外国記者に聞く

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【ドイツ】フランクフルター・アルゲマイネ紙 カーステン・ゲアミス記者

投稿日 : 2013年09月20日

sDSC_0079s「今この瞬間、何が起きているのか」常に追い続けるフランクフルター・アルゲマイネ紙のカーステン・ゲアミス記者(54)=東京都。取材活動を通じて見えてきた日本の姿について聞いた。

 

-いつから日本で取材をしていますか。

2010年1月、東京支局に来た。日本はいま変化しつつあり、この国で特派員として働くのはとても面白い。私の記事を通じ、ドイツの人々が日本と日本に住む人々、ここで何が起きているかに興味をもってくれたら幸せだ。もともと日本への関心は高い。日本人作家、特にミステリー作家の大ファン。桐野夏生、松本清張、宮部みゆき。英訳、ドイツ語訳されたものはほとんど読んだ。原語である日本語ですべて読めるようになるのが私の夢だ。実は、休みの日には自分でもミステリー小説を書いている。2作品は短編集の1編として出版もされた。

 

~ 東北の困難さ 伝えるのが私の仕事 ~

 

-最も強く印象に残っている仕事は。

東日本大震災。2011年3月末に5日間ほど宮城県を訪れた。人生で一番心を揺さぶられた取材だった。気仙沼は完全に破壊されていた。一生忘れない。津波の恐ろしさや仮設住宅での生活。東北の人々が置かれている困難な状況を伝えるのが私の仕事だと思った。11月、宮城県でのプレスツアーに参加したが、まだ壊滅状態だった。それでも人々が、特に若い人が地域に命を吹き込もうとする力を強く感じた。心からの尊敬と深い愛情を覚えた。一方で、母国では福島第一原発も大きな関心を集めた。今日に至ってもまだ安定しないフクシマ。当時伝えなければならず、現在もそうだ。ドイツ政府は、事故後原発の停止を打ち出した最初の国。事故の政治的な影響はある意味で日本よりも大きかった。

 

-記者としてうれしかった瞬間は。

震災当時、ドイツ国内に住む日本人読者が私の記事を励みにしてくれ、うれしいメールを送ってくれた。福島第一原発事故後、数日間韓国・ソウルと大阪に滞在したが、東京を離れる決心をした日の行動を、メモにつづっていた。記事にするつもりはなく、何も考えずにただ、別れの挨拶をして地下鉄で空港に向かう道のりを記したもの。結果的に記事として掲載された。後にベルリンで、かつての上司が言ってくれた。「私はもともと感動屋ではないが、君の記事で日本の状況がわかり、君の感情にふれた。私自身も胸が熱くなったよ」

 

~ 情報へのアクセスが限られる政治取材 ~

 

-日本での取材で戸惑った経験は。

福島第一原発事故後、国境なき記者団による報道の自由度ランキングでは、日本は53位と大きく落ち込んだ。経済関連の取材はそれほど苦労はないが、政治の取材は難しい。記者クラブに加盟していないメディアがアクセスできる情報は限られている。民主党政権でよくなるかに思えたが、安倍政権下では、外国人は情報共有の面で歓迎されなかった古い時代に逆戻りつつあるのかもしれないと危惧している。国際的な水準に照らせば、日本はいまだ、やや「特殊」だと言える。

 

-日本での生活はどうですか。

生活水準は諸外国より高くて裕福であり、人々は親切で、治安の悪化を懸念する声も聞くが外国から見ると犯罪ゼロの国としか思えない。それに、日本食は世界で最も優れた食文化の1つだ。

 

-新しく日本で取材活動を始める記者のみなさんにアドバイスをお願いします。

大規模な支局をもつメディアはともかく、小さなところは情報の入手先を確保することが必要だ。1つは、FPCJの手を借りること。もう1つは、海外メディアの記者同士で情報交換することだ。また、日本語が堪能でないなら言語面のサポート役も必要だろう。経済界では英語でも問題ないが、政治や地方での取材は日本語でなければ難しいことも多い。日本の人々はイメージよりもオープン。自信をもって挑むことだ。

 

-今後どのような取材を考えていますか。

日本の若者の置かれている状況を取材したい。アベノミクスの「第3の矢」が成功するか否かにも注目している。経済史も勉強中だ。また、介護ロボットなど世界トップクラスの技術力をもつ一方で規制が厳しいことにも興味がある。今後数年でどこまで変わるのか、あるいはまったく変わらないのだろうか。原発ももちろん追っていくつもりだ。1人ですべてカバーしなければならないので、時間がないのが問題だが。日本が将来に向けて必要な変革をどう成し遂げていくのか、興味は尽きない。

 

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カーステン・ゲアミス特派員

1959年4月生まれ。ドイツ・ハノーバー出身。ハンブルク大学大学院卒(政治学)。郷里の地方紙などを経て、1991年よりベルリンの主要紙・ターゲスシュビーゲル記者に。兵役に伴う船舶技術士としての経験もある。東西ドイツ統一後、東ドイツの地方政府でも短期間勤務した。2001年、フランクフルター・アルゲマイネ紙に。2010年より現職。当初は経済担当だったが、2011年末より単独支局に。日本のほか、韓国、北朝鮮、台湾をカバーする。ノイエ・チュルヒャー紙(スイス)にも経済記事を寄稿。西ドイツの政治スキャンダルについてなど3冊の著作がある。

 

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1949年創刊。1856年に設立された全身はナチス政権による発禁処分を受けた。自主独立を社是とし、70人以上の特派員がドイツ国内外で活動している。36万部以上(2011年)の購読者をもつ日刊紙。毎週日曜日発行のフランクフルター・アルゲマイネ・サンデー、ニュースサイト「FAZ.NET」(ドイツ語のみ)を有する。

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