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寄稿:広島の慰霊碑は12人の米兵原爆死者も対象(広島テレビ社長 三山秀昭)

投稿日 : 2015年08月31日

人類初の原子爆弾が広島に70年前の8月6日に投下された際、多くの日本人らに加え、米兵12人が被爆死した事実をご存じだろうか。12名の名前は原爆死没者名簿に記載され、広島平和記念公園の慰霊碑に奉納され、広島市民、日本国民によって慰霊の対象になっている。また、慰霊碑近くの国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では12人の遺影を見ることもできる。当時、大混乱の中、多くの遺体が散乱し、山積みして焼却されたため、誰の遺骨か名前が判明できなかった。米兵の遺骨も名前が判明しない日本人犠牲者の遺骨とともに、公園内の「原爆供養塔」に埋葬、供養されている。

 

 このことは、広島市民以外は、日米ともよほどの専門家か研究者しか知らない。当時、「米国の原爆で、米兵が死亡した」という事実は、米政府にとっては公表したくなかったことであり、原爆後の敗戦で、GHQの統治下の日本政府も公表出来なかった。

 

 原爆投下の9~12日前、米軍は広島県の海軍要衝・江田島や軍港・呉市などをB24爆撃機などで集中空爆した。甚大な被害が出た一方、うち5機が日本軍の高射砲などで撃墜され、計15人の米操縦士、射撃士らがパラシュートで脱出、漁民や農民に救出され、日本軍に引き渡された。うちB24「ロンサム・レディ号」のカートライト機長ら3人は事情聴取のため東京に連行され、残り12人は爆心地に近い広島城周辺の日本軍施設に捕虜として分散収容された。そこへ原爆が投下、即死した人、大怪我を負いながら逃げ出し、原爆投下目標地点とされる相生橋でうずくまっていた人、翌日死亡した人。うち2人は陸軍病院で治療を受けたが、8月19日に死亡したため、氏名と遺骨が一致、翌年までに米国の遺族のもとに返還された。また、当時、荒野原に林立する墓標の中に、広島市民が立てたであろう米兵2人の墓標も確認されている。当時、遺体は、道路に、河原に、川の中にあふれており、身元がほとんど分からず、残りの米兵は日本人犠牲者らとともに合同火葬されて「原爆供養塔」に収められ、祈りの対象となっている。

 

 この事実は広島の研究者が1977年に外交史料から発見、確認された12人は死没者名簿に記載し、慰霊碑に収められ、米国でも1983年に大学教授が国防総省に問い合わせて初めてその一部が明らかになった。日米政府とも未だ公式発表はしていない。

 

今年8月6日、松井一實・広島市長は平和宣言の中で、初めて米軍捕虜の原爆死について言及した。「その年の暮れまでにかけがえのない14万人もの命が奪われ、その中には…米軍の捕虜も含まれていました」。そして、宣言の後段で「来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする、各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて…被爆の実相に触れてください」と米大統領の広島訪問を熱望した。

 

0819キャプチャ (1)松井市長は7月末に東京の外国特派員協会で講演し、「来年4月のG7外相会合(広島)の際、ケリー米国務長官に原爆投下の謝罪を求めるか」と問われ、「詫びる、詫びないは問題にすべきでない」と明言した。広島県被爆者団体協議会の坪井直理事長(90)も「オバマ大統領に謝罪のハードルを課すのは核廃絶の近道ではない。被爆者は広島訪問を熱望している」と語る。地元の広島テレビは2年近く前から「オバマへの手紙」というキャンペーンを展開し、昨年5月、ホワイトハウスの高官に72人分の手紙を届けたが、両氏のほか、知事や経済団体、大学教授、プロ野球球団のオーナー、被爆者、若者、主婦に至るまで市民は「原爆投下の謝罪をしてほしい」とは求めておらず、もはや広島のコンセンサスだ。広島が求めているのは、未来思考で被爆地を訪問し、米兵も慰霊の対象になっている平和公園の慰霊碑に献花し、更なる核軍縮へのメッセージを世界に発してもらい、世界を少しでも「核なき世界」に向けて動かしてほしいと言うだけだ。

 

ロシアのプーチン大統領はウクライナ問題で「核の使用も検討した」と欧米を牽制した。ほかにも中国の継続的な軍拡、北朝鮮の核開発など、国際情勢が厳しさを増している。米科学誌はキューバ危機の際、「核による世界の破滅」まで2分前と警鐘を乱打した。冷戦の終結により17分まで戻ったが、今は3分に逆戻りだ。そんな状況下で「核廃絶」に一挙に進むことの困難さは理解している。ただ、核が国家のガバナンスが効かないテロリストに渡ったらと思うとゾッとする。これは核保有国とて、共通の懸念だろう。

 

オバマ大統領が2009年4月にプラハで世界に発進した「核なき世界」。広島は世界のどの地域よりも大歓迎した。その後、冷戦の壁があったベルリン・ブランデンブルグ門での2013年6月の「戦略核削減」の演説で、期待はさらに膨らんだ。

 

2011年に広島を訪れたボストングローブ紙のピーター・ケネロス論説委員長(※)も「ホワイトハウスは誤解してはならない。…広島の原爆で生き残った年配者も高校生も大統領には謝罪を要求していない。…大統領が核拡散の危険について世界に説得力のあるメッセージを伝えたければ、広島を訪問すべきだ」と報じた。

 

Hiroshima TV President

オバマ大統領はこれまで「広島へ訪れることが出来れば光栄だ」「ぜひ行きたい」などと直接口にしている。プラハでは「米国は核兵器を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある」とまで語ったではないか。任期最終年の来年、広島でプラハ演説の一層の具体化を訴えてほしい。それは大統領自身にもレガシー(歴史的遺産)となるではないか。生存被爆者の平均年齢は80.13歳に達した。もはや時間が限られている。

 

広島は真珠湾攻撃のホノルルとはすでに姉妹都市となっており、市民レベルでは、和解が出来ている。広島市民は寛大な心でオバマ大統領の訪問をお待ちしている。

 

 

 

 

 広島テレビ社長 三山秀昭 

みやま・ひであき 一九四六年富山県生まれ。早大卒。

読売新聞社ワシントン特派員、政治部長など歴任。

平成23年6月広島テレビ放送株式会社 社長に就任(現職)

 

※  フォーリン・プレスセンターの先進国記者招聘事業で2011年2月21日から3月3日まで訪日。記事原文(リンク)

 

 

 

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