プレスツアー(報告)

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実施日 : 2010年12月13日

動画報告:群馬プレスツアー(2010年12月13日~14日)

投稿日 : 2013年08月23日

■群馬県プレスツアー(2010年12月13日-14日)~ものづくりの遺伝子を受け継ぐ群馬の可能性~

 

 

 

 

~不況を吹き飛ばす「高崎だるま」~
大門屋物産株式会社(群馬県高崎市)
【中田純一 代表取締役】
今、この高崎近辺には55軒私達の組合員として達磨を作っている家があります。何個ぐらいの生産量かというのはなかなか把握しづらいですが、私が個人的に思うには(年間)概ね90万個ぐらい、作られているのではないかと思います。群馬県ではご存知のように養蚕が盛んだったものですから、繭玉の形になったというのが一般的な見方ではないかと思っています。片方の目を入れてあげるから両目を入れて欲しかったらお願いごとを叶えてくださいねという事で、ここに文字が書かれております。「養蚕大当たり」とか「家内安全」という文字がいっぱいありました。繭玉がいっぱいできるようにということです。
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【茂原璋男 群馬県副知事】
繭は、ご存知の通り一本の糸でこれだけの物ができています。これから糸を取り出してこれが、糸を造る製糸業。そしてこの糸を今度は紡いで太くして織る、それが織物ということでこれが、三つが関連しているのが日本の中でも群馬県が一番特徴的なことだというふうに思います。是非その蚕を、それから織物、これを日本の文化として産業をベースには、もう恐らく合わないでしょうから文化として残して行くそういうことは、しっかり、国がやらなくても群馬県がやらなくてはいけないことかなという気持ちで守って行きたいというふうに思ってます。
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~「群馬シルク」の再生に挑む~
有限会社ミラノリブ(桐生市)
【笹口晴美 代表取締役】
先に、糸からではなく繭から染める技術というのを開発致しまして、これを引き上げる事によって色を合わせながら色を出して行くという事をする生糸の開発を実現しましてこれの商品化になったものがこういった物ですね。
日本の全体の繭の集産量それは、300tぐらいしか今ないんですね。その300tの中でも群馬では60%の繭を生産しております。またその中で、生糸の生産量も80%というですね、非常に高い比率で推移をしております。蚕糸絹業の文化を残して行こうという取組みの中で、養蚕農家と特約契約という形で、農家の年間の繭量を買い上げて農家にもきちっとした報酬を保障するという取組みの中で、今年で8年目を迎えました。
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~「リブ編み」で世界を席卷~
株式会社松井ニット技研(桐生市)
【松井智司 代表取締役】
この編み機は1960年代の古い機械です。今、この機械はほとんど日本にもありません。この桐生に数十台あるだけです。
【松井敏夫 取締役】
(ニューヨーク近代美術館)MoMAのバイヤーとデザイナーが来られまして取引きが始まった訳ですがそこで大変な数量が出ていった訳ですね。自社ブランドを立ち上げてニューヨークの美術館で売れるなら日本の美術館でも売れるのではないかということで、日本の美術館や或はコンラン•ショップというセレクトショップ。そういう所と取引きを始めまして、今では、椿山荘であるとか、成田、羽田の免税店 、湯布院の高級ホテルだとかそういった所に自社ブランドで売れていった訳です。私どもの商品は、見てご存知のようにこの商品そのもの網地が世界のオンリーワン。他社では大変作りにくい技術的に難しい網地でして、それにプラス独自のカラーリング、これが国内で大変評価されて、今では、OEM生産よりも自社ブランドの売り上げの方が大きくなっている。それが、現状です。
【松井智司 代表取締役】
美術館の話がでましたけれど私達は芸術作品を作っているのではなくて、クラフトと美術ですか、ドイツにバウハウス運動ってありましたね、ああいう考え方がベースにあるんです。美術と工芸の融合と言うんですかね、そんな感じの物をベースに思想としてありまして、それを作るように作り込みをして行きたいと思ってます。
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【茂原璋男 群馬県副知事】
群馬県の今、産業はかつては、先に申しあげた、お蚕から織物までの
一連の産業であった訳でありますが、今、そういう織物産業というのは多くが中国なり、台湾なり、韓国なり移っています。そういう中でも一部意欲的な人達がいろんな物を開発し、今日ご覧頂いたかと思いますが
そういう産業に繋がっております。
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~ウクレレの国内唯一の量産メーカー~
三ツ葉楽器株式会社(群馬県前橋市)
【大澤茂 代表取締役社長】
私どもの会社はウクレレを造りまして約50年やっております。以前はUSAにかなり輸出しました。最近は、国内の方で需要にお応えするという状態です。1978年頃から需要が落ちまして、ほとんど日本国内ではウクレレメーカーがなくなってしまいました。その後、1990年に入りましてぐっと人気が高まってきました。以前はですね、このウクレレが、ハワイアンミュージックの伴奏楽器リズム楽器として発達したのですが、今では、一つの楽器としての位置づけを頂きまして頑張っている商品です。
三ツ葉楽器株式会社は、ウクレレの生産だけでなく地域の小中学校での指導も行っている。
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【茂原璋男 群馬県副知事】
1920年頃ですが飛行機工場が作られました。これは、中島飛行機というふうに言われましたけれども、第二次世界大戦中には零戦だとか、隼だとか、そういう飛行機を造っておりました。そしてその戦争が終わった後に、中島飛行機が解体をされて現在では日本の自動車産業として残っています。
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~地域の特徴を生かしたエネルギー「地産地消」~
環境省「チャレンジ25地域づくり事業」(群馬県桐生市)
【松村修二 群馬大学連携大学院客員教授】
今、作られている電気自動車というのはバッテリー(の値段)が高いために、凄い高い自動車になってしまっている訳ですね。そうすると本当に一般の人達が自由に乗り回せて、CO2削減に有効なような電気自動車には、今の所成り得ていないということを我々は感じまして
【天谷賢児 群馬大学大学院工学研究科教授】
今までの車よりも格段に安いものを特に、遠くに行く時は、やはり大きな車が必要だと思いますが街の中で日々の生活とか、通勤とかに限れば、こういう小さなEVが、大量に導入されてくる下地はあると思いますから、そういう所に販路を拡大して行こうかなと思っています。これからは、街に合った車を提供するとか、街に合ったインフラを作っていくという事で、街が車を作るような世の中にいくのが、次の世紀の未来型の考え方だろうと我々は思っていまして、それには、やはり地域が地域の産業で、地域に合った物を作るというコンセプトが重要かなと思っています。
【金子英雄 桐生市総合政策部企画課主任】
こちらの山間部のほうで、これまで使われていなかった小水力を使って電気を作る。作った電気を今度は電池で貯めまして、わたらせ渓谷鐵道の電車を使って、市街地の方へ搬送します。搬送した後は、電気の使い道として、電気自動車や、電動アシスト自転車にその電気を供給して消費する。地域で生まれたエネルギーを地域で使おうという、エネルギーの地産地消という考え方を今回、念頭に置きまして事業をやっています。
【天谷賢児 群馬大学大学院工学研究科教授】
それが本当に産業として成り立って行くのかはわからないですけれど、少なくともそういう方向性を我々は考えていて、地元の企業の協力とかをとにかく入れて、大手の自動車メーカーでない所で作った物を、地域に導入して行くという事に期待をしています。

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