外国記者に聞く

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【中国】中国新聞社 王健 東京支局長

投稿日 : 2014年06月02日

インタビュー今回で3度目の日本駐在となる中国新聞社の王健支局長(57)=東京都。「日本がこれまで経験してきたことや今直面している問題の中には、中国や他国にとって教訓となることがたくさんある」と語る王支局長に、これまでの駐在で感じた日本の印象や仕事にかける想いを聞いた。

 

 

 

-もともと記者志望だったのですか。

大学では中国文学を専攻しており、実は作家になりたかった。しかし、大学に通っていた1979~1983年の中国は文化大革命の名残があり、まだ学生が自分の意志で進路を決められる時代ではなかった。学生の大まかな希望に沿って、大学側がそれぞれの学力や適性を見極め、就職先を決めていた。そのため、私も特に記者志望というわけではなかったが、「社会の事情をもっと知りたい」ということから、1983年に上海にある復旦大学卒業後、中国新聞社に入社した。

 

 

-日本にはいつ、どのような経緯で来られたのですか。

最初の駐在は1990~1995年。高校までを日本で過ごされた楊国光前東京支局長が日本語のできる若い特派員を探していた。しかし、その頃、中国新聞社には記者として仕事ができるだけの語学力がある人はほとんどいなかった。そこで、「大学で日本語を学んだ経歴がある」ということで声がかかったが、大学で習った日本語はあくまで日常会話程度の入門レベル。会社から「中国国内の大学で1年勉強したらどうか」という提案を受けて、日本駐在を決心した。北京にある中国人民大学で日本留学予定者対象の日本語養成クラスに入り、働きながら勉強した。

 

 

-日本駐在が決まったとき、どのように感じましたか。

特別な感じはなかった。当時、高倉健の映画や山口百恵のドラマなどがたくさん中国に入ってきていたため、日本人の生活や様子がわかるつもりでいた。西洋と違って、日本が外国という感覚は薄く、身内のような感じ。とはいえ、中国全土でも海外で活動をしている記者はそれほど多くなかったため、やはり貴重なチャンスだった。実際に来てみると、言葉の壁があり、苦労した。大学の授業のようにゆっくりではないため、特に電話は聞き取れない。そこで、寝ている間もテレビをつけっぱなしにする方法で、音に慣れていくようにした。

 

 

~変化する日中関係~

 

-来日の度に日本社会の変化を感じますか。

最初に日本に来たのはバブル最盛期。見るものすべてが新鮮だった。中国との経済レベルもかなり離れていたため、目につくのは日本の豊かさ、合理性。中国メディアは、今思えば日本の良いところばかり伝える傾向があった。2度目は2003~2007年、いわゆるバブル崩壊後。1度目から2度目の訪日の間は、中国が著しい経済成長を遂げ、両国の関係が戦後で一番良い時期だった。2003年に再来日してみると、日本人がみな少しせっかちになっているような気がした。今年2月の着任で3度目になるが、互いの問題点なども見えてきた。慣れれば当然のことながら、互いの欠点も見えてくる。

 

 

-最も印象に残っている取材は。

阪神大震災。車で取材に行ったが、現実とは思えないような悲惨な状況だった。しかし何より驚いたのは、そんな災害を前にしても規律ある人々の様子。まるで何事もなかったかのように、みな淡々と真剣に片付けをしていた。また、神戸内のコンビニは開けっ放しでも、盗みや強盗がなかった。現地には華僑も数多く在住していたので、中国は状況を知りたがり、記事は大きく取り上げられた。

 

 

-発信した記事に対して、中国や日本で反応はありましたか。

取り上げた問題の一つに、地元の華僑たちが避難所としていた中華学校が地方自治体指定の避難場所ではないため、救援物資が入らないというものがあった。しかし、私の記事の影響かはわからないが、2日後にはちゃんと救援物資が入ってきた。日本政府は中華学校に相当数の人が集まっていることを知り、同じ対応をしてくれた。関東大震災では、中国人や韓国人に関するデマが流れたこともあり、神戸でも同じようなことが起きたらと心配されたが、それは一切なかった。むしろ互いに助け合い、連携して危機を乗り越えた。本当に感動的だった。

 

 

~先に経験した日本から学べること~

 

 

-今追いかけているテーマはありますか。

日本は様々な分野において、アジアで先に経験したことが多い国。そのため、個人としては今後中国に役立つ事という視点で取材・報道するのが有意義だと思う。たとえば超高齢化社会。中国でも間もなく日本と同じようになるので、老人ホームなども取材したい。また以前、四日市市の大気汚染について取材したが、今中国が抱えている大気汚染問題もしかり。5月13日に参加したFPCJ主催プレスツアー「超高齢化社会・日本が模索する介護の未来」は、将来的には中国でも人口減少により起こるかもしれない空き家という社会問題に焦点をあてていた。高齢化、空き家はそれぞれ別々の問題だが、それを解決するために2つの問題をリンクさせて考える、という面白さがある。日本はどう対応するのか、その過程に関心を持っている。

 

 

-記者として意欲的に情報発信し続ける秘訣は。

初めての日本駐在の際、トヨタの自動車工場へ見学に行き、その仕事ぶりに感動した。職人のひとつひとつの動き、仕事に対する真剣さがとても印象的だった。日本の一番良いところは、“匠の心”。外国人としては、ぜひ学ぶべき。中国新聞社の東京特派員は2名しかいないため、全領域をカバーしなくてはならず、今日は政治、明日は経済と急に切り替えるのが大変。執筆以外にカメラやビデオも扱う。しかし、日本に来ると、「この仕事をやる以上、真剣にやろう」という考えが強くなる。日本の力でしょうか。

 

 

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書斎王 健(オウ・ケン) 東京支局長

1957年生まれ、上海出身。復旦大学、中国文学科卒業。1983年、中国新聞社入社。上海分社にて記者、主任記者、副社長を歴任。1990~1995年、2003~2007年に特派員として駐在。今年2014年2月より再来日している。

 

 

 

中国新聞社ロゴ中国新聞社 1952年設立。中国の2大国家通信社の一つ。本部は北京にあり、従業員数は全世界で3000名。18ヶ国に海外支局を設けている。配信先は、国内メディアの他、世界各地の華僑系メディア。傘下に、ニュースサイト「中国新聞網」や中国で最も影響力のある週刊誌の一つ「中国新聞週刊」がある。

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