【英国】ザ・タイムズ紙 リチャード・ロイド・パリー東京支局長
投稿日 : 2014年03月31日
地下鉄サリン事件や阪神大震災があった1995年の来日後、日本を見つめ続けてきたザ・タイムズ紙のリチャード・ロイド・パリー東京支局長(45)。その厳しくあたたかいまなざしの奥に眠る思いを聞いた。
-日本に興味を持ったきっかけは。
高校生の時に友人とクイズ番組に出て優勝し、2週間の日本への旅行を勝ち取った。若く、ヨーロッパを出たこともなかった自分にとって、「まったく知らない国」であること自体が魅力で、刺激的な経験だった。英国では高校と大学の間に1年間遊学することがよくあるが、私はその間にもう一度日本に行くことに決めた。その後大学を卒業してフリーの記者になったが、日本に戻るチャンスがあるならどんなものでも、と思っていた。その1つが外国人旅行者向けのガイドブックの執筆。1993年には1年間かけて日本中をくまなく旅して回った。
-日本のどこに魅力を感じたのですか。
社会の複雑さと、西洋との大きな違いだ。日本を深く知るようになった今でもひきつけられている。日本は本当に豊かで西欧のように高度に発達した先進国。世界中の大都市はどこも一見とてもよく似ているが、長く住んでいると、社会の構造や人々の考え方に大きな違いがあるとわかる。そこに魅せられる。長くいすぎてどこかに移りたいと思うこともあるが、東京でしばらく暮らすと他には住めなくなる。優れたインフラと日本社会の強みがある。安全でほとんど犯罪がなく、人々は誠実で親切。サービスのよさはずば抜けているし、食事も最高だ。
~ 震災被害 真実を伝え始めることさえできていない ~
-新聞記者として来日した当時の状況は。
日本に到着したのはサリン事件のちょうど2日後。当時インディペンデント紙の記者だったが、それまで東京支局にはベテランの特派員がおり、日本は少し面白みがなくなってきたから若手に、という交代だった。ふたを開けてみれば、阪神大震災、サリン事件、第2次世界大戦後50年と、1995年はとても大事な年だった。バブル崩壊の影響も出始め、大きな経済スキャンダルも続いた。日本にとってはよくないニュースだが、若いジャーナリストとしては本当に充実した毎日だった。
-19年間の記者生活を通じて印象的な出来事は。
最大の出来事はもちろん、2011年の東日本大震災。スマトラ沖大地震・インド洋大津波で大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州を2004年に取材したが、千年に一度という規模の津波に人生でもう一度出合うことになるとは思わなかった。その後東北にはたびたび行っており、今、津波のことを本につづってもいる。写真や映像、統計を見ることはできても、直接被害がなければ肌で感じるのは難しい。直後に現地を訪れ、人々と話し、たくさんの記事を書いたが、真実を伝え始めることさえできていないとも感じる。短い記事でなく本であれば、被害の規模を伝えられるかもしれない。
-日本で働く上での難しさは。
働くにはよい場所。難しさは感じない。言語をはじめ、日常での様々な違いはあるが、それは訪れる人次第。その国に行くなら自分で解決方法を見つけなければ。記者クラブや閉鎖性に不満をもらす外国人記者もおり、確かにある種の差別や外国メディアの排除は時にある。しかし、19年前よりずっとよくなった。省庁も含めて日本の機関は、ますます互いに深く結びつく世界において、タイムリーに正確な情報を提供して外国人記者を助けることこそ利益になると理解してきている。排除していても得るものはない、と。
~ 記者の本分は権力者を困らせること 日本のメディアは読者に答えていない ~
-日英メディアの違いは。
