プレスツアー(案内)

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実施日 : 2019年07月30日 - 31日

案内:岩手プレスツアー

投稿日 : 2019年07月05日

<テーマ>
(1)釜石、ラグビーW杯開催に込める思い
(2)「復興」の先へ~若者、女性、「よそ者」たちの挑戦

 

岩手県釜石市は東日本大震災の被災地で唯一、9月に開幕するラグビーワールドカップ(W杯)2019日本大会の開催地となる。津波で1千人以上が犠牲になった同市が2014年に開催地に名乗りを上げた時点では仮設住宅で暮らす被災者も多く、市民の間にも「W杯よりも町の復興が先だ」との声もあった。釜石でのW杯初戦まで、残り2か月。ラグビーW杯開催という目標は被災地に何をもたらし、人びとはどんな思いでW杯を迎えようとしているのか。「復興五輪」を理念に掲げる東京五輪の開幕も1年後に迫るなか、復興に果たすスポーツの力について取材する。

 

また、被災地は震災前から人口減少や高齢化、産業の空洞化といった全国の地域に共通する課題を抱えており、震災がそれを加速させた。東北の被災地は、日本の課題が凝縮した「課題先進地」とも呼ばれる。「単にもとの姿に戻る「復興」では、未来はない。ピンチをチャンスに――」。岩手県の三陸沿岸では従来から地域が抱えていた課題を克服し、新しい地域、新しい産業を創造するための取り組みが実を結びつつある。その中心を担うのは、震災をきっかけに立ち上がった若者や女性、「よそ者」たちだ。国が定めた「復興期間」の終了まで残り約1年半。復興需要が先細りする中で、課題を抱える日本の他の地域のモデルとなる「新しい東北」を創ろうと挑戦を続ける人びとを取材する。

 

 

【取材内容】

 

1.釜石市
~東北唯一のラグビーW杯開催地。小さなまちの大きな挑戦~

 

釜石市は津波により人口約4万人(当時)のうち1千人を越える死者・行方不明者を出した。その釜石がラグビーW杯の会場となったのは、そこが1979年から85年まで日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部の歴史が息づく、「ラグビーの町」だからだ。

 

ラグビーW杯が釜石の復興に繋がるのではないか――。最初に声を挙げたのは、新日鉄釜石ラグビー部OBたちだった。国内外からの応援の声は、当初W杯の誘致など非現実的だと考えていた市民の心を動かす。市民有志が誘致に動き出し、2014年7月に市がW杯開催都市への立候補を正式に表明。2015年3月、東北の被災地のなかで唯一、国内12開催都市の一つに決定した。

 

最盛期の1960年代には9万人以上だった釜石市の人口は、この50年間で6割減少した。2040年にはさらに4割近くが減少すると予測されている。もともと人口減少や産業空洞化などの課題を抱えていた釜石市は震災以降、「オープンシティ」を合言葉に、人と人のつながりによる持続可能なまちづくりに取り組んできた。都会から釜石市に移住し起業する人を支援する移住・起業支援プログラムや、国内初となる民泊Airbnbとの提携がその例だ。民泊は、ラグビーW杯による一時的な宿泊需要に応える受け皿の一つにもなる予定だ。

 

釜石市役所を訪れ、山崎秀樹・副市長から、W杯開催に向けた地元の思いや、ポストW杯、ポスト復興を見据えた持続可能なまちづくりについて聞く。

 

 

 

2.釜石鵜住居復興スタジアム
~釜石の復興と震災の教訓を伝える夢の舞台~

 

釜石市北部の鵜住居(うのすまい)地区では、津波により死者・行方不明者を合わせて580人が犠牲となった。これは釜石市全体の犠牲者のおよそ6割にあたる。津波が襲った同地区の釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校では、学校にいた生徒・児童が手に手をとって自主的に高台へと避難し助かった。その避難行動は、長年の防災教育で培われた成果として世界中に知られることになり、「釜石の奇跡」とも呼ばれた。一方で、学校の川向うの鵜住居地区防災センターでは、そこが津波の避難所だと思い込んだ住民160名以上が命を落とした。

 

