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【台湾】中央通信社 楊明珠 東京支局長

投稿日 : 2014年05月16日

 DSC_0885「台湾で話題になる日本のニュースは、私が発信元であることが多い」と話す中央通信社の楊明珠東京支局長(50)=東京都。記事執筆だけでなく写真や映像の撮影も一人でこなす楊東京支局長に、日本の印象や日本での取材について聞いた。

 

-日本に興味を持ったきっかけは。

私の父は、19歳まで日本人だった。父は昭和元年(1926年)生まれで、19歳の時に、太平洋戦争が終わった。日本との接点としてはやはり、日本統治下の台湾で育った父。子どもの頃、時々両親が、日本語で会話をしていた。住んでいた家も、畳があるなど日本家屋だった。

 

 

―これまでで最も印象的な仕事は。

やはり3.11。3月13日に、羽田からの臨時便で福島へ入り、3月14日には気仙沼を取材した。その頃、日本全体が放射能に覆われ、富士山も爆発するなどと事実ではない報道が台湾でされた。ゴシップ的な報道スタイルが目立つ台湾で、中央通信社は正統派のニュースを発信している。明日の食料、ガソリン、暖房の心配をしている被災地の人たちを前に、放射能の不安どころではなかった。被災地に留まり取材を続けた。

 

 

-日本での取材で感動したことは。

2012年の2月、釧路市のホテル経営者を取材した際に、台湾からの支援に涙ながらに感謝され、感動した。台湾の王金平・立法院長は、東日本大震災を受けて海外からの観光客が激減した北海道の観光産業を応援した。2011年5月に旅行会社関係者など総勢300人を引率して北海道を訪問した。その際、同行取材したが、台湾からの支援がどのように役立っているのか、その結果を台湾に伝えることも大切。2011年度、台湾から北海道への観光客数は、前年度を上回った。 

 

 

-記者としての充実感を味わうのはどんな時ですか。

台湾の現地メディアや台湾の人たちから反応がある時。日本での風疹の流行や、鳥インフルエンザについてのニュースを発信すると、台湾では、その対応策に関する報道が増える。また、facebookを通じて、「東京地震あったけど大丈夫?」と聞かれることもある。健康関連、地震、観光情報など彼らが知っている日本について聞くと、私が発信したニュースであることが多い。

 

 

-日本での取材で戸惑った経験は。

24時間ニュースを発信し続けている通信社としては、時間と効率が大切。 取材申し込みや、撮影許可を得るのに時間がかかる上、最終的に許可がおりないことも。台湾での報道に繋がれば、日本にとっても良いことだと思うのに、取材そのものより、取材許可をとることだけに時間をとられることがある。

 

 

~台湾からの観光客に喜ばれる体験型観光~

 

-台湾からの観光客を呼び込みたい自治体にアドバイスを。

日本の地方自治体や旅行会社などから、観光地売り込みのため招待されることがある。それぞれの自治体目線での売り込みが目立つが、台湾人目線で考えても良いかと。台湾の人は、体験することが好き。例えば名物のうどんがあれば、食べるだけでなく、うどん打ち体験も用意する。台湾の人は、スキーはほとんどできないが、スキーの格好をして記念撮影ができるだけでも喜ばれる。北海道では、寒さや雪を体験したり、雪合戦なども良い。熱帯地方の人達だから、寒いのは苦手だろうと気をつかわずに、臨機応変に対応することが大事。

 

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楊 明珠(よう めいしゅ) 東京支局長 DSC_0817

1963年8月生まれ。台湾台中県出身。台湾の淡江大学日本語学科卒。東京外語大学大学院(国際関係)修士課程修了。台湾大手ケーブルテレビ局TVBSの日本番組ディレクター、朝日新聞台北支局通信員を経て、2006年に中央通信社東京特派員として来日。2011年から東京支局長。

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中央通信社中央通信社

今年、創立90周年を迎えた通信社(1924年設立)。台湾で最も古い報道機関で、中国語をはじめ、日本語、英語、スペイン語でニュース発信(テレビ局への映像配信も含む)を行っている。日本の他、中国、米国、南アフリカ、タイ、ベルギー、ベトナム、インドに特派員を置いている。

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