本当に優れた日本人記者をたくさん知っているが、総じて言えば、日本の記者と英国の記者は自分たちの役割や仕事の本分をどう見るかという点で大きく異なっている。英国の記者にとって仕事上の目標や誇りは、権力を持つ人々を困らせることにある。正しい事実に基づいた報道で、権力者の嘘や隠ぺい、社会的な損失を明らかにする。トラブルメーカーともいえる。日本の記者は逆だ。もちろん例外はあるが、権力を持つ機関を批判したり妨げたりすることに消極的だ。情報を取るためというより、社会自体に対立を避けようとする構造があるからだ。対立は必ずしもよいことではなく、日本に住む上で居心地のいい点には違いない。しかし、日本のメディアは、難しい質問をしないことで読者や視聴者を失望させているのでは。原子力についてもそうだ。東京電力は「想定外」の災害だと主張したが、科学者や原子力産業内部の人々なども想定していたことで、彼らの声は原子力産業界だけでなくメディアからも無視されていた。
-FPCJに求めるものは。
ブリーフィングや多くのプレスツアーに参加してきた。日刊紙に記事を書くのは、月刊の雑誌とはペースが違う。午後の1、2時間、あるいはツアーで1、2日費やすには、自分が書こうとしていることに必ず役立ちそうなアイデアを得られる必要がある。プレスツアー「首都圏直下型地震に備える東京」に参加したが、非常に面白かった。今週の記事、という話題ではないが、東京にとって大きな話であるのは間違いない。日本の文化や技術、芸術も好きだが、平日にはなかなか参加できる時間がない。今後については、尖閣諸島へのプレスツアーをできる限り早くやってほしい。中国や韓国との関係や安全保障政策、日本人のナショナリズム、原子力政策の将来、高齢社会の影響。こういった話題に興味がある。
~ 変わる新聞業界 よりよいジャーナリズムを ~
-今後重視するテーマを教えてください。
津波とその後、福島については、これからも追い続ける。また、この2年で東アジアでの日本と各国、特に中国との関係が、敵対的なものへと大きく変わってきている。安倍総理は武器輸出や集団的自衛権、潜在的には憲法改正も含めた大きな変化をもたらそうと野心を抱いている。もしその半分でも実現されれば、日本の戦後史における最大の変化となるだろう。
-新聞の将来をどう考えますか。
他紙もそうだが発行部数はここ数年減っており、ウェブサイトでどう利益を生み出すかは大きな課題だ。以前は締め切りは1日1度だったが、今は紙面用の出稿の後にウェブサイト用の記事を書くことも多い。今この瞬間だけを切り取れば、業界は縮小し、予算や人員も削減されている。現在東京は重要な拠点だが、特派員を置くのは高コスト過ぎるとの判断がいつか出るとも限らない。このままであってほしいが。もっとも、変化にはよい側面もある。かつてなく多くの人に読まれており、私たちもよりよいジャーナリズムを提供しなければならない。24時間体制のウェブサイトといえど、通信社の役割を担いたいわけではない。単に事実を素早く伝えるだけではなく、これまでのように、読者を意識し、生の情報にしっかりした分析を交え、付加価値をつけて提供していくことが求められる。
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リチャード・ロイド・パリー東京支局長
1969年1月生まれ。英国・マージーサイド州出身。オックスフォード大学卒業後、フリーランスでの活動を経て、1995年にインディペンデント紙の東京支局特派員に。2002年より、タイムズ紙へ。日本を拠点に、北朝鮮、韓国、東南アジアをカバーする。2005年、インド洋大津波の取材と二重被爆者の故山口彊氏へのインタビューでBBC(英国)の番組の「今年の外国特派員」賞を受賞した。
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現存する新聞社としては世界最古の1785年創刊。ザ・タイムズ紙のほか、サンデー・タイムズ紙、サン紙の計3紙がニューズUKに属する。同社はウォール・ストリート・ジャーナル紙などを抱えるダウ・ジョーンズ社の傘下にある。平日版、日曜版を合わせ、発行部数は印刷版約20.7万部、オンライン版約15.3万部(2014年2月)。ザ・タイムズ紙の現在の東京支局員は、アシスタント、フリーランスを含め4名。1894年、横浜で水道設備建設に協力した技術者兼英国軍将校のハリー・スペンサー・パーマーが日本初の特派員となった。