実施日 : 2016年11月24日 - 25日
案内:日本遺産のまち・高岡市プレスツアー 「伝統産業の革新に挑む鋳物職人たち」
投稿日 : 2016年11月09日
400年以上の歴史を持つ富山県高岡市の銅器生産は、現在でも国内のトップシェアを誇っている。主要な製品は仏具や銅像、茶道具、美術品であり、市内には多くの工房が軒を連ねている。高岡の銅器・鉄器産業は、最盛期の1990年に販売額が374.5億円に達するものの、2012年には3分の1以下の120億円まで激減。バブル崩壊後の経済の低迷に加えて、生活環境の変化や仏教離れも影響し、伝統工芸品の仏具や花器などの需要が急速に低下していくなか、職人の高齢化と若手後継者不足が問題となり、廃業や規模縮小に迫られる企業も少なくない。そのような状況に危機感を募らせた鋳物づくりの職人が立ち上がり、分業体制下の下請けメーカーから伝統技術を活かしたデザイン性の高い商品開発を行う「ものづくり企業」に転身することで、現代のニーズにあった商品を売り出すことに成功。海外市場へ販路も拡大し、伝統産業界に革新的な変化をもたらしている高岡の鋳物メーカーは、職人を目指す多くの若者も引き付けており、全国でも稀有な成功例だ。一方、高岡の伝統工芸技術の粋を集めた御車山(みくるまやま)祭りの豪華絢爛な山車は「動く美術館」とも呼ばれ、御車山祭りは、今年ユネスコの無形文化遺産に登録される見通しになった。
商工業で発展した高岡の基盤産業である鋳物づくりは、1609年に高岡城とその城下町を築いた加賀前田家二代目当主の前田利長が、7人の鋳物師を金屋町に招いたことに始まる。しかし、開町からわずか5年後に利長が他界し、更にその1年後に高岡城も一国一城令で廃城となり、城下町として存続の危機に陥った。後を継いだ三代当主の利常は、高岡町民の他所転出を禁じることで職人の流出を抑えつつ、さまざまな政策を講じて高岡を町人中心の商業都市に発展させた。その後も、高岡は商人と職人の町として栄えた。特に鋳物産業では生活用具や農具といった鉄器具のほか、1750年頃には銅を使った仏具や花瓶などの細かい装飾を施した文化的な製品も製造されるようになった。こうした高岡の鋳物製品は、日本海側を通り北海道と大阪を行き来する北前船の交易によって、全国各地で販売されるようになり、一層町民文化が栄えた。高岡の歴史を語るストーリー「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡-人、技、心-」は、2015年に文化庁が認定する「日本遺産」に選ばれた。
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本ツアーは、日本遺産ストーリーに沿って、400年以上前に開かれた高岡の町民文化を築いた歴史を今に伝える文化財を巡りつつ、伝統技術を活かした新しい商品開発が国内外から注目を集める鋳物職人を取材する。
<鋳物企業>能作、二上、シマタニ昇龍工房、モメンタムファクトリー・Orii
<文化遺産>高岡城跡、瑞龍寺、金屋町、高岡大仏、伏木北前船資料館、高岡御車山会館
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※本プレスツアーは、高岡市日本遺産推進協議会が主催し、フォーリン・プレスセンターが企画協力しています。
※本プレスツアーでは、参加者には経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。
【取材内容】
――伝統産業の革新に挑む鋳物職人――
1.伝統産業を革新した先駆者が目指す次のステップ
株式会社 能作
能作千春(のうさく ちはる)氏(30)
リナウド・マルタ氏(24)
1916年創業、青銅や真鍮を使って仏具や茶道具、花器を手掛ける鋳物メーカー。鋳造した素材のままの製品を問屋に卸し、仕上げや販売は別の企業が行うという分業体制においては、消費者の声を聞く機会はなかった。商品を使っている人の反応を見たいと考えていた4代目の能作克治氏は、販売員やデザイナーの意見を取り入れ、社長に就任した2003年からインテリア雑貨、テーブルウェア、照明器具、オブジェといった自社商品を展開、柔らかい錫の特性を活かした自由に曲げて使える錫100%の器などのヒット商品を多く生み出した。国内に10店舗の直営店を構えるほどに成長した同社は、海外での販路拡大にも力を入れており、アジアや欧米諸国など約15か国に進出している。売れ行きとともに、15年前までは10名弱だった従業員数も今では約120名にまで増えた。錫の抗菌性と曲げて使用できる特性を活かし、医療分野にも進出している。能作は、分業体制で決まった仕事を請け負うだけだった高岡の鋳物産業界に、自ら商品を開発するという革新の道を切り開いた先駆者だ。
