屋を訪れ、埴輪づくり体験の様子や、古墳や埴輪をモチーフにしたグッズを取材する。また、昼食として「はにわ弁当」を食す。

 

(下2点画像提供:河内こんだハニワの里 大蔵屋)

 


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------


IV. 古墳時代にルーツを持つ刃物職人の技

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

1.古墳時代にルーツを持ち、現代に受け継がれる「堺の刃物」

水野鍛錬所 5代目 刀匠 水野 淳さん(43歳)

~プロの料理人用包丁の国内シェア90%を誇る職人の技~

http://www.mizunotanrenjo.jp/

https://www.sakai-tcb.or.jp/feature/detail/18

 

仁徳天皇陵古墳がある堺は、古くからの刃物の一大産地だ。熱した鋼を打って鍛え、1本ずつ手作業で生み出す職人技で知られている。その究極の切れ味が評価され、プロの料理人用の包丁では国内シェア90%を誇る。近年世界的に和食の人気が高まり、海外からも多くの料理人がこの地を訪れている。

 

提供:水野鍛錬所

堺の刃物技術のルーツは、仁徳天皇陵古墳の築造にあるといわれている。巨大な古墳をつくる工事が長期間行われるなかで、工事に使う鋤や鍬などの鉄製工具を生産する職人集団が堺に定住し、この地で鍛冶技術が発達したと考えられているのだ。

 

1872年創業の水野鍛錬所も、この伝統の流れを汲む老舗だ。5代目当主の水野 淳さん(43歳)は、刃物づくりについて「鋼の温度の管理など全ての工程が難しく。気が抜けない」という。水野さんがこだわるのは対面での直接販売だ。「一生モノの買い物なので、使う人から話を聞き、ベストなものを選んであげたい。売ったものはその後ずっとアフターケアしていく」と語る。

 

そんな水野さんには、アジアから欧米まで海外のファンが多く、売上の7割が海外の顧客に支えられているという。水野さんがつくった包丁を買った人が、その包丁で分厚い電話帳を一瞬で切る動画をYoutubeに投稿しているが、再生回数が130万回を超える人気ぶりだ。

(画像提供:水野鍛錬所)

 

 

 

水野鍛錬所を訪れ、5代目当主の水野さんにインタビューするとともに、火花を散らして鋼を打って鍛錬する刃物づくりの様子を撮影する。


 

【実施要領】

 

1.日程案:201924日(火)~5日(水)


【1日目】

7:30-10:00 東京-新大阪(新幹線のぞみ)
11:30-13:00 ヘリからの撮影  
⇒<古墳群の全体像の把握・撮影>
13:40-14:30 仁徳天皇陵古墳(概要説明+外観撮影)
⇒<日本最大の古墳>
14:30-15:00 「仁徳陵をまもり隊」 草野利夫氏インタビュー
⇒<長年古墳を愛し、守ってきた地元住民>
15:15-16:00         いたすけ古墳(外観撮影)+宮川徏氏インタビュー
16:10-17:00 宮川氏インタビューの続き(屋内)
⇒<開発による破壊から市民の力で守られた古墳>
17:00-17:45 堺市 ハニワ部長インタビュー
(大阪府、羽曳野市、藤井寺市のキャラクターも参加予定) 
⇒<世界遺産登録後の自治体の動き、観光への活用>
18:15 ホテル着(堺市内)
19:00 夕食

 

【2日目】

8:45 ホテル発(堺市内)
9:30-11:00 津堂城山古墳
⇒<文化財保護施策としての行政による私有地買い取り>



11:15-12:45 羽曳野市文化財展示室・整理室
⇒<出土品の修復現場/遺物の展示・公開の意義>



13:00-13:45 「大蔵屋」でのはにわ弁当の昼食
13:45-14:45 「大蔵屋」埴輪づくり体験ワークショップ、グッズ
⇒<世界遺産登録後の地元企業の動き>



15:25-17:00 水野鍛錬所(包丁の製造)
⇒<古墳時代にルーツを持ち、現代に受け継がれる「堺の刃物」>
18:33-21:03 新幹線:新大阪~東京

 

 

2.参加資格: 外務省発行外国記者登録証保持者

 

3.参加費用:     

12110,000円(全行程交通費、宿泊費、食費を含む)

1日のみ(日帰り)の参加も可能。その場合の参加費は、15,000(全行程交通費、食費を含む)

*お支払い方法、キャンセル料等は、後日参加者にご連絡します。

 

4.募集人数: 8名(各社1名、TV12名まで)。

*申し込み人数が8名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。

 

5. FPCJ担当: 吉田 知加(TEL: 03-3501-3405

 

6.備考:

(1)写真・TV撮影に関しては担当者の指示に従ってください。

(2)主催者およびFPCJはツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して、一切責任を負いません。

(3)参加者には経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。

(4)本ツアーの内容には変更の可能性があります。

FPCJとは
取材協力
取材に役立つ情報
活動の記録
外国への情報発信