キッコーマン株式会社 取締役名誉会長・取締役会議長、公益財団法人日本生産性本部 会長 茂木友三郎氏インタビュー
投稿日 : 2015年10月21日
ユネスコの無形文化遺産に登録されてあらためて世界が注目をしている和食をはじめ、海外に誇る魅力が多くある日本。日本の文化的な価値を生かして国際社会の中でどのようにふるまい、海外へ発信していくべきか、その方向性について伺いました。
~食文化交流の価値は相互理解が深まるところにある~
―ミラノ国際博覧会(2015年)では和食が注目を浴び、日本の食文化を国際社会に広く発信する機会になりました。茂木さんは、しょうゆの海外での普及に長年取り組んでこられましたが、日本の食文化の発信についてどのようにお考えですか?
しょうゆは、日本の食文化の中心の一部だろうと思います。そのしょうゆを海外で売ることは、日本の食文化を海外に紹介することと考えて仕事をしています。私も先日、ミラノ万博にまいりましたが、日本館に出店しているレストランに多くの人が訪れていました。日本の食文化への関心が高まっているのは、和食が美味しくて健康にいいからです。この万博が、日本の食文化への関心がさらに高まるきっかけになることを期待しています。
―和食のユネスコ無形文化遺産への登録など、日本の食文化の普及や食をとおした交流が盛んになってきていますね。
一昨年の12月に和食がユネスコの無形文化遺産に登録されました。日本の食文化を世界に理解してもらうために非常に役に立つだろうと思っています。私は文化の交流は世界の人々が仲良くなるために必要だと思っています。なかでも食文化は、文化の中で最も生活に密着したものです。「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、食の共通体験や食文化交流の価値は、人々の相互理解を促進させるところにあると思います。
―日本食や日本の農林水産物等をさらに世界に広めるために、どのような取り組みが必要だとお考えですか?
世界には約5万5千軒の日本食レストランがあると言われていますが、日本食や日本の農林水産物をさらに普及させるためには、レストランばかりでなく一般の家庭の中に浸透させていかなければなりません。しょうゆが世界で広く使われるようになったのは、レストランのみならず、家庭に浸透していったからです。しょうゆを現地の料理に使ってもらうために、現地の食材や嗜好にあわせたレシピを開発し、使い方を紹介して、しょうゆを現地の食文化に融合させる努力をしています。日本食や日本の農林水産物を世界に広めるためには、同じようなことが必要だと思います。
~しょうゆの国際化との関わり~
―いまでは世界中のスーパーでしょうゆが手に入るようになりました。海外で販売を始めたきっかけをお聞かせください。早くから現地生産も始められて、国際化が進んでいますね。
しょうゆの国際化のきっかけは、国内のしょうゆの需要の伸び悩みでした。昭和20年代はつくれば売れた時代でしたが、昭和30年頃になると、しょうゆの生産量が戦前のレベルに戻り、国内の需要が伸び悩んできたのです。しょうゆは生活必需品ですから使う量はだいたい決まっていて、全体の需要は人口の伸びくらいしか増えないのです。当時、当社の売上の8割がしょうゆで、そのしょうゆの需要が伸び悩むのですから、これは一大事です。そこで私どもの先輩は2つの戦略を打ち出しました。一つは国内でしょうゆ以外のものをつくって売る多角化戦略、そしてもう一つはしょうゆを海外に持って行って売る、という国際化戦略でした。国際化の方は、1957年にアメリカに販売会社をつくり、本格的にしょうゆの販売を始めたのですが、その頃に私が留学したわけです。帰国後、私は長期計画の仕事に携わりその検討過程で、私どもの先輩が打ち出した国際化の戦略は、方向性は正しいけれど赤字を正さないとだんだん先細りになる可能性もある、何とか黒字化する方法はないかと考え、アメリカに生産拠点を持つことによって採算があうようになる、ということを提案しました。紆余曲折はありましたが、1973年にアメリカにしょうゆ工場を作りました。工場ができた年に石油ショックがあり、1年目、2年目は大赤字でしたが、幸いにして3年目に好転し、丸4年で累積欠損が一掃されました。昨年度(2014年度)の当社の連結決算では営業利益の8割が海外事業です。
―ご自身はしょうゆのポテンシャルをどのようにご覧になっていましたか。