克治氏の長女の千春氏は、年配の職人が金属を溶かしているというイメージの家業に魅力を感じられず神戸のアパレル関係の会社で働いていたが、社内で能作の錫製品が話題となったことがきっかけで、3年務めた会社を辞め、2009年に帰郷。現在は、2017年4月に完成予定の新社屋での産業観光の立ち上げに取り組んでいる。能作では、工場見学を希望する観光客や学生を無料で受け入れており、年間8千人ほどが訪れている。新社屋では、年間2万人以上の来場者数を目指しており、鋳物づくりや職人技の周知と、同市や富山県の観光のハブとして機能させることが狙いだ。今年4月にはイタリア人のリナウド・マルタさんを採用し、外国人観光客やバイヤーにも対応できるよう体制を整えた。
能作千春氏から同社の概要説明を受け、リナウド・マルタ氏にも話を聞く。さらに、製品の加工現場を訪れ、溶けた金属を流し込む作業や、加工の様子を撮影する。
※取材の希望があれば、若手・ベテラン職人にもインタビュー可
2.使う人を魅了する、真鍮の素材を活かした生活用品をつくる鋳物メーカー
株式会社 二上
4代目 二上 利博(ふたがみ としひろ)氏(57)
1897年に創業し、100年以上前から仏具を製造してきた真鍮の鋳物メーカー。「輪灯」と呼ばれる浄土真宗の仏具である飾り照明を専門に造ってきたが、近年の核家族化や仏教離れにともない注文が減少。輪灯の売り上げは最盛期の約6割にまで落ち込んでいた。4代目の二上利博氏は、問屋に卸すだけの仏具に限界を感じ危機感を募らせていた時、あるデザイン関係のワークショップでデザイナーの大治将典(おおじ まさのり)氏と出会い、「これまで培った技術を使って何か新しいことを始めたい」と相談。それから1年後の2009年に、二上の高い製造技術を活かし、大治氏のデザインを形にした食卓用品や照明器具などの生活用品ブランド「FUTAGAMI」を立ち上げた。2015年にはネームプレートやレバーハンドルなど建築金物のブランド「MATUREWARE」も始動し、新しい分野への進出も進めている。
新ブランド製品の特長は、型から取り出したままの鋳肌(いはだ)を研磨や塗装などをせず、そのまま活かすことで真鍮の質感や、使い込むほどに出てくる色合いの変化を楽しめることだ。鋳肌をいかした仕上げ方法であるため、ごまかしがきかず、細部までこだわった製品づくりを行っている。「大量生産、大量消費ではなく、本当に必要としている人に必要なものを作る」ことにこだわる二上氏のもとには、美術大学を卒業した若者も職人を目指して就職を申し込んでくることもあり、社員15名の平均年齢は38歳と若い。今では、売り上げの85%を新ブランドの生活用品や建築金物が占め、輪灯は15%にとどまる。新ブランドの海外での売り上げは3割程度に達し、22か国で販売している。
二上氏より新ブランドを立ち上げるまでの経緯や、真鍮製造の技術について説明を受け、工場で作業の様子を撮影する。
※取材の希望があれば、若手職人にもインタビュー可
3.伝統の技で織りなす守り続けたい音とユニークな錫の器
有限会社 シマタニ昇龍工房
4代目/伝統工芸士 島谷好徳(しまたに よしのり)氏(43)
1909年創業、お経を唱える際に鳴らす仏具「おりん」を専門に製造している。真鍮の板を金槌で叩いて丸みを整える作業から、最後の調音まで一貫して行う技術は、工房で代々子から孫へ受け継がれてきた。4代目の島谷好徳氏は、高岡市を出て大学で国際政治を学んだ後、23歳の時に「次の世代につないでいかないといけない」と家業を継ぐことを決意し、帰郷した。祖父から技術を学んだが、成形に7年、調音に12年と、一人前になるのに長い月日を要した。特に、調音は職人の勘のみを頼りに、おりんの口を金槌で叩いて、調和がとれた音を導き出す職人技だ。
曾祖父の代から続くおりんの音を受け継いだ島谷氏だが、おりんの売り上げは最盛期に比べて3分の1に減った。ただ継ぐだけではいけないという思いから、同じ境遇にある高岡伝統産業青年会のメンバーとともに13年ほど前からギフトショーに出展。試行錯誤の末、2013年に金槌でおりんを叩く鍛金技術を活かした錫の器「すずがみ」をギフトショーに出展。折り紙のように自在に形を変えて使えるこのユニークな器に注目が集まり、メディアでも取り上げられるようになった。すずがみの売り上げが伸び、製造に携わる家族を入れて5名だった社員も20代の若者も含めて14名に増えた。海外からの注文もあり、これまで米国、スイス、オーストリア、フランス、ドイツ、オランダ、台湾、シンガポールなどへ輸出した。新ブランド「Syouryu」も立ち上がり、現代生活に取り入れられる商品として、すずがみが同社の人気商品となった今、島谷氏は創業以来の商品であるおりんについても「仏教を超越した楽器として海外にも広げていきたい」と抱負を語る。