ラグビーW杯日本大会の試合会場で唯一の新設である釜石のスタジアムは、その鵜住居地区、「釜石の奇跡」の舞台となった釜石東中・鵜住居小の跡地に建てられた。「釜石の復興のシンボル」と呼ばれるスタジアムには、市民の様々な思いが込められている。スタジアムの脇には、「あなたも逃げて」と刻まれた祈念碑が立ち、W杯の観戦に訪れる人たちにあの日の教訓を伝える。

 

復興を進めるなかで建設費を抑えるため、常設スタンドは6千席。W杯に向けて増設された仮設スタンド約1万席を併せても、全12試合会場の中で最小のスタジアムだ。仮設スタンドはW杯のフィジー-ウルグアイ戦(9月25日)とナミビア-カナダ戦(10月13日)の終了後、撤去される。

 

釜石市の任期付き職員としてW杯開催の準備に奔走する長田剛さん(36)は、新日鉄釜石を前身とするクラブチーム「釜石シーウェイブス」で選手・コーチとして活躍した元ラガーマンだ。震災当時、長田さんを含むシーウェイブスの選手やスタッフは、自らも被災者でありながら支援物資の搬送などのボランティア活動の先頭に立った。長田さんは、「釜石はラグビーのまち。W杯の誘致は、釜石がしんどかった時に将来の希望の光を灯すためのものだった」と言う。「ラグビーで盛り上がっている姿を見せることで、震災の時に支援してくれた世界中の人たちに『皆さんのおかげで釜石はこんなに元気になりました』と御礼を言いたい。それが釜石の人にとってのW杯の意味だ」

 

釜石鵜住居復興スタジアムを訪れ、長田さんから、W杯開催に向けた地元の準備状況や、開催に込められた地元の思いについて聞く。さらに、スタジアム内を視察する。

 

 

 

3.津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」
~「釜石の奇跡」を体験した若者が語り継ぐあの日~

 

釜石鵜住居復興スタジアムからは徒歩10分ほどの鵜住居駅前に2019年3月、津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」がオープンした。震災やその教訓を伝える防災学習の拠点として釜石市が作った施設だ。あの日に釜石で起きた出来事や、釜石市の子どもたちが取り組んだ防災学習について展示している。

 

「いのちをつなぐ未来館」で語り部を務める菊池のどかさん(23)は、震災当時、釜石東中学校3年生。「釜石の奇跡」の避難を実践した一人だ。今春、大学卒業とともに生まれ育った釜石に戻った。菊池さんは、自身が震災前から受けていた釜石の防災教育や、押し寄せる津波から生徒全員が逃げた経験を、国内外から訪れる来館者に語り継いでいる。

 

W杯が2カ月後に迫るなか、菊池さんは、「スタジアムの場所にあった学校に通っていた者として、W杯が、震災のときにこの町で何があったのかを世界の人びとが知る機会になってほしい」と願っている。

 

菊池さんの案内で、「いのちをつなぐ未来館」と、160人以上が犠牲になった鵜住居地区防災センターの跡地に整備された「釜石祈りのパーク」を視察する。

  

  


4.鵜住居地区 根浜海岸
~「持続可能な地域づくり」に取り組む旅館女将と女性移住者~

 

鵜住居地区の根浜海岸は震災前、白い砂浜と美しい松林で知られる三陸有数の景勝地として、年間4万人以上が訪れたが、震災による津波と地盤沈下により砂浜はほぼ消失した。

 

根浜海岸に建つ旅館「宝来館」には建物2階まで津波が押し寄せ、女将の岩崎昭子さん(63)は、一度は津波に飲み込まれたが、一命をとりとめた。岩崎さんは震災直後から、旅館を再建し被災体験の語り部を行なうとともに、地域に賑わいを取り戻すことに奔走してきた。ラグビー関係者から釜石へのラグビーW杯誘致の話が出たときに、岩崎さんが真っ先にあげた「希望、目標が欲しい」という賛同の声は、釜石へのW杯誘致の大きな原動力となった。

 

根浜地域では震災前、美しい海や山の恵みを活かしたグリーンツーリズムが行われていた。震災後、住民たちは話し合いにより、震災前と同じ、海が見える高さの防潮堤を復旧することを選んだ。岩崎さんは、美しい自然などの根浜の地域資源を活かすことで、この地域を世界中から人々が集まる場所にしたいと考えている。

 

