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実施日 : 2025年04月19日

【外国記者の素顔に迫る】「The Foreign Press」Vol. 8 菊地シルビアさん(ブラジル「レコールTV」アジア地域特派員)

投稿日 : 2025年04月18日


 フォーリン・プレスセンター(FPCJ)の「The Foreign Press」の第8号をお届けします。現在、日本では、世界約30の国・地域、145の報道機関に所属する記者約430人が、日本各地を取材し世界に伝えています(FPCJ調べ)。こうした「記者」には、記事を書く記者/テレビ・ラジオのレポーターのほかカメラなどの技術スタッフ、さらに取材先のリサーチから取材調整、取材当日の現場対応を行うコーディネーター兼通訳など様々な役割の人々が含まれます。また、外国記者といっても、日本で採用された日本人スタッフも多く、その割合は全体のおおよそ3人に1人となっています。この企画では、このように多様性あふれる記者をご紹介します。皆さまにおかれましては、今後機会がございましたら、可能な限り彼らの取材にご協力いただきますよう、お願い申し上げます。





 

The Foreign Press Vol.8 2025年4月18日

菊地シルビアさん(ブラジル・レコールTV アジア地域特派員)

Ms. Silvia Kikuchi

 

【東日本大震災】
 「人にマイクを向けて情報を得て、それを伝えるのが(ジャーナリストの)仕事だと思っていましたが、実はマイクを下げて、(被災者と)ありのままに会話して・・・肌と肌が触れ合って、表情とか涙を見たとき、それを本当に伝えないといけない、言葉以上のものを伝えていくことが何よりも重要なんだと気付きました」。最も印象に残っている取材を尋ねたとき、菊地さんは言葉を選びながらこう話してくれました。東日本大震災から一週間後に菊地さんは取材チームとともに被災地に入りました。悪臭漂うがれきの山の中で脚を棒にして歩きながら被災者を励まし彼らと触れ合う中で、ジャーナリストとしての存在意義を見つめ直したと語ります。


 発災直後から、取材者としてだけでなく、一ボランティアとしても何度も被災地に足を運んだ菊地さん。取材中は一生懸命に情報を聞き出そうとしても、「はい、そうです」とか「いいえ」とか、素っ気ない回答しか得られず苦労したとのことです。しかし、ボランティアとして避難所に赴いて、疲れ果てた高齢者の脚をお湯で洗っているとき、初めて被災者と心が通じ、人の温かみや肌の触れ合いの中で、被災者が発する心の声を真に理解することができたと語ります。「(プロのジャーナリストになるために)本当によい学びになりました。・・・今まではまるで子供のような仕事をしていたと反省しました」と振り返りました。

 

 

【ジャーナリズムとの出会い】
 菊地さんとジャーナリズムとの出会いは偶然でした。在日歴30年になる菊地さんは、1989年に初来日した後、日本とブラジルを行き来しながら日本語を勉強する傍ら、在日ブラジル系の新聞社であった「株式会社アイ・ピー・シーテレビジョンネットワーク」(注1)から一緒に働かないかと誘われます。採用されたのは1996年、在ペルー日本大使公邸占拠事件の直前で、編集部に配属されアーカイブを担当しました。次いでニュースウェブサイト、テレビ報道部へとその活躍の幅を広げていきます。テレビ部門が途中からTVグローボ(注2)と提携したことで、菊地さんのリポートが在日ブラジル人のみならず、本国ブラジルのお茶の間にも届けられることになりました。


 その後、グローボの日本からの撤退に伴い、日本企業で広報や国際プロジェクトに従事したり、日本国内でブラジル人コミュニティ向けに発行されるポルトガル語雑誌の編集長を務めたりと、広報や報道分野でのキャリアを重ねます。そして、2020年、コロナ禍で日本国内が騒然とする中で、レコールTV(注3)からリポーターとして迎えられました。

 

 

【日本とブラジルの文化的な違い】
 取材の苦労を尋ねると、ブラジルという日本から遠く離れた、文化的にも全く異なった環境で暮らす一般の人々にどのように日本の情報を伝えていくのか悪戦苦闘していると語ります。例えば、東日本大震災の被害の実相をレポートするにしても、大地震や津波被害など想像もできない視聴者には、ある種ファンタジーのような幻想があり、それを踏まえながら現実に起きていることを報道するのに苦労したとのことです。また、コロナ禍での取材で、高齢者のような脆弱な人を相手にインタビューをする際、当然のマナーとしてマスクを着用するわけですが、本国の報道局からはマスクしたままの生中継などありえない、マスクを外せと指示されるなど、板挟みになることもあったとのことです。


 ちなみに、最近では取材先はどこもテレビ取材への理解度が高く取材を断られることは少ないと話す一方で、日本では事件報道における家族や関係者などへの取材のハードルがとても高いのが特徴だとも語ります。ブラジル人の感覚からするとメディアに取材されたら積極的に話したいというのが普通なので、家族へのインタビューが実現しないことを本国に理解してもらうのがなかなか難しいとのことです。これなどまさに日本とブラジルの文化や習慣の違いを実感する瞬間とのことでした。

 

 

【時差との闘い】
 ブラジルはちょうど日本の裏側。12時間の時差を乗り越えるのも大きなチャレンジだと話します。レコールTVのメインのニュースは現地時間午後8時、つまり日本の午前8時スタートです。このため朝4時には起きて準備をする毎日とのことです。レコールTVは、今起きているニュースをありのままの姿で伝えることを重視しており、そのため生中継放送が多いとのこと。早朝から日本をはじめ、アジアで起きている主なニュースを追って駆け回り、とれたての最新ニュースをブラジルのお茶の間に届けるのが菊地さんの重要な仕事です。

 

 

【日本ブラジル友好交流年(外交関係樹立130周年)】
 今年2025年の抱負を聞いたところ、今年は日本とブラジルの外交関係が樹立されてから130年の記念の年であり、大阪・関西万博でもそれがテーマになっているので、130年間の両国民の間の架け橋のようなテーマを探していきたいと語ります。まだ企画段階であるとしつつも、菊地さんは、1908年に神戸港から「笠戸丸」が日本人移民を乗せて初めてブラジルに渡航した来歴を踏まえて、神戸港から取材をスタートできればと考えているとのこと。最初に移住した日本人家族の子孫がその後ブラジルでどのような貢献をしたのか、今日本で暮らすブラジル人の生活に密着したりとか、日本とブラジル、二つのコミュニティがどのように支え合っているのかを報道したいと意気込んでいます。菊地さんのルポルタージュが両国の架け橋となり、さらなる両国の親善友好の礎となる日が今から楽しみです。

 

 

 



(注1)株式会社アイ・ピー・シーテレビジョンネットワーク」(現「株式会社アイピーシー・ワールド」)
 日本のメディア、食品輸入卸販売企業。主に南米系外国人のための報道事業をしている。ポ ルトガル語情報サイト、スペイン語ニュース情報サイトの運営するとともに、在日ブラジル人へのポルトガル語での衛星放送をスカパーを通じ20年間実施した実績あり。

 

(注2)TVグローボ(TV Globo)
 ブラジル最大の放送局。1965年4月26日に開局。イスパノアメリカ諸国やポルトガル語圏にも数多くの番組を輸出していることでも知られている。

 

(注3)レコールTV(Record)
 1953年にブラジル初めて開局したテレビ局で、現在は同国で第二の規模を誇る。地上波放送で無料で視聴可能。同局の番組は世界150カ国で放映されている。

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