島谷氏からおりん職人になった経緯を聞き、おりんづくりについて説明を受けながら焼き鈍しなどの作業の様子を撮影する。また、人気商品のすずがみについて説明を受ける。
※取材の希望があれば、若手職人にもインタビュー可
4.伝統技術で新しい金属の「色」を生み出すものづくり企業
有限会社 モメンタムファクトリー・Orii
3代目/伝統工芸士 折井 宏司(おりい こうじ)氏(46)
高岡市デザイン・工芸センターの日野 利(ひの とおる)係長
モメンタムファクトリー・Oriiの前身にあたる折井着色所は、1950年に創業し、銅器の最終工程である着色を専門的に担ってきた。伝統的な着色の技法は、塗料を使わずに様々な薬品や、大根、梅干、日本酒、米酢、糠(ぬか)などで、金属に化学反応を起こして腐食や錆を生じさせることで銅や真鍮が持つ様々な色を引き出すというものだ。こうした伝統的な技法を受け継ぐ折井着色所は、高岡で作られている仏具や伝統工芸品だけではなく、皇居の装飾具や美術品の着色も手掛けるほどの実力を持つ。
3代目の折井宏司氏は、東京のIT企業に就職し、順風満帆な生活を送っていたが、同じ東京で働いていた叔父から「跡取りのお前が継がないと、折井着色所の技がなくなってしまう」と言われ、1年ほど悩んだ末に26歳で高岡に戻った。しかし、伝統産業の衰退や不況の影響から入社2年後には会社の売り上げが最盛期に比べ約45%減った。このままではいけないとの思いから、高岡市デザイン・工芸センターの人材養成スクールに3年通い、着色の前工程である鋳物や加工技術を学んだ。スクールでの学びや同じ職人との出会いを通じて、自分で商品を開発したいとの気持ちが芽生えた折井氏は、伝統的な着色技法をベースにした新しい色の開発に加え、これまで困難とされていた薄い銅板への着色技法を3年かけて編み出し、新たにインテリアや建築材の商品開発と販売を始めた。2008年に社名をモメンタムファクトリー・Oriiに変更し、銅や真鍮の素材から色を生み出す同社の着色技術を活かした商品は人気を呼び、昨年の売り上げは低迷期に比べて5倍以上に伸びた。今では、売り上げの25%が下請けの着色業、75%がインテリアや建築材の自社製品で、従業員も2008年の5名から10名に増え、平均年齢も55歳から35歳へと若返った。ニューヨーク、ドイツ、台湾、中国などでの展示会にも積極的に出展し、アジアでの販売も開始、今後もヨーロッパへの販路拡大を目指す。
折井氏から同社の技術とこれまでの経緯を聞き、作業現場で着色の技法を撮影する。また、高岡市デザイン・工芸センターの日野利氏より50年ほど前から伝統工芸に携わる職人が「自ら考えてものをつくる」ためのデザインや技術を学ぶことができる人材養成スクールについて説明を受ける。
※取材の希望があれば、若手職人にもインタビュー可
――町民文化を築いた歴史を今に伝える文化財――
5.高岡城跡(高岡古城公園)
加賀前田家二代当主の前田利長が1609年に築城し、ここを拠点に現在の高岡の基礎となるまちづくりを進めた。しかし、5年後に利長が他界し、さらに徳川幕府の一国一城令により廃城となる。後を継いだ利常は、軍事拠点としての機能を失わないよう米塩の蔵を城跡に立てることで郭や堀を完全な形で残すことに成功。現在でも、城を覆う堀がその姿をほぼ完全に残しているため、当時の築城技術や軍事、政治状況などを知るうえで貴重な資料となっている。また、現在では高岡市立博物館、動物園、市民体育館などを有する高岡古城公園として市民に開放されている。
6.瑞龍寺
住職 四津谷 道宏(よつや どうこう)氏
前田利長の供養のため、後を継いだ利常によって建てられた寺。異母兄弟であった自分に当主を譲ってくれた利長に深く恩義を感じていた利常は、奥の法堂に利長の位牌を安置し、1663年に完成するまで約20年の歳月をかけて壮大な寺を建立した。建立当時は、周囲に壕をめぐらし、城を想わせるような姿だった。1997年に山門、法堂、仏殿の3つが国宝に指定、5つの建物 が国の重要文化財に指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。住職の四津谷道宏氏は、訪れた参拝客や観光客に瑞龍寺建立の歴史や寺の特徴をユーモアあふれる解説で案内している。
