プレスツアー(案内)

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実施日 : 2013年06月26日 - 27日

案内:水俣プレスツアー 「公害のまちから環境首都へ」(2013年6月26日-27日)

投稿日 : 2013年08月22日

人体に有害な水銀を使った製品の製造や輸出入を規制する新たな条約の採択・署名のための外交会議が、今年10月、熊本県の熊本市及び水俣市で開催される。条約は、「水俣病と同様の健康被害や環境破壊を世界で繰り返さない」という決意を込め、「水銀に関する水俣条約」と命名された。同外交会議には、約140カ国から政府高官を含めおよそ800人が参加する予定だ。

 

世界へ水銀汚染による公害病の恐ろしさを知らしめた「水俣病」は、化学工場から海へと排出されたメチル水銀に汚染された魚介類を多食することによって起こった中毒性の神経系疾患。1956年に水俣病が初めて公式確認されて以降、患者は長い間病気と差別と偏見に苦しんできた。

 

転機は90年代に訪れた。水俣病の教訓を活かし、環境に優しいまちづくりを進めようと、市は1992年に「環境モデル都市づくり宣言」を行い、その2年後には、当時の水俣市長・吉井正澄氏が水俣病被害者に対し初めての公式謝罪を行った。同市長は、「もやい直し」(「船と船とをつなぎ合わせる」という意味の「もやう」という言葉をもじった造語)を合言葉に、ばらばらになってしまった水俣の人々の心を再び一つにし、地域再生に取り組もうと呼びかけた。この呼びかけに市民が応じ、ごみのリサイクルや、農薬・化学肥料を極力使わない農作物の栽培などの動きが進んだ結果、同市は2008年に国から「環境モデル都市」の認定を受けるとともに、2011年にはNGO主催の環境都市コンテストにおいて「日本の環境首都」の称号を獲得し、水俣の特産品は今や安心・安全を示すブランドとして認知されつつある

 

かつて「公害のまち」と呼ばれた水俣市がどのようにして環境首都へと再生を遂げたのか。本プレスツアーでは、日本の高度経済成長期の負の遺産である水俣病からの再生を目指す行政・市民・企業の取組みを取材する。

 

※本プレスツアーは熊本県とフォーリン・プレスセンターが共催、企画運営しています。
※本プレスツアーでは、参加者には経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。

 

<取材内容>

1.水俣市立水俣病資料館
http://www.minamata195651.jp/
水俣病資料館は、世界のどの地域でも二度と悲惨な公害が繰り返されることのないよう、水俣病の教訓を後世に伝えることを目的として1993年に設立された。水銀で汚染された水俣湾のヘドロを浚渫してできた埋立地(現在は「エコパーク水俣」として整備)に隣接する。館内には、水俣病の概要や歴史を学ぶことができるパネルや写真が並び、水俣病の患者やその家族から直接話を聞く「語り部講話」も開かれている。現在は、企画展「世界から水銀汚染をなくそう」を開催中で、世界の水銀汚染の状況が一目でわかる「地球水銀汚染マップ」などが展示されている。
◎ツアーでは、水俣病の概要を学ぶことがきるビデオを視聴したのち、資料館スタッフの案内で館内を視察する。

 

2.一般財団法人 水俣病センター相思社
http://www.soshisha.org/jp/
相思社は、水俣病患者の生活や、補償をめぐる運動を支える目的で、患者やその家族、支援者らによって1974年に設立された。被害者側の急先鋒として、かつては行政や水俣病の原因企業チッソと激しく対立してきたが、現在は、水俣病に関する情報発信活動や、過去の教訓を生かしたまちづくりを市と協働で進めている。理事の遠藤邦夫氏(写真右)は、水俣病の公式認定が遅れ、被害が拡大したことについては、「国とチッソの犯罪」と断定することに躊躇いはないが、チッソとその従業員が置かれていた複雑な社会的背景にも一定の理解を示す。敷地内には、患者の作業場として建てたきのこ栽培小屋を改装して作った「水俣病歴史考証館」があり、水俣病の原因究明のために行われた「ネコ実験」の小屋の実物(写真下)や、患者と行政やチッソとの闘争の歴史を物語る数々の貴重な資料が並ぶ。被害者同士の間でも対立が起きている状況が、「過去の水俣市と東日本大震災後の福島で共通している」と語る遠藤氏の言葉は示唆に富む。

 

◎ツアーでは、歴史考証館を訪問し、遠藤氏より、水俣病が発生し被害が拡大した社会的背景や、市民と行政、チッソとの対立、水俣市が再生へと歩みだすまでの過程などにつき、具体的なエピソードを交えてお話を頂く。また、水俣病患者の方からもお話を聞く。