岩崎さんの活動のパートナーが、東京出身の細江絵梨さん(32)だ。震災を機に東京での仕事を辞め、岩手の復興に携わっていた細江さんは、2017年6月、釜石市の移住・起業支援制度の1期生として、根浜に単身移り住んだ。細江さんの課題は、根浜にすでにある地域資源を磨き、この地域に外からお金や人が入ってきて循環する仕組みを作ること。移住者という「よそ者」の視点を持ち続けながら、地域外の人たちに根浜に来てもらうための体験コンテンツやプログラムづくり、国内外への情報発信に取り組んできいる。着目しているのは、根浜の地域資源の一つである「学びの場」という側面だ。根浜の被災と復興の経験を学ぶために世界中の人たちがこの地を訪れ、相互に「防災」について学び合う――。細江さんはそんな構想を描いている。

 

宝来館を訪れ、岩崎さんからラグビーW杯開催や根浜の賑わい再生に向けた思い、細江さんから釜石に移住し挑戦する思いや今後の事業計画について聞く。その後、砂浜の再生工事が進む根浜海岸を視察する。

   

  


5.共和水産(株)
~「イカ王子」を名乗り三陸の水産業を盛り上げる若きリーダー~

 

共和水産は、宮古港に水揚げされる海産物を使った加工食品を製造する水産加工会社だ。主力製品のイカソーメンは、国内だけでなく米国、台湾など海外にも輸出されており、売り上げは震災前の3億円から8億円近くに拡大している。

 

成長を続ける同社を経営するのは、鈴木良太さん(37)だ。父親が創業した共和水産で「中途半端な気持ち」で働いていた鈴木さんの転機となったのが、東日本大震災だった。鈴木さんは被害を受けた宮古の街並みや同業者を見て、「この街をどうにかしたい」「企業としてできることがある」との思いに駆られた。宮古の水産業を盛り上げる旗振り役となることを決意し、自ら「イカ王子」を名乗り、先頭に立って商品開発や販路拡大を進めた。オリジナルの王冠とTシャツを身に着けて「メイド イン 三陸」の商品のPRに国内外を飛び回る「イカ王子」の挑戦は、メディアにも取り上げられ、注目を集めた。

 

鈴木さんは2017年から、宮古の異業種の若手経営者と一緒に新商品の開発による宮古の海産物のブランディングに取り組んでもいる。その一つ、宮古港に水揚げされた真鱈をその日のうちに加工するタラフライは全国的な人気となり、ネット販売は約1~2ヶ月待ちの状態だ。釜石のラグビーW杯会場では、世界のラグビーファンにフィッシュ&チップスとして楽しんでもらう計画だ。

 

鈴木さんは、「宮古は水産業が基幹産業のまちだ。この地域の若者や子どもたちに、若い自分が楽しんで仕事をしている姿を見せることで、水産業の魅力を伝えたい」と語る。

 

2014年に新設された加工場を訪れ、鈴木さんから食を通じた宮古の活性化、三陸の水産物の世界への発信ついて話を聞き、工場内を視察する。

  

 

 

6.株式会社コーポレートインパクト
~ふるさと大槌の復興に貢献する東京の女性IT企業経営者~

 

東日本大震災の津波により、大槌町は人口の約1割にあたる1277人の死者・行方不明者を出した。「町を元気にするには、町に産業を起こさなければならない。」大槌町出身で、アナログコンテンツのデジタル化サービスを提供する企業を東京で運営する福田久美子さん(55)は、震災以降、業務の一部を故郷の大槌町に移し、IT分野の雇用創出に取り組んできた。「赤ペン1本で雇用を創る」を合言葉に、パソコンがなくても自宅で赤ペン1本あればできる校正の仕事から始め、仮設住宅で子どもや老親の世話で外に出られない被災者から、在宅でできる仕事は助かると感謝された。

 

大槌町の中心部に2017年5月、福田さんが経営に参画する(株)コーポレートインパクトの「大槌情報技術センター」が完成した。指紋認証の入退室管理システムを備えた、3階建てのITビルだ。内部では地元で雇用された約10名が、パソコンのモニターを見ながら、東京から送られてきた官公庁などの文書のスキャンデータの校正・チェック作業を行っている。このほか、テレワークでも大槌町を含む三陸沿岸で約20名が働いているという。

 

