実施日 : 2012年02月29日 - 03月01日
報告:震災1年 宮城県沿岸部プレスツアー(2012年2月29日-3月1日)
投稿日 : 2013年08月23日
東日本大震災から1年、被災地では被災者の生活やコミュニティの再建に向けた動きが徐々に進みつつあります。そうした中、公益財団法人オイスカと工学院大学との共催により実施した宮城県沿岸部へのプレスツアーには、中国、韓国、台湾、シンガポール、ベトナム、バングラデシュ、フランス、スペイン、イギリス、イタリア、EU、カナダのメディアから20名の記者が参加しました。
1日目はオイスカが中心となって行われている海岸林再生プロジェクトを名取市で取材しました。生憎の雪のなか、海岸林が軒並み倒されたままの状態で残っている海岸付近を歩きながら、プロジェクトを主催するオイスカの渡邉忠副理事長や清藤城宏・緑化技術顧問、また地元被災者の代表である鈴木英二・名取市東部震災復興の会会長から、海岸林の重要性や再生への思いを聞きました。その後、海岸から数百メートルの距離にあり、津波に襲われながらも骨格が残る鈴木会長の自宅に立ち寄り、津波が襲った当時の様子などについて説明を受けました。鈴木会長は、住めなくなった自宅を前に「今回の津波を後世に語り継ぐものとして、自宅を記念碑として残したい」と語りました。また、沿岸部で被災し、現在は内陸部に移ってビニールハウスで農業を継続しながら、海岸林の育苗にも取り組もうとしている農家の森清さんにも、農業再建への思いを聞きました。
夕方には石巻市に移動し、追分温泉に宿泊しました。ここは震災後約半年間、避難所として地域の人々を支えてきました。夕食後参加記者は、宿の経営者の横山宗一さんから、被災時の様子や営業再開までの道のりについて話を聞きました。また、横山さんの友人で宿の建築デザインを手がけた渋谷修治さんが、ふるさと再生への思いを込めて作った曲の演奏に耳を傾けました。お二人は「東北人は耐える心を持っている。震災で払った犠牲を無駄にせず、世界がよくなるという希望をもちたい」と力強く語りました。
晴天に恵まれた2日目の午前中は、工学院大学が中心となって進める石巻市北上町の白浜復興住宅プロジェクトを取材しました。設計を担当した関谷真一客員研究員から、仮設住宅以外の選択肢としての恒久復興住宅建設の経緯やコスト等について説明を受け、実際に入居している被災者の一人である佐々木克弥さんに話を聞きました。佐々木さんは漁業に従事しており、津波の際には避難するためできるだけ沖へ船を走らせ、家族を心配しながら凍える一夜を過ごしたことなど、当時の緊迫した状況を説明するとともに、「これまでの世界からの支援に感謝している。自分たちがこうして元気に頑張っていることを各国に伝えてほしい」と述べました。また、佐々木さんが働く漁港へも足を伸ばし、水揚げしたワカメを処理している様子などを視察しました。さらに昼食時には、プロジェクトの現地責任者である有限会社熊谷産業の熊谷秋雄代表取締役にも、被災時の状況やプロジェクトの意義について話を聞きました。
午後は、石巻市開成地区にある巨大な仮設住宅団地に移動し、被災した女性たち150名が参加するEAST LOOPプロジェクトを取材しました。同団地で被災者の支援をしているNPO石巻復興支援ネットワークの渡部慶太事務局長から、東北最大規模とされる団地の概要やコミュニティの形成といった課題について、またEAST LOOPプロジェクトを主催する髙津玉枝・株式会社福市代表取締役から、プロジェクトをスタートした経緯や「手仕事を通じて女性たちに笑顔と収入を」というプロジェクトのコンセプトについて説明を受けました。高津氏は「被災地の厳しい状況は続いている。困難な暮らしの中で手仕事が心の支えや次の一歩を進めるきっかけになってほしい」と話していました。その後、石巻市と東松島市の各グループの合計20名ほどの女性たちが、カラフルなハートのブローチを編む作業の様子を取材しました。また、仮設住宅などで暮らす女性たちに震災発生時の状況やその後の生活、今後の見通しなどについて熱心にインタビューしていました。