 

 

3.宮本勝彬・水俣市長
~水俣だからこそできる環境に特化した街づくり~
水俣市の再生への取組みは、「ないものねだり」をするのではなく、地域の特色を改めて見直し、それを活かしていこうとする「あるもの探し」から出発した点が特徴だ。例えば、小規模な自治体がゆえに徹底できるごみの高度分別。空き瓶を色別に分けるなどごみを24種類にも分別し、その殆どがリサイクルされている。また、環境や健康に配慮したものづくりを行っている地元の生産者を「環境マイスター」として認定する制度も設立。茶葉、甘夏、サラダたまねぎなど、低農薬・無農薬で栽培された農作物の普及促進・ブランド化を後押ししている。さらに、公害を経験した町だからこそできる「環境学習」にも力を入れており、市全体をキャンパスに見立てた「みなまた環境大学」、環境保全活動の担い手を育てる「みなまた環境塾」など様々な学習プログラムを提供してきたほか、「学校版環境ISO」を導入し、「誰もいない教室に電気がついていたら消す」「掃除はバケツに水を汲んでやる」など、環境に優しい心を育む学校教育を行っている。

 

現在2期目を務める宮本市長は、東日本大震災後には、福島県で起きている風評被害に関する緊急メッセージを発表。かつて水俣市民が直面した差別や偏見の経験を踏まえ、国内外に向けて「事実に基づかない偏見差別、非難中傷」に対する警鐘を鳴らした

 

【市長略歴】1943年熊本市生まれ。市立中の教諭、小中学校長、市教育長を経て2006年に初当選。

 

◎ツアーでは、宮本市長より、水俣の再生に向けて市が取り組んできた環境施策、今後の街づくりの展望、10月の外交会議に向けた意気込み等につきお話を伺う。その後、市内に300箇所あるごみ分別収集場所の一つを訪れ、「水俣方式」と呼ばれるごみ分別の様子を視察する。

 

4.杉本水産・杉本肇氏(環境マイスター)
杉本氏は、無添加のイリコやチリメンづくりをしており、水俣市から「環境マイスター」に認定されている。漁業経営者の家に生まれた同氏は、祖父母を水俣病で亡くし、両親も同じ病気を発症して入退院を繰り返す中で育った。水俣病の原因が分からない中、「奇病・伝染病」にかかったと一家は激しい差別やいやがらせを受け、「水俣が嫌で仕方なかった」と語る同氏は、10代の頃に沖縄へ家出したこともある。一度は東京で就職するも、30代で妻子を連れて帰郷。漁業に従事する一方、地元密着型のコミック・バンド「やうちブラザーズ」のメンバーとして芸能活動を行い、また、水俣病資料館の語り部も務めるなど、故郷・水俣で幅広い活動を行っている。両親は、第一次水俣病認定訴訟の原告であり、病を押して語り部として水俣病の悲劇を伝え、水俣病患者の生活支援などにも尽力してきた杉本雄・栄子夫妻。「毒を食べさせられた者が、同じことを他者にしてはいけない――」。その思いから、40年前に減農薬のミカン栽培や無添加のいりこ作りをはじめた両親の信念が、息子の肇氏にしっかりと受け継がれている。
◎ツアーでは、杉本氏より、水俣病と闘ってきた杉本家の軌跡につきお話を伺うと共に、無添加いりこ作りの現場を視察する。

 

5.桜野園・松本和也氏(環境マイスター)

松本家は1927年より代々茶農園を営む。水俣病の風評被害で農産物やお茶まで売れなくなった時代もあったが、「公害の経験を持つ水俣のお茶だからこそ」と安全・安心にこだわった無農薬の茶葉作りを23年前から開始。一般的にお茶は虫がつきやすく、「無農薬は無理」と言われている中、9年前からは、無農薬に加え無肥料の自然栽培に取り組む。「水俣のお茶」と言えなかった時代を経験し、お茶につく虫の退治に心が折れそうになったこともあるというが、「無農薬・無肥料・自然栽培は世界に誇れる日本のやり方」と胸を張る。今では桜野園の茶葉は日本各地に出荷され、ドイツやフランス、英国にも輸出されている。

 

 

◎ツアーでは、松本氏の茶畑にて、水俣病の風評被害を乗り越え、自然栽培に辿りついた桜野園の軌跡や、茶葉の特徴などにつきお話を伺った後、同氏が作る美味しいお茶を試飲する。