私は、留学する前はしょうゆについてあまり関心はありませんでした。しかし、アメリカのスーパーの店頭で、しょうゆで味付けをした肉を焼いてお客様に食べてもらうデモンストレーション(試食販売)を手伝っているとお客さんの反応がよかったのです。それで、「うまく努力をすればグローバルな調味料になるかもしれない」という印象を強くもちました。これをきっかけに私のしょうゆに対する考えががらりと変わり、「これは大変な商品になるかもしれない」と思うようになりました。それ以来今日まで、しょうゆの国際化に関わりを持ち続けているわけです。
~相手に「分からせる努力」を~
―世界経済フォーラム(ダボス会議)などを見ていると、1990年代に比べ、日本の経済界のリーダーのグローバルな場での発言や発信が目立たなくなっているような気がします。世界に向けて発信していくためにはどのような努力が必要だと思いますか。
世界経済フォーラム(ダボス会議)は毎年多くの人が参加しているので、日本のプレゼンスはむしろ高まっていると思いますが、他の国、例えば中国などのプレゼンスも高まっているので、相対的に日本は遅れを取っているように感じるかもしれません。もし日本のプレゼンスが低いというのであれば、よりプレゼンスを高める努力をしなくてはなりません。中国や韓国に比べて日本は国際広報の面で政府予算が少ないと言われていますが、予算だけ多ければいいというものではありません。予算を効率的に使いながらプレゼンスを高める努力が必要です。日本の広報は相手に分からせる前に自分たちで納得してしまっている部分があるので相手に「分からせる努力」をもっとしないといけないと感じますね。
―「相手に分からせる努力が必要」とのことですが、どのような伝え方をしたら相手に伝わりやすくなるでしょうか。日本人は議論が苦手だともいわれますね。
日本人はともすると、議論になるとカッとしやすいところがありますが、国際的な議論の場では冷静に意見を戦わせないといけません。また、日本人は慎み深いところがあるので積極的に話したり、大げさに言うのを嫌うところがありますが、これは反省材料だと思います。英語でする必要はありませんが、子どもの時からディベート(議論)の練習をしないと国際社会から遅れをとってしまいます。大げさに言わないと相手が分からない場合もあり、アメリカ人は少しオーバーなんじゃないかと思うくらいプレゼンテーションをやりますね。あれは勉強しないといけないと思います。国際的に言葉が通じないとか、文化的背景が違う人にものを説明するには、ある程度大げさに伝えないと分かってもらえません。文化が違うと黙っていても分かってもらえるということはほとんどないですね。
―日本人が国際舞台で力を発揮し、活躍していくために必要なものは何でしょうか。
まず、英語の教育が重要ですね。小さいときから英語の教育をして、早く慣らすということは必要だと思います。そして社会人になってからは、一つのことをきっちりと自信が持てるレベルまで持っていく、専門性を身に付けることです。あれこれかじった中途半端な人間になると国際的に通用しないように感じますね。ひとつの分野で専門性を身に付けるとほかの分野のことも身に付けやすくなると思います。経営者はジェネラリストだと思われた時代がありました。いまはそうではなく、経営者は経営のスペシャリストと考えられています。いくつかの専門性を身に付けた人が経営の専門性を身に付け、プロの経営者が成り立つのです。
~メディアを通して日本を理解してもらう~
―フォーリン・プレスセンターは日本の実情を正しく外国に理解してもらうために、日本と本国をつなぐ外国特派員にプレスツアーやプレスブリーフィングなどの機会を提供しています。私どもの活動をどのように見ていらっしゃいますか。
外国のメディアに日本をどう理解してもらうのか、ということは非常に重要なことです。メディアを通して世界の多くの人々に日本を理解してもらうわけですから、メディアの人たちに日本の姿を正しく書いてもらうように、また映してもらうようにするということは大変な仕事で、非常に意味がある仕事だと思います。外国メディアが日本を取材する際、言葉や習慣の壁がある中で、何らかのサポートによってより正確な報道につながる可能性があるとすれば、そのための努力をしていただきたいですね。また、日本には、海外に向けて情報発信したいと思っているものの、その効果的な方法が分からなくて困っている人々や企業、団体などがたくさんあると思います。そのような人たちと、外国メディアやその情報に接する世界の人々とをつなぐ役割を果たすことも大切なことでしょう。フォーリン・プレスセンターの仕事を通して外国の人が日本というものを知り、また日本人を理解するわけですから、今後もさらに有意義な仕事をしてくださることを期待しています。
(聞き手・山口 光 フォーリン・プレスセンター評議員。共同通信社経営企画室顧問。)
以上