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【インドネシア/ニュージーランド】第4回FPCJシンポジウム「減災のための情報発信」招聘記者

投稿日 : 2015年02月20日

大災害が発生した時、また次なる災害に備えるため、メディアは何ができるのか―。2015年1月15日の第4回FPCJシンポジウム「来たる災害に備えて:減災のための情報発信体制の整備」に合わせて来日したアーマッド・アリフ記者(インドネシア/コンパス紙)、レイチェル・グラハム レポーター(ニュージーランド/ラジオ・ニュージーランド)、ポール・ゴーマン記者(ニュージーランド・ザ・プレス紙)に、災害報道への熱い想いを聞きました。

 

 アリフさん   レイチェルさん(たて)   ポールさん(たて)

(写真左からアフマッド・アリフ氏、レイチェル・グラハム氏、ポール・ゴーマン氏)

 

―みなさんは、それぞれの国で災害を経験され、日ごろから災害や防災・減災に強い関心を持って報道をされています。ご自身の被災経験と、特に関心のある取材テーマについてお聞かせください。

 

(アリフ氏)私は、約20万人の死者・行方不明者が出た2004年12月のスマトラ沖大地震・インド洋津波を経験しました。たくさんの同僚と、大切な親友を失いました。地震の2日後から被害の大きかったアチェ州に移り住み、3年間、町の苦しみ、町を再建しようとする人々の姿を取材しました。アチェを離れた今も、アチェや津波に関心を持って取材しています。

 

当時、インドネシアの人々には津波の知識がありませんでした。津波に関する情報が全くなかったのです。地震の後に津波が来ることを知らなかったために、海岸で亡くなった人が大勢いました。大手日刊紙のコンパス紙でさえ、津波に関する記事は、2004年まで一度たりとも掲載されていませんでした。過去にも大きな津波はあったのに、教訓や情報が伝わっていなかったのです。メディアとして、人々に災害や防災の情報を届ける重要性を感じています。

 

(グラハム氏)私は、185人が亡くなった2011年2月のクライストチャーチ地震と、その前年に発生した2010年9月の地震を経験しました。被害の大きかった2月の地震の時は、クライストチャーチ市中心部のオフィスにいました。地震の瞬間は自分がレポーターであることも忘れ、ただ怯える一市民になっていました。取材に必要なマイクやギアなどを持って建物から避難しました。

 

状況を把握して伝えなければと思いましたが、自分の家や家族も当然気になります。4人という小さな取材チームなので、仕事とプライベートのバランスを取るのが難しかったです。地震の日は真夜中まで家に帰れませんでした。家族の支えになりたいという気持ちもありましたが、仕事のために家族と離れていました。

 

地震以降、地震のことだけを取材してきたようなものです。ニュージーランドでは、公や民間の地震保障が一般的ですが、制度が非常に複雑で手続きが遅いこともあって、家やビジネスを再建する難しさを取材することが多いです。また、液状化などの影響で、家を捨てて移住しなければならない人も多く、そういった人々の声も聞いています。

 

(ゴーマン氏)私は、2月の地震のときは、ロンドンにいました。真夜中に起きて携帯電話を見たら、52件もメールがあり、そんなに友達もいないのに何事かと思いましたね(笑)。ベッドに座り、クライストチャーチを再び襲った大地震のメールを読んで、背筋が凍る思いがしました。現地では電話が通じず、取材が難しくなっていたので、私もロンドンから首都のウェリントンに電話をかけて取材をして記事をメールで送りました。自分の家族が無事かどうかは、その時点では分かりませんでした。

 

2日後にクライストチャーチに帰ると、社屋は壊れ、停電し、女性社員が亡くなったり、社員数名が重症を負っていたりと、会社も街もめちゃくちゃな状態でした。私たちにも地震の影響が様々な形で押し寄せるなかで、日々記事を書かなければなりませんでした。私は、チーフレポーターのシフトにも入っていたので、誰が何の取材をしているか、記者が必要な休みを取れているかといった管理のサポートにも気を遣いました。

 

 

―災害を経験して、メディアの役割に対する考え方、またジャーナリストとして働く姿勢に変化がありましたか?

 

(アリフ氏)先ほども話したように、アチェでは、情報がなかったために多くの犠牲が出ました。地震の後に津波が来ることを人々が知ってさえいれば、死なずにすんだ命がたくさんあったと思います。私たちジャーナリストが災害や防災についてもっと報道することで、より安全なコミュニティに貢献できると思います。

 

また、インドネシアでは、悪いニュースほどニュースとして価値がある(“Bad News is Good News”) という考えが強く、災害時にたくさんの遺体の写真を掲載するなどの傾向があります。私は、そうした災害報道ではなく、災害の教訓を次に生かす報道こそが大切だと訴えたいです。

 

(グラハム氏)災害の時、市街地では停電が続きました。停電し、何が起きたかというと、市民が車のラジオに集まって熱心に耳を傾けたのです。その光景を見たときに、市民に正確な情報を伝え、彼らが知りたいことや知るべきことを伝える役割の重要性を認識し、自分の仕事に誇りを感じました。