高校卒業と同時に上京し、東京からふるさとを見てきた福田さんには「このままでは大槌町が消滅自治体になる」という危機感がある。福田さんは、「被災地だからといって、雇用自体を目的としたような仕事では未来がない。競争力のある産業、人材を創ることが必要だ。より多くの人材を確保し、大槌をITサービスのまちにしたい」と語る。

 

福田さんは、三陸の水産業の復興にも力を入れる。大槌の漁師の家に生まれた福田さんは、大槌のおいしい魚を食べさせたいとの思いから、東京で魚料理の店を経営してきた。震災後には、ハイテク保冷剤を利用することにより大槌で揚がった魚をクール便ではなく普通便で鮮度を保ったまま東京に流通させるシステムの開発で、復興庁のビジネスコンテスト「リバイブジャパンカップ」の大賞を受賞している。現在は、IT分野での知見を活かし、ICTを使った水産業のスマート化支援にも取り組んでいる。

 

大槌情報技術センターを訪れ、ふるさと大槌の復興に向けて挑戦を続ける福田さんの話を聞くとともに、校正・チェック作業の様子を視察する。

 

 

 

7.大槌高校復興研究会
~復興のあゆみと震災の教訓を未来に伝える高校生たち~

 

大槌町の高台にある岩手県立大槌高校には地震発生直後から、地域住民が続々と避難した。約5か月間にわたり避難所となった同校では、多いときで1000人近い被災者が避難生活を送り、生徒や教職員も避難所の運営を担った。

 

その経験を背景に2013年に発足したのが、「大槌高校復興研究会」だ。現在、全校生徒160人のうち約7割の生徒が、「定点観測」「町づくり」など5つの班の中から各自が取り組みたい活動に参加している。「定点観測」は町内180カ所で、同じ場所、同じ角度から写真を撮るという活動で、2013年から年3回、通算3,000枚以上の写真で復興により変わりゆく町の姿を記録してきた。

 

現在の高校生は小学校低学年で震災を体験しているが、いずれ震災を経験(記憶)していない子どもたちが入学してくる。研究会の有志は、自分たちの津波の記憶と教訓を語り継いでいかなければならないとの思いから、津波の恐ろしさを伝える手作りの紙芝居も製作したという。町の復興がある程度進むなか、学内では復興研究会の今後の活動について議論されているというが、「防災」は今後も柱の一つになる予定だ。

 

町の中心部に完成した交流施設「おしゃっち」を訪れ、生徒たちから話を聞いた後、町中心部で「定点観測」のデモンストレーションを視察する。

   

写真提供:大槌高校復興研究会

 




【実施要領】

 

1.スケジュール
※日程は調整中のものであり、予告なく変更になる可能性があります。

 

<1日目:7月30日(火)>
7:16-9:49 東京駅-新花巻駅(はやぶさ101号)
11:30-12:15 いのちをつなぐ未来館
12:30-13:30 釜石鵜住居復興スタジアム
13:45-14:15 昼食
14:30-16:00 根浜海岸
16:30-17:30 釜石市副市長
17:45 宿舎着

 

<2日目:7月31日(水)>
7:30 宿舎発
9:15-9:45 三陸鉄道

10:10-11:40 共和水産
12:30-13:15 昼食
13:30-14:45 コーポレートインパクト
15:00-16:15 大槌高校復興研究会
18:06-21:12 新花巻駅-東京駅(やまびこ54号)

 

2. 参加資格:外務省発行外国記者登録証保持者

 

3.参加費用:14,000円(全行程交通費、宿泊費(朝食付き)、昼食2回を含む)
*お支払い方法、キャンセル料等については参加者に通知します。

 

4.募集人数:10名(各社ペン1名、カメラ1名、TVは1社2名まで)
※申し込み人数が10名を超えた場合は、国別の参加者数に上限を設定することがあります。

 

5.FPCJ担当:取材協力課 菅原、大西(Tel: 03-3501-3405E-mail: ma@fpcjpn.or.jp

 

6.備考:
(1)本プレスツアーは三陸防災復興プロジェクト2019実行委員会が主催し、公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)が企画・運営を担当しています。
(2)本ツアーの内容は、予告なく変更になる可能性があります。
(3)参加者には経費の一部を負担していただいていますが、営利を目的とした事業ではありません。
(4)主催者とFPCJは、ツアー中に生じるいかなる不都合、トラブル、事故等に対して一切責任を負いません。
(5)写真・TV撮影に関しては、担当者の指示に従ってください。

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