【シンガポール】シンガポール プレス ホールディングス『聯合早報』符祝慧 日本特派員
投稿日 : 2014年04月04日
シンガポール プレス ホールディングスが刊行する華字紙「聯合早報」へ、日本発のニュースを14年余り発信し続けている符祝慧日本特派員(49)= 東京都。「日本に住まなければ見えてこない、素晴らしい側面がある」という符特派員に、日本の印象や日本での取材について聞いた。
-日本はどんなところですか。
一言でいうと清潔感がある。家に入るときに靴をきちんと揃える。旅館でも、家庭でも、公共の場でも、震災の時さえそう。他の国にいっても見かけない。また、「おもてなし」は、日本に来なければ、あるいは住まないとわからない部分。お店で買い物をする時など、店員さんの対応ひとつひとつに、細かい心遣いがある。私は「心からの仕事」と呼んでいる。日本に住まなければみえてこない、素晴らしい側面がある。
~きっかけは「オールド・クールジャパン」山口百恵主演のドラマ~
―なぜ記者になろうと思ったのですか。
はじめは、記者になることではなく、演劇やドラマ製作に関心を持っており、テレビの仕事をしたいと思っていた。当時、シンガポールにメディアを勉強できる大学がなく、留学を考えた。日本を留学先に決めたのは、今で言うクールジャパン。「オールド・クールジャパン」と言えるでしょうか。放送されていた山口百恵主演のドラマの影響もあった。大学を卒業後、テレビの製作プロデューサーをしている父から、まずはドラマより時事番組をやった方が良いと勧められ報道の分野での仕事が始まった。
―これまでで最も印象的な仕事は。
東日本大震災の印象が強く残っている。3月11日が近付くと、被災地を訪ね、毎年同じ人に会い、インタビューしている。震災では、取材する側もされる側も、普段の取材とは違う。記者の質問は、つらい出来事を思い出させてしまう。取材する側も、どう乗り越えていくかをともに考えることが大事。大学を卒業してから20数年間記者をするなか、2011年の東日本大震災と1998年のインドネシアでの暴動、この二つの取材が最も強く印象に残っている。人間にとって辛いものは、戦争と天災。幸せな瞬間がすぐになくなってしまう。
~東南アジア全体へ波及するシンガポールメディア発の記事~
―今後、どのような取材を考えていますか。
目立たないことかもしれないが、中小企業に目を向けている。トヨタなど成功企業の背後に、中小企業の支えがあることを、まだまだ東南アジアの人たちは、認識していない。日本経済は、停滞していると言われているが、まだ発見されていない宝物をもっと発信すべきだと考えている。
― シンガポールだけでなく東南アジアの読者を意識するのは何故ですか。
シンガポールメディア発の記事は、中国、香港、東南アジアからも見られている。「聯合早報」のオンライン版は、とりわけ世界の華人からのアクセスが多いので、記事を書く際は、東南アジア全体の読者を意識している。大きく波及した記事の具体例として、日本の化粧品の流行の背景を書いた記事がある。「日本の女性は化粧しないと外に出られない」という見出しで、ゴミだしにもファンデーションを欠かさない日本女性の日常風景を紹介したが、マレーシアの新聞や各国のオンラインニュースサイトなどあちこちに転載された。
~二度と戦争をしないという信頼をアジアから得ることが大事~
― 日本留学を決めた際、ご家族からの反対はありましたか。
祖母からは、口を聞いてくれない程、反対された。祖母は、第二次世界大戦でつらい体験をした。日本人に対する印象は戦争だけだったので、自分が育てた孫が日本にいくことが怖かったのだと思う。祖母には、今の日本はかつてと同じではないと伝えた。日本にも来たことがある。二度と戦争をしないという信頼をアジアから得ることが大事。つらい経験をした世代も、今の日本を見ようとしている。
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シンガポール プレス ホールディングス 「聯合早報」
シンガポール プレス ホールディングスはシンガポール随一の出版企業で、新聞19紙(英語、中国語、マレー語、タミール語の4言語)を発行する。主な新聞としては、ストレーツ・タイムズ紙(英字紙)、聯合早報(華字紙)など。聯合早報は、シンガポール以外でもインドネシア、ベトナム、中国本土の主要都市などで販売されている。
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符祝慧(フー・チューウェイ)日本特派員
1964年 シンガポール生まれ。シンガポールで高校卒業後日本留学。日本大学芸術学部(放送学科)卒業。東京大学大学院(情報学環)修士課程修了。シンガポール国営放送時事番組ディレクター、U channelレポーターを経て2000年からSingapore Press Holdings「聯合早報」東京特派員。