 

一方で、自分自身もクライストチャーチに住み、被災したレポーターとして、ウェリントンにある本社との間に温度差も感じました。本社は、もっと良いニュースがないか、あの人にあれを聞けこれを聞けとプレッシャーをかけて要求してきます。しかし、自分としては、本社の見ていないところでも色々な取材をしているのです。この人にはこれ以上聞けない、と思うこともあります。そのバランスをとるのが難しく、目先のニュースではなく大局を見ることも必要だと主張し、本社の要求を断ることもありました。災害時の取材では、会社から言われたことをただやるのではなく、自分自身が精神的に無理のない範囲で行う必要があると感じました。

 

(ゴーマン氏)プレス紙は、地震があった2011年に創刊150年を迎えました。地震の前は他の新聞と同じように徐々に発行部数が減っていました。しかし、地震の後、部数が回復しました。地震の翌朝、何もかもが異常事態のなか、新聞配達の音がいつもどおり聞こえたことが信じられなかった、という読者の声をたくさん聞きました。

 

パソコンも携帯電話も使えず、インターネットで情報にアクセスできないなか、新聞だけは毎日届き、読むことができる。読者は新聞に対する当事者意識を驚きとともに再認識したと思いますし、私たち自身も、私たちのためでなく読者のための新聞を作っているのだと再認識しました。個人的にも、ジャーナリストとしての責任感が強くなり、あらためて自分の仕事は大切だと思うようになりました。

 

 

 

―今回のプログラムでは、東日本大震災から間もなく4年を迎える東北地方と、阪神・淡路大震災から20年を迎える神戸市を取材されます。日本の経験から何を学びたいですか?

 

(アリフ氏)私は、アチェや他の都市でまた同じ災害が起きたら、また同じような被害が出るだろうと危惧しています。インドネシアでは、災害への備えはできていません。津波が来た全く同じ海岸地域に人々が戻り、家が流された全く同じ場所に家が建てられています。私は、ジャーナリストとして「防災」の啓発が最も大切だと思っています。インドネシアには127もの活火山があり、地震や津波の危険は高いです。日本は常に災害の教訓から学ぶ姿勢があるので、災害への備えを学びたいと思っています。

 

(グラハム氏)阪神・淡路大震災から20年が経った神戸では、災害の傷跡はほとんどないのかもしれませんが、人々は災害のことを忘れていないのか、記憶はどの程度残るのかに興味があります。地震から4年が経ったクライストチャーチでは、地震の後、建物の耐震基準を厳しくしようとしていますが、「本当に必要?」といった揺り戻しの議論も出ています。日本で、20年前の教訓がどう生かされているのかを知りたいです。また、地元メディアが、当時どう対応したのかにも興味があります。

 

(ゴーマン氏)東北と神戸の復興の状況を比較しながら取材したいです。日本は、ニュージーランドに比べ地震が多い地域なので、自分の国との比較・対照をしたいと考えています。そしてもちろん、災害で亡くなった、多くの方々に思いを馳せたいと思います。

 

3記者(ヨコ)

 

 

<略歴>

Ahmad Arif (アーマッド・アリフ) インドネシア コンパス紙記者

2003年よりコンパス紙で記者。インドネシアの災害報道の第一人者。東日本大震災は発生から3日後に宮城県を取材。2011年~12年にかけてコンパス紙のプロジェクトでインドネシア国内を回り、過去の災害の記録や災害に関する伝承が人々の行動の与えた影響などを取材。著書にJurnalisme Bencana, Bencana Jurnalisme (報道の災害、災害の報道)ほか。

コンパス紙】 1965年創刊、発行部数約50万部を誇る国内最有力日刊紙。首都圏を中心にインドネシア国内で広く発行されており、主に中上流層・知識層に支持されている。

 

Rachel Graham (レイチェル・グラハム) ラジオ・ニュージーランド シニアリポーター

2011年のクライストチャーチ地震の際、市内のラジオ局内で被災。発災直後から復興に至るまでの4年間、被災した人々に寄り添う報道をしている。

ラジオ・ニュージーランド】 1925年から放送を開始した公共放送局で、1995年に現在の組織となる。ウエリントンの本部のほかにオークランド、ハミルトン、クライストチャーチなど国内10か所に支局がある。

 

Paul Gorman (ポール・ゴーマン) ニュージーランド ザ・プレス紙 サイエンスエディター

地質学者としての知見を活用して、2011年クライストチャーチ地震について科学的側面からも多数報道。

ザ・プレス紙】 1861年創刊の日刊紙。発行部数は8万5千部でニュージーランド南島最大の発行部数を誇る。

 

3名の記者は、1月15日のシンポジウムを挟み、1月13日~14日の日程で宮城県女川町を、16日~17日の日程で神戸市を取材しました。 全プログラムの報告と、記者による報道ぶりはこちらをご覧ください。

 

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