 

6.チッソ水俣工場(現JNC株式会社 水俣製造所)
チッソ株式会社:http://www.chisso.co.jp/
JNC株式会社:http://www.jnc-corp.co.jp/
JNC水俣製造所は、かつてのチッソ水俣工場であり、その排水が水俣病の発生源となったとされている。チッソは、2011年3月に、その生産事業を中核子会社として新しく誕生したJNC株式会社に譲渡した。
水俣病の拡大を防止できなかった背景には、チッソが高度経済成長期の日本の基幹産業において重要な役割を担っており、水俣工場が雇用や税収などの面で地元経済に大きな利益をもたらしていたという事情もある。現在も約50万平方メートルに及ぶ敷地内で、液晶や電子部品、肥料等が最先端の技術で生産されており、市内で圧倒的な存在感を放つ。さらに、竹を使ったバイオエタノールの生産や、みかんの皮から抽出したオイルからボディ・ケア商品を開発するなど、「地域とともに歩む企業」として、地元の資源を活用した環境・エネルギー分野の研究開発にも取り組む。かつて水銀で汚染された敷地内の排水溝には、今や(きれいな川にしか生息しないとされる)鮎も泳いでくるほどになったという。
◎ツアーでは、チッソ水俣工場(現・JNC水俣製造所)を訪れ、同社が地域再生に果たしてきた役割について話を聞く。また工場敷地内を視察する。

 

7.蒲島郁夫・熊本県知事
2008年の知事就任以来、財政再建、川辺川ダム問題、水俣病被害者救済など、熊本県が長年抱えてきた課題に取り組んできた。水俣病問題をめぐっては、与野党の国会議員に積極的に働きかけ、「水俣病被害者救済特別措置法」の制定に漕ぎ着けた。今年の水俣病犠牲者慰霊式では、「『決して水俣病の悲劇を繰り返してはいけない』というメッセージを国内外に伝えることが10月の外交会議の役割だと思う」と語った。

 

【知事略歴】1947年熊本県生まれ。地元農協職員から米国に留学し、ハーバード大学で政治経済学の博士号を取得。筑波大教授、東京大学教授を経て、熊本県知事に就任。現在2期目。

 

【水俣病被害者救済特別措置法】2009年成立。従来の法律(公健法)に基づく判断基準を満たさないものの、救済が必要となる方々を水俣病被害者として受け止め、その救済を図るための法律。「あたう(可能な)限りの救済を果たす」と明記した。

 

 

◎ツアーでは、蒲島知事より、10月の「水銀に関する水俣条約外交会議」に向けた意気込み等につきお話を伺う。面談には、2011年にゆるキャラグランプリで優勝した熊本県の営業部長「くまモン」も登場する。くまモンは、7月にパリで行われるジャパンエキスポに参加予定であるほか、ドイツ・シュタイフ社から「テディベアくまモン」が販売されるや数秒で売り切れるなど、今や空前の人気ぶりだ。

 

<実施要領>

 

1.実施日:2013年6月26日(水)~27日(木)

 

1日目
7:30 羽田空港集合
8:10 羽田空港発
9:55 熊本空港着
10:10-12:00 借り上げバスにて移動
12:00-12:40 昼食(福田農場)
13:00-13:45 水俣病資料館
14:00-15:45 相思社
16:15-18:00 水俣市長との面談/ごみ分別収集所視察
18:30 ホテル(湯の児海と夕やけ)着

 

2日目
8:00 ホテル発
8:30-9:30 杉本水産
10:15-11:15 桜野園 
11:30-12:30 昼食(湯の鶴温泉・鶴の屋)
13:00-14:15 JNC(チッソ)水俣製造所
14:15-16:00 借り上げバスにて移動
16:00-17:00 熊本県知事との面談
18:15 熊本空港発 
19:50 羽田空港着 
(※上記は仮日程です。若干の変更が生じる可能性があります。)

 

2.参加資格: 外務省発行外国記者登録証保持者

 

3.参加費用: 1人20,000円(全行程交通費、食事を含む)
*お支払い方法、キャンセル料等は、後日参加者にご連絡します。

 

4.募集人数: 10名(各社ペン1名、カメラ1名、TVは1社2名まで)。
*申し込み人数が10名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。

 

5. FPCJ担当:石川(TEL: 03-3501-3405)

 

6.備考:
(1)知事・市長との面談ではインタビューが可能です。
(2)写真・TV撮影に関しては担当者の指示に従ってください。
(3)FPCJおよび熊本県はツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して、一切責任を負いません。

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