「情報発信は友だち作りから」 (宇治敏彦 東京新聞中日新聞 相談役)
投稿日 : 2014年02月13日
My Opinion 4
宇治 敏彦 東京新聞/中日新聞相談役
中日新聞・東京新聞で東京本社政治部次長、経済部長、論説主幹などを歴任し、半世紀にわたり日本の変化を取材されてこられた、宇治敏彦さん(76)にフォーリン・プレスセンター設立の背景や海外への情報発信について聞いた。
―1976年にフォーリン・プレスセンター(FPCJ)が設立されました。設立の経緯やエピソードをご紹介ください。
グローバリゼーションにより外国からジャーナリストが来日して取材をする機会が増えたことから、支援する体制が必要となった。新聞やテレビの報道は政府から独立させるべきという考えや、当時既に設立され、活動していた外国特派員協会(FCCJ)の存在が民間団体としてのFPCJの設立を決意させた。FPCJが設立されてからしばらくして日本の記者クラブ制度が閉鎖的だとの批判が海外からあり、米国のメディア(通信社)から日本記者クラブの正式な会員になりたいという要望があった。世界には国営やそれに近いメディア、その中には政党色の強いメディアもあり、日本のメディアには入会に条件をつけていたので、折り合いをつけなくてはならなかった。そこで、FPCJとFCCJの推薦があったメディアの入会を認めるという措置をとったことがあった。日本の記者クラブ制度にも問題があると言われてきているが、1980年代から手続きを踏めば外国メディアでも入会できるようになってきた。
~ていねいに迅速に対応して理解してもらう努力を~
―日本が外国から誤解されないために必要なことは。
日本の目は長い間米国に向いていて、1970年代から80年代にかけて歴代首相が5月の大型連休中に米国を訪問していた時期があったり、1990年代は同国との貿易摩擦などの対応に注力してきた。いつも米国中心であったため、グローバル化の認識が十分でなく、特に経済人を中心に意識改革が必要だ。かつて日本の車に比べてドイツの車の価格が高いと指摘されたとき、ドイツ人が「車の価格には環境を守るための部品のリサイクル費用なども含まれている」と主張したことがあった。会議や交渉の場でこのような受け答えを勉強しないといけないのでは。また、2011年の福島第一原子力発電所の事故では、東京電力での記者発表には外国メディア向けに英語の通訳がついたが、記者発表当日に配布された資料の英語版が配布されるのは発表から2日後ということがあった。全体的にいえることは、発信者が発信するコンテンツを十分理解していなかったり、かつてのように政治哲学を持った質の高い発言ができる人材が少なくなってきた。ていねいで迅速な対応をおこなうための支援体制を構築することが必要では。
―日本から海外へ情報発信をおこなうような政治家はいましたか。
大平正芳元首相、海部俊樹元首相、園田直元外相のように外国とのつながりや関わりがある政治家は情報発信に積極的だった。日本はこれまで政治や外交で何かしらの発信が必要な時にはメッセージを出しても、日ごろから進んで広報活動を行うという意識があまりなかった。FPCJの活動も情報発信よりも外国からのジャーナリストの受入れに力を入れていた。日本から積極的に情報発信しようという動きは比較的最近のものではないか。
~ひととひとの交流が広範な情報源に~
まずは友だち作りからはじめ、その人たちに向かって情報発信をしていかないと。最近日本の企業や団体の中に外国の拠点を閉鎖しているところがあり、情報交換や発信相手を自ら絶ってしまっている。2013年12月の世界人権デーにあわせてノーベル賞作家を含む世界80ヵ国以上の著述家たちが政府や企業による個人情報の監視に反対し、インターネット時代に合った新しいプライバシー保護の確立を目指す署名運動があった。知り合いのオーストリア人ジャーナリストからメールを受け取ったことがきっかけとなり、東京新聞でもこの取り組みを紹介してキャンペーンを展開した。ひととひととのつながりによって情報がいきわたるいい例では。私自身も国際新聞編集者協会(IPI)の理事として、会員に特定秘密保護法の審議の経過を報告するなど発信に努めている。情報が途切れると情報過疎になり、ひとは孤立してしまう。友だちを増やす努力をしていなかいといけない。
―メディアの多様化により、新聞産業が斜陽化してきているといわれています。
日本ではそれぞれの新聞が特色を打ち出し、例えば日本経済新聞は紙だけでなくインターネットにも力をいれて総合的な情報提供産業を目指しているし、朝日新聞は調査報道に重きをおいた紙面作りをしている。そしてジャーナリストの育成にも力を入れている。中日新聞・東京新聞は、市民の目線、平和憲法を守る、脱原発、地域社会との関わりや絆重視の報道を特色としている。各紙は情報発信に工夫をし、多様な手立てを講じている。さまざまな情報や話題が読める紙の新聞は今読んでいる中堅世代が超高齢化するまで健在だと思っている。
―フォーリン・プレスセンターへのアドバイスを。
日本が誇る先端技術や価値をぜひ紹介してもらいたい。たとえば「きれい好き」の文化。日本人の一般家庭の7割以上が温水洗浄便座を設置していて、国内では公衆トイレや新幹線の車両にも取り付けられていくことになっている。携帯電話のガラパゴス化は批判を浴びることもあったが、衛生や環境分野では独自の仕様を広めるとき。温水洗浄便座のほかにも空気清浄機、汚染水のろ過装置などの優れた技術をどんどん紹介してもらいたい。
(聞き手:理事長 赤阪 清隆)
1937年大阪府生まれ。早稲田大学卒業後、中日新聞東京新聞に入社。東京本社政治部次長、経済部長、編集局次長、論説主幹などを経て取締役、常務、専務取締役(東京新聞代表)を歴任。現在東京新聞中日新聞相談役。現職のほかに日本新聞協会国際委員長、国際新聞編集者協会(IPI)日本代表理事なども務めている。