変わりゆくねぶた祭り-若きねぶた師、ハネトたちの奮闘(2013年8月16日)
投稿日 : 2013年08月16日
【ウォッチ・ジャパン・なう vol.42/FPCJ】
2013年8月16日
変わりゆくねぶた祭り-若きねぶた師、ハネトたちの奮闘
青森の夏の夜を彩る「ねぶた祭り」。いま、若手の制作者が相次いでデビューし、新しい風を吹き込んでいます。
街を彩るねぶた(2013年8月3日)
東北三大祭りの1つでもある「青森ねぶた祭り」。毎年8月上旬、幅約9メートル、高さ約5メートルものねぶたが約20台、市中ではね踊るハネトと呼ばれる市民たちとともに祭りを盛り上げます。
題材選びから完成まで1年もの期間をかけてねぶたを制作するのは、「ねぶた師」と呼ばれる専属の職人たち。角材で支柱を作った上に針金で細部を組み立て、内部に電気を配して和紙を貼ります。墨やろう、顔料で下絵を立体におこしていき、台車に載せて組み上げれば完成です。
ねぶたの内部(ねぶたの家ワ・ラッセ内)
現在青森市内では、60歳代のベテランを中心に、15名のねぶた師が活躍しています。2011年に北村春一さん、2012年に北村麻子さんと、30歳代の若きねぶた師が次々に台頭。今年は、高校の講師を退職し、念願だったねぶた師として初陣を飾った立田龍宝さん(28)が加わりました。
北村麻子さんは、女性初のねぶた師としても注目され、昨年は優秀制作者賞を受賞。「同年代のねぶた師には絶対に負けたくない。先輩方にも、とても手は届かないけどいつか追いつきたい」と闘志を燃やしています。
ただ昔からのものをそのまま受け継ぐだけでは伝統ではない――。「師匠から学び、受け継いだ基礎の部分をしっかり自分のものにし、さらにそのうえにその時代にあったものをのせていくことが大事。まだまだ基礎の段階ですが、成長して自分なりに加えられるようになりたい」と話しています。
手掛けたねぶたの前で微笑む北村麻子さん
ねぶたは祭りの後、けがれを払う意味もあり、一部を除いて徹底的に解体してしまうもの。それでも祭りのために人生をかけるねぶた師たちがいます。決して安定した職業とはいえませんが、青森市内では、いつかは自分もと修行を続ける若者が多いといいます。
ねぶたとともに市中を練り歩くハネトたち(2013年8月3日)
ねぶたはもともと、農村部で暑い夏の眠気を吹き飛ばすために集落で踊り、灯ろうを流す祭りが起源ともいわれます。青森県内を中心に、広い範囲で続いてきました。遅くとも江戸後期には「ねぶた」の記述がみられるようになりますが、特定の宗教と結びついておらず、自然発生的であるがゆえに、いかに祭りを楽しみ、どのようなスタイルで守っていくか試行錯誤を続けてきた側面もあります。カラスハネトと呼ばれる若者の暴走を食い止める目的もあり、マナーを守るよう条例が定められたためか、かえって祭りの勢いが削がれ、静かになってしまったと寂しさを語る市民もいます。
2011年にオープンした「ねぶたの家ワ・ラッセ」
今年はしかし、「昔はこうだったとうれしくなるほど、顕著にハネトが増え、盛り上がったと感じる」と、青森市文化観光交流施設 ねぶたの家ワ・ラッセの吉岡隆施設事業課長は喜んでいます。ハネトの減少がメディアで取り上げられ、奮起した人々が多くいたこと、高校生の参加を促すなどの試みが少しずつ実を結んできているのが理由だと分析しています。
東日本大震災からまもなく2年半を迎える東北地方。2011年の祭りでは大きく減った観光客は、まだ戻り切っていません。祭りを契機に、復興への願いを新たにする声もまた、多く聞かれました。
古事記をモチーフに、復興への願いを込めた「日本創生」
■青森ねぶた公式サイト
■青森市文化観光交流施設 ねぶたの家ワ・ラッセ
http://www.nebuta.or.jp/warasse/
(Copyright 2013 Foreign Press Center/Japan)