7.金屋町
前田利長が高岡開町に際し、新しい城下町の産業振興政策として、7人の鋳物師を金屋町に招き、税や労役を免除するなど多くの特権を与えて手厚く保護したことに始まる高岡鋳物発祥の地。約500mにわたりサマノコと呼ばれる格子造りの古い家並みが残る金屋町は、2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。今でも鋳物工房や錫アクセサリー作りが体験できる店が軒を連ねている。
8.高岡大仏
高岡大仏は、奈良・鎌倉の大仏と並び「日本三大仏」とも称されている高さ約16メートルの銅造の大仏で、1933年に再建された三代目。木製大仏だった初代、二代目は大火により焼失してしまったため、高岡市民の仏像再建への情熱と、再び焼失することがないようにとの願いから、高岡の鋳物職人の技術を集めて造られた。
9.伏木北前船資料館
近代物流の大動脈と言われ、大阪から瀬戸内海、山陰、北陸、東北を経て北海道を西回りに巡る航路を北前船という。航路には多くの港があり、富山湾の中でも恵まれた立地にあるのが高岡市の伏木港。江戸後期から明治期には多くの人や物資が行き来した港は賑わいを見せ、海運業などで財を成した家も多い。高岡の鋳物技術で製造された巨大なニシン釜も大量に北海道で取引され、高岡鋳物産業と町民の繁栄をもたらした。伏木北前船資料館は、明治期に廻船問屋として繁盛した秋元家を一般公開し、公易や伏木みなとの変遷など、北前船の通商で栄えた歴史を現在に伝えている。同建物は、船の寄港を確認する望楼がある高岡市内でも数少ない町屋であり、かつての屋敷や土蔵の様子をよく留める貴重な歴史建造物として、1998年に高岡市指定文化財に指定された。
10.高岡御車山(みくるまやま)会館
高岡御車山の歴史や伝統技術に触れ、年間を通して御車山を観覧することができる施設として、2015年春に開館した。高岡で富を築いた町民の財力と、高岡の職人の優れた金工、漆工、染織などの工芸技術で装飾された御車山は華やかで美しく、「動く美術館」とも呼ばれている。近年では、 これまで守られてきた伝統技術を次世代に伝えるため、5年間をかけて「平成の御車山」を制作しており、同館でその一部を見ることができる。高岡御車山は1960年に国の重要有形民俗文化財※に指定された後、1979年には祭行事が重要無形文化財に指定された。重要有形・無形民族文化財の両方に指定されているの文化財は、京都の祇園祭や埼玉の秩父祭など全国でも5件のみである。さらに本年、ユネスコの無形文化遺産に登録される見通しになった全国の「山・鉾・屋台行事」33件のうちの1件に選ばれている。
※指定された当時は、国重要民族資料指定第一号として
関係者に説明を受け、それぞれの文化財を取材する。
【実施要領】
1. 日程:2016年11月24日(木)-25日(金)
11/24(木)
8:12-10:48 東京-新高岡(かがやき521号、はくたか553号)
11:15-12:45 瑞龍寺
12:50-13:30 昼食
13:45-14:30 高岡御車山会館
14:45-15:45 高岡城跡・高岡大仏
16:00-18:00 モメンタムファクトリー・Orii
18:35- 夕食懇談会
11/25(金)
8:30 ホテル出発
9:00-9:45 伏木北前船資料館見学
10:15-11:45 二上
12:00-13:30 金屋町(昼食)
14:00-15:45 能作
16:15-17:45 シマタニ昇龍工房
18:00 新高岡駅着
18:23-21:16 新高岡-東京(はくたか574号)
※上記日程は変更が生じる可能性があります。
2.参加資格: 外務省発行外国記者登録証保持者
3.参加費用: 1人13,000円(全行程交通費、宿泊費、食事を含む)
*お支払い方法、キャンセル料等は、後日参加者にご連絡します。
4.募集人数: 10名(各社ペン1名、カメラ1名、TVは1社2名まで)。
*申し込み人数が10名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。
5. FPCJ担当: 於保(TEL: 03-3501-3405)
6.備考:
(1)写真・TV撮影に関しては担当者の指示に従ってください。
(2)高岡市日本遺産推進協議会とFPCJはツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して、一切責任を負いません。