実施日 : 2015年07月09日 - 10日
報告:戦後70年・広島プレスツアー
投稿日 : 2015年07月27日
原爆投下から70年を迎える広島を取材するプレスツアーを、FPCJでは広島市と共催で実施しました。米国、ロシア、フランス、中国、スイス、ドイツ、デンマーク、スペイン、韓国、台湾、シンガポールの11か国・地域から15名の記者が参加しました。被爆者や市長にインタビューすると共に、原爆の記憶の継承をめぐる新たな動きや、戦後の広島と共に歩んできたユニークな地元企業を取材しました。
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【1日目】
1.原爆ドーム・広島平和記念資料館
まず記者一行は、原爆ドームの前で被爆者の小倉桂子さんにお会いしました。8歳で被爆した小倉さんは、1984年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」を設立。長年通訳として、広島を取材する外国の学者やジャーナリストとお仕事をしてきました。記者達は、平和公園を歩く小倉さんを囲み、慰霊碑や自身の体験について語る小倉さんの言葉を一言も漏らすまいと熱心に聞き、レンズを向けていました。
広島平和資料記念館では、小倉さんから展示品などについて説明を受けました。平和公園の中で小倉さんへのインタビューを続けたいという記者の強い要望に応え、小倉さんには時間を延長してお話をして頂きました。
2.広島平和文化センター 小溝泰義・理事長インタビュー
次に一行は、被爆地ヒロシマの役割や平和首長会議について小溝理事長から話を聞きました。5歳で被爆した少女のビデオを交え、原爆がいかに非人道的か、被爆者がどのような思いで核廃絶のために戦っているかが語られました。ある記者は、小溝理事長の「核を保有することは核の抑止力にはなりえない」との発言が印象的だったと話していました。質疑応答では、「この夏で原爆が投下されて70年になる。広島では記憶の継承を含めた様々な活動が行われると思うが、今年がこれまでと違う点はあるか」という質問がありました。
3.広島被団協 坪井直・理事長インタビュー
20歳で被爆し、体験を語り伝えると共に、90歳の今も広島県原爆被害者団体協議会の理事長として日々活動している坪井直さんに話を聞きました。坪井さんは、記者一行を前に、2時間以上に渡って立ったまま、被爆の影響で数々の病気を抱えてきたことや、被爆時の体験、戦争の理不尽さを語りました。原爆投下直後を振り返るお話の中で、若い男性だけを救出し走る軍のトラックに幼い少女がしがみついたとき、軍人が「降りろ」と怒鳴り、少女が泣きながら火が燃え盛る町へ駆けて行った話がありました。「戦争は若い人の夢や希望を奪った。このことは死ぬまで続く私の苦しみ。」と坪井さんはその思いを語りました。
核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えるために、高校生を国連に派遣するプロジェクト「高校生平和大使」。高校生大使経験者の桒原麻実さんと片山実咲さん、今年度の平和大使に選ばれた井上つぐみさんにインタビューしました。まず、それぞれから平和大使を志望した動機を聞くと、今年の広島代表の平和大使として国連を訪れる予定の井上さんは、被爆者の「今すぐに車椅子に乗ってでも国連に訴えたい」という声を聞いたことが、応募するきっかけになったと語りました。
記者達は、国連を訪れて行う活動内容、広島で育ったことの意味、日本の今後の在り方になどついて質問を投げかけました。記者からの難しい質問に、考え込む場面もありましたが、それぞれが自分の言葉ではっきりと意見を伝えました。アメリカの大学に留学中の桒原さんに対しては、「原爆投下は戦争を終わらせるために正しかった、という意見をどう思うか」、「アメリカ人に広島の原爆について話してその人の考えはどう変わったか、また桒原さん自身にも変化はあったか」といった質問も挙がりました。
5.オタフクソース株式会社
1日目の最後に、お好み焼ソースで有名なオタフクソースを訪れました。到着後すぐ、お好み焼を試食し、広島お好み焼の作り方のデモンストレーションを見学・撮影しました。次に、戦後にお好み焼きが普及した当時の屋台の再現展示などがある「おこのミュージアム」を訪れました。創立者の孫にあたる佐々木直義専務へのインタビューでは、同社の歴史や、ご自身も被爆2世であることなどを聞きました。海外展開も幅広く行っていることから、記者からは「海外で寿司は知られているが、なぜお好み焼は知られていないのか」、「海外ではどういった人がお好み焼きソースを買うのか」、「円安の影響は」といった質問が挙がりました。
【2日目】
6.被爆者の記憶を受け継ぐ「伝承者」インタビュー
「國重さん(被爆者)の口から伝えられない、第三者だから伝えられることもある。その苦しみや背負ってきたものを、自分達なら伝えられると思う」と語るのは、大松美奈子さん。被爆者の記憶を受け継ぎ、その体験を語り継ぐプロジェクトに参加しており、3年間の研修が終わる来年から、「伝承者」として修学旅行生等に語り伝える活動を始める予定です。大松さんから、プロジェクトへの参加を決意した経緯や、國重さんの記憶を継承すると決めた理由、次の世代に伝えたいことについて話を聞きました。記者からは、「日本では平和と言えば広島だが、南には沖縄がある。広島県外での平和活動をどう思うか」、「伝承者が海外に行く計画はあるか」、「國重さんの記憶を伝えるうえで、どういった思いを伝えたいか」といった質問が挙がりました。
7.広島市長インタビュー
松井一實市長へのインタビューでは、最初に戦後70年の節目に被爆地・広島市から世界に伝えたいメッセージと、記憶を未来に伝えていくうえで直面している課題について聞きました。市長は、「広島に来て頂ければ、今も続いている被爆者の苦しみや核兵器の非人道性を理解してもらえる」と語り、核廃絶を訴える同市の思いを伝えました。記者からは、「原爆ドームなどの建物の保存や記憶の継承にはどれぐらい費用がかかっているか」、「安保法制についてどう思うか」、「米国の核の傘下に守られている状況をどう受け止めているか」、「原爆に関して個人的なエピソードがあれば教えてほしい」、「世界の指導者に広島に来てもらって何をしたいか、またこれまでの反応はどうだったか」といった質問が挙がりました。取材後、市長のメッセージが非常に印象的だったというコメントする記者もいました。
広島電鉄では、被爆した路面電車が2両、今でも現役で市民の足として活躍しています。記者一行は、同社の車庫を訪れ、電車技術部の東耕一課長の説明を受けつつ、被爆電車を撮影しました。記者からは、「原爆投下時、どういった人が路面電車に乗っていたか」、「当時何台の電車が走っていたか」、「どういった理由で被爆した電車を今も使用しているのか」といった質問が投げかけられていました。
9.マツダ株式会社
プレスツアーの最後に、一行は海外市場でも好調な売り上げをみせているマツダ株式会社を訪れました。初めに、マツダの概要や海外市場での展開、近年の戦略や自社のモノ造りについて説明を受けました。その後、工場に移動し、車の生産ラインを視察・撮影しました。エンジンや部品がスピーディに取り付けられていく様子に目を見張る記者もいました。マツダミュージアムでは、原爆投下からわずか4か月後に生産が再開された三輪トラックや、スポーツカーなど多様な車種や、エンジンなどの展示を見学しました。最後に、執行役員(グローバル販売&マーケティング本部長)の青山裕大本部長にインタビューを行いました。質疑応答では、トヨタとの提携、アベノミクスや中国市場の影響、広島の歴史とマツダとの関係について質問が挙がりました。